再会と約束の北海道釧路旅行
先日、北海道に行ってきた。目的は会社員時代に一番かわいがっていた後輩に会うこと。10年ぶりの再会だ。
10年会っていないものの年賀状のやりとりはしていた。離婚してから年賀状を書く習慣を手放し、今は受け取ったら相手に送るスタンスでいる。後輩ともそんな感じでやりとりしていた。
いつも通りに元旦に後輩から年賀状が届いた。失礼な話、当たり障りない言葉が書かれているのだろうと思いながら読むと、大病に患ったと書いてあり絶句した。私と1歳しか変わらないのに罹患するには早すぎる。でも病気とはそういうものなのかもしれない。年齢は関係ないと思い知らされた。
詳細は書かれてないのでどんな状況なのかは分からない。どう言葉をかければ良いのか悩んだが、暗すぎず明るすぎない言葉を添えて年賀状を送った。
数カ月経ち、ひょんなことからインスタのDMでやりとりした。そこで詳細が分かった。
腫瘍が見つかった後すぐに手術を受けたこと。昨年から1年間休職していること。今も闘病中だけど夏から復職すること。友人と会うことが活力になっていること。
文面では明るく振る舞っていたが相当に大変だったことが伝わってきた。居ても立っても居られなくなり、早ければ今年、遅くても来年には会いに行くと伝えた。
いや、待てよ。
社交辞令にしたくないから「遅くても来年」と自分に保険をかけたが、言ったからには即行動しないと意味がない。思い直してすぐさま飛行機を調べ、後輩に予定を聞き、翌日にはチケットを予約した。社交辞令には絶対したくない一心だった。
2ヶ月後、向かったのは北海道の釧路。後輩の地元から一番近い空港だ。小さいとは聞いていたが思っていた以上にこじんまりとしている。ロビーに出るとすぐに後輩がいると分かった。
出迎えてくれた後輩は10年前と何ら変わらない。それ以上に、本当に闘病中なのかと思うほど若々しかった。
感動の再会かと思いきや、会った途端話が止まらなくなる。それを笑顔で受け入れてくれる後輩。10年のブランクを感じることなく会話が弾んだ。
今回の一番の目的は後輩に会うこと。観光は二の次だ。そんな決意を覆すかの如く、後輩はツアコン並みに予定を組んでくれていた。
空港から真っ先に絶品フレンチに向かい、食べ終わると予約してくれていた人気のサウナへ。どちらも普段から利用しているとのことで、おすすめのコースやサウナの使い方を丁寧に教えてくれた。到着してすぐさま美味しい食事にありつけ、緑に癒されるサウナで心身をデトックスする。完璧なプランニングだ。
その後、釧路駅の近くにあるホテルへチェックイン。せっかくの機会だからと後輩も別部屋で予約を取っていた。少し休憩してから夜は「釧路の六本木」と呼ばれる末広町で宴を楽しんだ。
翌日は一人で川湯温泉に向かう予定だった。しかし後輩が川湯温泉に向かうまでの間にこれまたばっちりの観光プランを組んでくれていた。朝イチで向かったのはカヌー。釧路川を下るコースだ。
だだっ広い釧路川はまるでミシシッピ川のよう。辺りにあるのは自然のみ。電波は届かないし、音はカヌーを漕ぐ音のみ。再会して以降喋り続けていたが、この時ばかりは自然に浸ることに集中し口数が減っていた。自然しかないと嫌でも日常を忘れられる。久しぶりに心からぼーっとできた。
釧路の大自然を体感できたし悔いはない。前日から十分過ぎるほど観光を楽しんだ。しかし、後輩のアテンドはまだ続く。昼食後に向かったのは摩周湖。一人でも絶対に行こうと思っていた場所だ。
摩周湖は絶対に観たいと思っていたものの、後輩と長く過ごせるなら行かなくてもいいと思っていた。だけど、やっぱり行って良かった。どこまでも続く深い青はため息がこぼれる。時間に限りがなければずっと観ていたかった。
川湯温泉に向かう時間が近づく中、最後にもう一ヶ所と後輩が提案してくれた。車で30分ほどの所にある神の子池に向かった。
本来は私が励ますはずなのに、旅行会社も顔負けのアテンドとホスピタリティで終始もてなされた。ずっと運転もしてくれて申し訳なさと感謝でいっぱいだ。
食事や移動中は本当に話が尽きなかった。これまでの後輩の暮らし、病気の全貌がはっきりと分かった。
どれも想像を絶する話に衝撃を受けたと同時に胸が締め付けられる思いだった。もし私だったら絶対に挫折しているだろうし、人生を投げ出していたかもしれない。だけど彼女は見事に乗り越えていた。尊敬の念で胸がいっぱいになった。
自分の身に起こったことを冷静に受け止め、今この瞬間を全力で生きる。落ち着いて話す後輩は逞しく、ただただ美しかった。運転中の横顔が忘れられない。
大いに語り合ったが、おそらく6割7割は私が話していた。後輩と比べれば平々凡々としているが、会わない間にそれなりの変化があった。会社員からフリーランスになったこと、離婚したこと、今の彼とのこと、地域活動に参加したり司会を始めたこと。会わない間も元気にやっていたことを伝えたかったし、後輩も話しにくいことを話してくれたんだから自分も全部話そうと決めた。何よりも、マシンガンの如く話す私に笑顔で応えてくれるのが嬉しくてずっと話してしまった。
そうだ、この感覚。昔からそうだ。
いつもニコニコと聞いてくれるから私も気持ち良く話してしまう。仕事でむかついたりうまくいかなかったりした時、後輩は優しく話を聞いてくれた。そんなふうに接してくれたから凹んでも気持ちを持ち直していた。年下だから私が引っ張っているつもりでいたけど違う。実際は、いつも私が支えられていたのだ。
世話をしていたと思っていた自分が恥ずかしくなる。助けられていたのは私なのに。きっと、私のように勘違いしている人は多いのかもしれない。さりげない優しさを当たり前と感じていた。自分がいかに愚かだったのかと気づき、反省した。
川湯温泉の宿に到着し別れの時を迎える。あんなに別れが惜しいと思ったのはいつぶりだろう。ずっとこのまま一緒に過ごしたいと思った。これからは少しずつ旅行を再会したいと言っていたので、東京に来た時は絶対に連絡して、後輩の体調が回復したらいつか海外旅行に行こうと伝えた。
たくさんの困難を乗り越えた後輩なら今後は穏やかで幸福な日々が待っているに違いない。もしそうでなければ私は神を恨む。どうか後輩のこれからの人生が輝きに満ちたものになるようにと心から願って仕方ない。そして東京に来た時は、これでもかというほど沢山もてなそうと思う。
再会を果たし、また会う約束をして別れた今回の旅は、忘れられない旅になった。
次に会う時も笑顔で沢山語り合おう。