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相談委員長の考えごと 第13回~プロとしてのSottoの流儀~

私たちは、NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp/

Sottoが行っている活動は幅広く、根幹となる電話・メールによる相談受付に加え、対面の場での居場所づくり活動、広報・発信活動などがあります。
各活動は委員会ごとに別れ、日々の活動を行っています。
今回から、電話相談を担当する「相談委員会」の委員長である「ねこ」さん(もちろんあだ名です)の、Sottoの活動を通して考えることを連載としてお届けします。

Sottoの立ち上げ当初から活動に関わり、Sottoの文化を形づくることに貢献し、現在は電話相談ボランティアの養成を担当しているねこさん。
そんな立場から、Sottoの活動や、死にたいという気持ち、人の話を聞くということなど、様々なことについて考えることを語ってもらいます。
この連載が、読んでくださる皆さんにとって新しい気づきを得たり、死にたいくらいつらい気持ちについて理解を深めたりするような、そんなきっかけになれば幸いです。

第1回はコチラ→相談委員長の考えごと 第1回~死にたい気持ちについて~
前回はコチラ→相談委員長の考えごと 第12回~気持ちを話したところでどうなるの?~

相談委員長の考えごと 第13回~プロとしてのSottoの流儀~

  今回はずばり「素人が下手に関わるべきではないのでは?」という疑問・問題について考え進めていきます。
これは死にたい気持ちを受け止めるというのは命に関わることなのだから、素人(つまりSotto)がいたずらに手を出さずに、精神科医などのきちんとした専門家にまかせた方が良い、という観点からの投げかけですね。

 まずここでの「下手」とは何を言われているのかを整理します。
相手がまさに死ぬほど思いつめている自殺の相談において「下手をこく」というのは、おそらく結果的に相手を「死なせてしまう」ような関わり方を指していることかと思います。
これは言うまでもなく、自殺はやめさせるべき、とか、絶対に死んではいけない、という発想に基づいた前提かと思いますが、目的が違えばそういった「下手をすれば相手が死ぬ」という前提すらも変わってきます。

新聞やテレビ・ラジオなどで見聞きするいわゆる悩み相談というものが、相談を受けた人間の経験則や主観的な見解からのアドバイスであったり解決策の提示を落とし所にしていることが多いため、どこかそういうものだと思ってしまうかもしれませんが、問題の解決、答えを出してあげることが即ち自殺の防止になるという発想は少し違います。
少なくともSottoが担おうと考える役割は別の部分にあります。

 Sottoが行う講座や講演のなかで、(もちろんプライバシーに配慮したうえで)今までに一瞬でも死ぬことがよぎったり自殺を考えたことがあるという人はいますか、と尋ねると結構多くの方が「ある」と回答されます。
今生きているということは、思い悩むようなこともあったものの、何らかの形で折り合いをつけたり乗り越えてこられたということなのでしょうが、どうしようもなく思いつめるときの絶望というのは、状況次第では誰もが抱き得る感情なのかとも思います。

ではどうやって人は絶望していくのでしょうか。たとえば、原因となるような悩みの種類はそれこそ無数にありますが、わかりやすい悩みに限らず、本当に些細なことであっても、思わぬことから頭を抱える日々を送ることになります。
悩んでいるときは、考えたくなくてもいつもそのことを考えずにいられないことでしょうし、ずっと悩んで過ごすストレスであったり、その抱えきれなさや耐えられなさから、早く楽になりたいと願わずにいられないこともあるでしょう。

さらに努力の甲斐なく、報われないままに時間が過ぎていくのではどんどん自信も失ってしまうことでしょうし、もはや頑張ろうにも頑張れずに、周りに迷惑をかけるばかりかと思うと、自分の存在自体が疎まれているに違いないとも思えてきます。
そうなると仮に悩みや問題を克服できたところで、それを望む人もいなければ、自分にはどこにも居場所がない、頑張っても仕方がない、生きていても仕方がない、死ぬしかない、どうせ・・・。
こういった思考の悪循環を1つ想像しましたが、生きることに絶望するとき、もはやきっかけとなった悩みどうこうの話ではなくなってしまっていることが多々あります。

 それは、落ち込むようなときに弱音や泣き言を吐き出したくても誰にもわかってもらえない辛さ、人を頼ろうにも頼れない、信じられないような孤独とも言い換えることができるかもしれません。
これは単なる仮定だけの話ではなく、これまで受けてきた相談の傾向や、こういうことが嬉しかったという相談者からの感想から逆算した例でもあります。

一人で抱えきれない思いや、だれかにわかってほしい辛さ、それがもう死ぬほど深刻なのだということの訴え、原因となる出来事や問題についての悩みというよりも、死ぬほど思い詰めるにあたっての過程でいうところの、孤独そのものが絶望なのだということです。
そのような、わかってもらえなさという辛さをやわらげることができるのは、結局お金でも薬でもなく、わかろうとしてくれる人の存在であり、Sottoでは、どんな事情や状況下においてもそれが孤独に思いつめる相談であれば最後まで理解者であろうと努めることに役割や専門性を見出しています。

 冒頭の質問で言われているであろう医学的な見地においては素人かもしれませんが、そもそも畑違いだというだけで、Sottoは気持ちを受け取り孤独をやわらげるということにおいては専門家であるという自負をもって取り組んでいます。

相談委員長 ねこ

つづき⇒最終回「死ぬことをとめない
マガジントップ「相談委員長の考えごと

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