京都読書会オドラ 第2回読書会『アブサロム、アブサロム!』 開催報告
2024年2月10日にウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!』の読書会を開催したので報告します。
参加者は2名で、それぞれ岩波文庫と講談社文芸文庫で読んできました。また、初読1名、再読が1名でした。また、2名ともフォークナーの代表作の一つ、『八月の光』はすでに読んでいました。
「傑作」であると同時に「難解」と評されることの多い作品ですが、参加者からは以下のような感想が出ました。
・何が起きているかチンプンカンプンで全くわからないとうことはないが、話者が交代しながら時系列を行き来する重層的な語りのせいか、語られる出来事にモヤがかかっているような印象を受ける。読み進むにつれ、徐々に全体像が浮かび上がってくるが、非常に掴みにくい。
・初読時に比べるとアメリカの文化や歴史に対する知識が増えたので、再読で「差別」がより重く感じられるようになった。
・『八月の光』は、光や風の描写が非常に美しかった。『アブサロム、アブサロム!』は、小説が語りでが埋め尽くされ、その迫力が凄まじい一方で、地の文の描写の美しさは、あまり感じられなかった(そもそも地の文がない)。
・トマス・サトペンは「悪魔」と呼ばれもするが、その行動はある程度理解できる部分もあり、悪の権化とは言えないのではないか?
・ヘンリー、ジュディース、ボンの近親相姦的、同性愛的な描写は、どのような意味があったのか?神話的な雰囲気はしたが、中心を構成するようなテーマには思えなかった。読みが浅いのか?
・ジョー・クリスマスの運命が物語の核を構成する『八月の光』と比較すると、『アブサロム、アブサロム!』は非常に脱中心的。サトペンが中心をなすのかもしれないが、その中心はあくまで不在であって、不在の中心を複数の語りによって周縁から埋めていくような印象を受けた。
・『アブサロム、アブサロム!』の影響を受けたとされる作品群について…
ガルシア=マルケス『百年の孤独』は代替わりの物語、『アブサロム、アブサロム!』はある男の一代記である点で異なる。また『百年の孤独』の方がより幻想性、娯楽性が高い。
大江健三郎『万延元年のフットボール』は兄弟の物語が中心で、サトペンのような父は不在だったのではないか?
中上健次『岬』、『枯木灘』は三人称の語りだが、あくまで主人公の秋幸の視点に寄り添っている。複数の語り手、視点が交錯する『アブサロム、アブサロム!』とはかなり印象が異なる。
読書会の課題本とは別に、最近読んだ本、気になった本を、参加者からご紹介いただきました。
上記は紹介された本のごく一部で、懇親会はいろいろな話で盛り上がりました。
第3回の読書会は3月31日(日)19時から、京都市下京区のカフェで、アントニオ・タブッキ『島とクジラと女をめぐる断片』を課題にし開催します。年度末の日曜ですので、分量が少なめでかつしっかり語れそうな本を選びました。文庫で本文120ページの作品で、翻訳は須賀敦子です。初めての方、歓迎です。ぜひお気軽にご参加ください。お申し込みはこちらから受付しております。
読書会は1、2ヶ月に1回のペースで続けていきたいと今のところ考えています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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