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波乱万丈の幼少期:猛烈劣等感主婦10年→7桁起業家への軌跡①

「京子さんから学んで人生変わりました!」
「起業塾3つ目でやっと本物のコンサルに出会えました!」
「私を心の底から変えてくれて、収入も家族関係も大好転しました!」

現在では…クライアント様から
こんなにありがたく・アツいお言葉を
頂いている私ですが…

「起業」なんて文字が
アタマの中になかった頃の私は
産後うつの真っ最中(;´Д`)

自ら選んだとはいえ出産退職の後…

  • 「社会の一員として働く」という道

  • 自分自身の直接労働による収入

  • 家族以外の人との出会い

が、すべて途絶え

社会との断絶感、無価値観
直接的に収入を得ていないという状況に
猛烈な劣等感を抱え、苦しんでいました…

そこからどうやって「今」を手にしたのか?

5話に分けて綴ります

読んでくださっているあなたの
一歩前に踏み出すヒントになると
嬉しいです(^^)


兵庫県の西の端

第1子として生まれた私は
すぐに熱を出すなど体が弱く
よく両親に心配をかけていました。

運動は苦手(;´Д`)💦
走ればコケる、泳げば沈む…
どんくさいにもほどがあるくらい(涙)

動物が好きで、なぜか犬や猫に
よくなつかれていました🐶🐈

楽しみは読書や絵を描くこと。
引っ込み思案のおとなしい子でした。

幼稚園の頃…両親、一時離婚。

「真実の原因」は知る由もありませんが

父はDV・モラハラな面を
母は共依存な面をもっていたので

そのようなことからくる「問題」
だったのだと推測しています。

離縁後、母の里に身を寄せるも…

当時は、片親ってだけで
白い目でみられるような時代でしたから

いわゆる”出戻り”となった母と
その娘である”お荷物”な私は

”けむたい存在”だったのでしょう

親族から”強い風当たり”を受けました。

彼らには”そんなつもり”はなかった
…でしょうけれど

幼い私にはそれらの”強い風当り”は
”いじめ”や”虐待”に値するものとして

強烈な記憶となって
今でも心に深く残っています。

まだ4歳そこそこの女の子にとって
大人男性に抱えられ
窓からなげおとすフリをされることなど
恐怖でしかありませんもの…

(当時は”虐待”なんて概念もなかったですしね…)

あまりに続く”強い風当たり”に耐えね

当時5歳だった私は母に
父との復縁を提案したことを
ハッキリと覚えています。

その間に受けた数々の心の痛みや
ひとり親の経済的・精神的問題が大きさから

幼いながらに
こんな強い思いを胸に秘めながら
成長していきました
↓ ↓ ↓

・もしも自分に子供ができたら
 あたたかい環境で育ててあげたい!

・経済的にも精神的にも自立した女性に
 絶対になってやるんだ!

こんな波乱万丈な子ども時代の強い思いは

私が起業コンサルタントとして
女性の「稼ぐ」をサポートする
情熱の源泉となったのです🌈

小学校入学前に両親復縁

その後も…

DV・モラハラから
クラスメイトによるいじめなど

ありとあらゆる社会問題を
肌で感じながら育った私

高校受験が目の前に迫った14歳の冬

ある「事件」が…‼



▶「Story②襲い掛かる新たな試練」に続きます…


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