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まだBBAになってなかった

 これまでの経験則から、人の本質は変わらないと思っている。自分自身そうだからだ。40歳直前でもウ◯コやおならプーの話題になると盛り上がるし、ドラマでキスシーンを見るとドキドキする。短気な性格は怒りからせっかちにシフトしたくらいで、気の長さは人と比べたら短い。ひとりでいるのが好きと言いつつ、自分だけ誘われないと仲間はずれされたみたいで寂しくなるし、やっぱり絵を描くことや歌が好きで40代こそはそれらの時間を確保したい。

 しかし、変わった部分もある。

 かつては「コミュ力お化け」と呼ばれた私も、最近では人と会うのが億劫だ。なんかのパーティーに行けば誰とでも話せたけど、近頃はそういう類は面倒で仕方ない。人見知りしないものの、少なからず初対面の人には気をつかうから疲れる。なんでわざわざ、はじめましての人に気をつかわないといけないのかとシケたことを思うようになった。昔は「人の出会いは未知なる世界の出会い!」と思って、人との出会いに胸を高鳴らせていたのに。

 これはコロナ禍の影響もあるが、都心への外出欲も大分減った。以前は都会のキラキラおしゃれな場所に身を置くことが好きで、かつて勤務地だった丸の内を筆頭に、銀座や渋谷には頻度高く足を運んでいた。それが今では地元国分寺、いや自宅で過ごすことが多く、都心に行くとガクッと疲れる。都心はたまにでいい。

 昨年までシャカリキに働くことを美徳と考え、バリバリ働く自分を誇らしく思っていた。それが今では、仕事はほどほどにと思っている。以前の仕事に対する情熱がなくなってしまった。

 全体的に動から静にシフトした。老けたように思う。

 それに拍車をかけるのが、見た目の老化だ。白髪は増えてきたし、顔の輪郭も以前よりもボワッとして医療ハイフの必要性を感じる。まだうっすらだけど、ほうれい線が出てきたことが悔しくて、先日1.4万円もするシワ対策美容液を買った。今のところ効いている気がする。

 見た目の衰えは仕方ないとはいえ、内面が大分保守的になってしまった。以前はひとり飲みを愛し、週一でどこか飲みに行っていたのに今では月2回くらいで十分。そこまで飲めないし、賑やかな場所に行くのが疲れた。お気に入りだった店に不義理をかまされて行きたくなくなったこともあるが。

 つまり、昔ほどの活気がないのだ。総じてBBAになったと感じた。

「最近すごい老け込んだわ。前ならさ、こうでこうで〜」とかつての自分との変化を知人に話した。すると、思わぬ回答が返ってくる。

「それさ、老けたんじゃないよ。落ち着いたんだよ」

 目から鱗だった。私はすっかりおとなしくなった自分を婆さんになったと思っていたのに、知人はそうでないことを私に優しく説いてくれた。

「人生いろんな経験を経て知識が広がるでしょ。すると自分の振る舞い方も変わるじゃない。価値観だって変わる。今の恭子さんはいろいろと経験して、もうやり切ったから落ち着いたんだよ。『あの頃はああだったなぁ〜』と思えるのは、次の段階にきたってことだよ」

 なるほど、そうなのか。今の私はBBAになったのではなく、経験したからこそ落ち着いたのか。

 心から湧き上がるような情熱や溢れるばかりのエネルギーがなくなること=老化だと思っていた。ところがそうではなく、何事もある程度経験して満足したから熱がなくなっただけなのかもしれない。確かに、若くても落ち着いている人はいるし、落ち着いているからといって老けているとは限らない。

 活気がないから老けるわけではない。これは私にとって大きな発見である。私と同じように感じている人がいるなら、それは老化ではないから大丈夫だと伝えたい。

 とにかく、知人の言葉によって、まだまだ私もいけると思った。こういう単純なところがあるうちは若々しくいられるのかもしれない。

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