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「noteが書けない病」の打開策

タイトルの通り、私はここ数ヶ月、noteの記事が書けないでいる。

なぜ書けないのか?をnoteに書くことで、noteが書けない病から抜け出せるかな、という狙いで記事にしてみている。

  

書こうと思えば記事は書ける

いきなり矛盾していることを言うと、私は文字を書くことが苦ではない。

小学校の頃から国語は得意で、作文はほぼ毎年文集に掲載され、中学校の頃には弁論大会の代表に選ばれたり、税についての作文を書いたときは税務署から賞状をもらったこともある。(これまで生きてきたなかでもらった、数少ない賞状のひとつ…)

なんなら、当時好きな男の子の夏休みの宿題の、読書感想文のゴーストライターを自らすすんで行なったこともある。(しかも、私が書いたのがバレないようにあえてヘタクソな文章にしたり、小賢しいことをした記憶も… 当時の先生、ごめん…!)

そんなこんなで、大人になった今でも文章を書くことはそれほど苦とは思わずにいる。ただし、ただ文字を書きつけるだけなら

その証拠に、途中まで書いた記事(下書き)が、今書いているこの記事を含めると、実は21記事もあったりする。

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↑下書きでソート済の証拠画像(左上の数字に注目)

改めて見てみると、21記事分も書くネタがあるんかい! と自分にツッコミを入れたい気持ちになるけれど、それでも記事として公開できていないのには、いくつかの理由が考えられる。
  

「上手な文章を書かなくては」の呪い

間違いなく、記事を公開できない最たる理由はこれ。

頭のどこかで「一定レベル以上の上手な文章でなくては公開なんてできない!」という呪いを、自分で自分にかけていると思う。

これまで、仕事として文章を書く機会も多々あった。サイトの見出しやリード文にはじまり、メルマガや商品紹介、ブログやオウンドメディアやSNSへの投稿等…。

例えばオウンドメディア記事を作るとしたら、カスタマージャーニーから情報ニーズをさぐり、キーワード調査のもとSEOに配慮したキーワード設定を行ない、文字数は1000文字以上で、文章のトーンを定め、ひらく言葉を決め表記ゆれにも気を配り、引用ルールも意識して、誤字脱字がないかのダブルチェックも行ない…など、気にかけることが多々あった。

そのときの経験が無意識に働いているのか、

「読み手からしたらこの記事は有用なのか?」
「こんな文字数じゃアップできない」
「自分ひとりでのチェックで大丈夫?」

などなど、不安な思いにかられ、慎重になりすぎてなかなか公開できない、というループに陥っているのが現状なのだ。
    

記事が塩漬けにされるもうひとつの理由

前述の通り、意外とストックはある。しかし、それが公開できず塩漬けになっていく理由がもうひとつある。

それは、記事のネタの鮮度が落ちてしまうこと。

ここで言う鮮度とは、タイムリーなネタ(イベントレポートなど)の公開タイミングを逃したということはもちろん、書いている私自身がその記事のネタについての情熱を失っていくということも含まれる。

なぜ鮮度が落ちてしまうかと言うと、これもやっぱり最初の理由である「上手な文章を書かなくては」の呪いが関わってきてしまう。
こんな文章じゃ公開できるレベルまで達していない! と、文章をこねくり回している間に時間が経ち、あれよあれよと鮮度が落ちてしまう悪循環に陥ってしまうという仕組み。
  

noteを公開する目的を忘れるな

今、私が書いているnoteの記事は、厳密に言えば仕事ではない

どんなにつじつまの合わない、文章としたら稚拙で破綻した記事を公開したとしても、それで自分が何かペナルティを受けたり、クライアントに損害が発生するということはないはず。
(むしろ、自分の評価目標に組み込んでいるため、記事をまったく書かないことの方が問題が出そう…)

これまでは、仕事として記事を書くことは、直接的・間接的問わず「クライアントの言葉」となる責任が生じていた。
もちろん、自分の評価や給料に反映されることもあった。だから気合いも入って、中途半端なものは公開できないというプレッシャーにもなっていたのだと思う。

私がnoteの記事を書くそもそもの目的はなんだったのか?

それは、仕事としてのクオリティや責任、プレッシャーなどを感じるためではなく、アウトプットのスピードをあげることや、UXライティングの実践、自分の学習の定着などが目的だったはず。

本質を見誤って、記事を公開できないことが一番の悪なのではないのか? と、自分に問い詰めてやりたい。
  

書けない病の打開策はひとつだけ

こと自分のnoteに限って言えば、もっともっとラフに、ライトに文章を公開してもいいと思う。稚拙な文章でも、短い文章でもいいじゃない。
書けないなら、書けないなりの文章をどんな形であってもとりあえず公開する!
それが「書けない(公開できない)病」の唯一の打開策なのではないかなというのが、今の私の結論。

自分が書きたいこと、人に伝えたいと思うことがひとつでもあれば、それを言葉にして公開することで、誰にも見られずとも、少なくとも自分の頭の中の整理はかならずされるから。

自分で自分に枷をはめて、あろうことかその枷を大事にぴかぴかに磨き上げていたかのような、「うまく書かなくては」の呪いに縛られてしまう方がもったいない。

この記事を書き、公開することによって、来年の自分はもっと気楽にスピード感を持ってnoteを書くことができるようになれるといい。
この記事がその呼び水となりますように…!

(気楽にと言いながら、結構な文章量書いちゃってるけど気にしない!)

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