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ドビュッシーの誕生日-からの考察

 8月22日はフランスの作曲家ドビュッシーの生まれた日。
ドビュッシーは、その色彩感豊かな音楽からフランスの印象主義の絵画と結びつけて考えられることが多い作曲家です。
他にも日本の葛飾北斎、また視覚芸術以外にはパリ万博で出会ったインドネシアのガムラン音楽にも影響を受けたと言われています。彼の音楽は美意識が非常に高く、曲によって聴こえてくるエキゾチズムは西洋と東洋を融合させた美しさをまとい、アジア人の私たちにとっても魅惑的な音楽です。と、ここまではよく知られたドビュッシーのプロフィールです。

 ところで日本のピアノ関係者と話していて、「フランス音楽は感覚的に捉えて、そしてふんわりぼかした音色で弾けばそれっぽくなる」と思っている節があると感じることがあります。その都度訂正するのも面倒なので聞き流していますが、実際に「ふんわりぼかしたような」とは、対極と言えるキャラクター(?)を持つフランス人が弾くフランス音楽やドビュッシーは少し違います。緻密な響きの構築や、あれだけの音数、ハーモニー、そして複雑なリズムを処理して聴かせるには、密度の高い音でくっきりと音の輪郭を描いたり、打鍵のスピードを繊細にコントロールする技術も必要です。それと同時に、印象派の絵画や北斎の版画を見たり、ガムランの音を聞いたり、ドビュッシーが影響を受けたと思われるあらゆる芸術に関心を持ち、ドビュッシー像を彫っていきます。

 フランス音楽は何故か日本では誤解されているように度々感じるのですが、その原因は二つの国のあまりに遠い文化的背景にあるかも知れません。他の外国のことはあまり知らないですが、フランスと日本の二国間においては、お互いの文化への憧れが強い(フランス人も日本文化や食事が本当に好きですから)ものの、誤解があったり、なかなか噛み合っていないところに一筋縄では習得できない「文化」の奥行きを感じます。言語に関して言えば、ここ最近は機械翻訳ツールなどの発達が目覚ましく、私も良い訳文が思い浮かばない時に使います。しかし、いくらきれいな日本語の訳文が出てきても、コンテクストの説明なしには到底伝わらないほど、遠く離れた思考や表現手段を持つ言語だと改めて思うのです。それに機械翻訳は、処理しきれない文章があると、ごそっとその難解な部分を省略して訳文の美しさを優先させることがあるので、現段階ではまだまだ取り扱いに注意が必要です。
 
 言葉そのものの難しさもさることながら、歴史や宗教的な背景が相まって築かれている「文化」を理解しなければ、異国の社会に溶け込んでいくことができないのだとようやく気がついたのは24、5歳の時だったかな…それ以来、何年住んでも十年以上住んでも「これで十分」と思える日は来ず、だからこそ異国文化への好奇心と学びたい欲は尽きることがありません。


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