見出し画像

自分の人生でこの世をどこまで知りたいかを決めるのは自分次第 #60

自分の人生でこの世をどこまで知りたいかを決めるのは自分次第

これは究極の指南だ。
我々はこの世で知らないことの方が多い。これは紛れもない事実だ。
普通と言ったら失礼かもしれないが、普通に生きていたらこの世のことなど1%知れるかどうかであろう。おそらくこの世のことを100%知り尽くしている人間は存在しないと思う。もしかしたら世界70億人のうち特殊な能力を持っている人がいたとしたらそれは例外としてほしい。
12/11(日)には、師匠である崔燎平先生のシークレット講演会に。そこで学んだのは干支や暦についてだ。基礎編と称していたが、こんなにも自分の人生に影響を与えることをなんにも知らなかった。知るだけでなく活用しなくては意味をもたない。
世界で起こっていることも、日本で起きていることもほんの一部の表面的なことしか知らないのだ。

ではどこまで知りたいか?
知らないことを知らないんだからどこまでかは定かでないが(笑)

せっかくなら、7世代先まで語り継がれるようなことまで首を突っ込んでいきたい。

運はリスクが大好物だ。

人生一回しかないし、平凡も波乱もどっちだって一回の人生。ゲームみたいにリセットしてもう一度やり直しはきかないのだから。

話がコロコロ変わるが、貧乏人は暇だからいつまでも貧乏人をやっているんだと。
賛否両論あるので深掘りはしないが事実のようだ。

学校教育にしてもしかり、全国ほとんど同じ教育。金儲け、起業、働き方、社会に出てからのことなんかひとつも教えない。
あと10年くらいしたら現役で進学する方が珍しくなるんじゃないか?とも思えてしまう。
正直、高校や大学で勉強した内容のどのくらいが実社会で活かされているだろうか?
社会に出て13年間円周率を使ったことがない。できなきゃあんだけ文句言われたのに。
実社会に出て勉強が必要になったら学校に通う順番でも良いんじゃないかと。だっていくら机上の空論を一生懸命勉強したって使う場所がないじゃないか。
社会に出たらっていくら言ったって出なきゃわからないことばっかりだよ!

さいごに。

人は死んだ時なにが残るか?
お金か?車か?家か?思い出か?

魚は命があるときは一匹で命がなくなると一尾
犬も命がなくなると一頭
鳥は一羽
おそらく最後に残る部分が由来のようだ。

人間は命があるときは「人」
命が尽きたら「名」
人間が死んだ時に残るのは「名」である。

30代、小さな子を持つ同世代の仲間よ。
今自分が亡くなったら何が残る?

自分の父親は42歳でこの世を去った。
当時は中学3年で14歳だった。
家や大学まで行かせてもらえる資産を残してくれた。一方で父親のことはほとんど知らなかった。どんなことを考えて生きていたのか、夢はなんだったのか?友達や尊敬してる人はいたのかどうか。正直わからない。おそらく母親も大して知らなかったんだと思う。

今子どもたちには、自分の尊敬している人に積極的に会わせている。新しい経験をさせている。1回話を聞くのに1万円はかかる話も聞かせている。今はわからなくてもよい。いつかその時の話が聞いてみたくなったらすぐに行動に移せる選択肢になるだろう。
このブログもその一環ではある。日常から何を考えてどうやって生きていたのか。そして生きている過程でどんな変化があって、何を成し遂げられたかなど追って見てみるとおもしろいのかもしれない。
終わりはないだろうし、終わるときにはそんなときだろう。

これからもできる限り毎日書き記していくつもり。がんばれ自分(笑)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?