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死ぬ日を決めて生きる・非常識な思考

前回、死ぬ日を決めて生きる・葛藤と告白を書いた

自分で読み返して思うけど、非常識だろ!と非難されても仕方ないと思う。

世間一般的に

  • 自死は悪事

  • 自死してはいけない

  • 遺された人のこと考えろ

  • 自己中心的で非常識

  • 迷惑をかけるな(電車飛び込みなど)

など批判される出来事は承知している。私もそう思うけど父が自死している経験から、自死した父を受け入れて赦す思考で自分を救ったからか肯定する部分もある

といっても肯定できたのは自分に希死念慮が強く出てきたから、それこそ自己中心的で非常識なのかもしれない。

しかし『死ぬ日を決めて生きる』ことにしたらその日までは懸命に悔いなく生きる気力が湧いた。迷惑をかけない死に方を模索しながら若い人に遺せる為のスキルアップも重ねていく。

その反面、やはり自死をしてはいけないと心底思うこともあり苦しむことになる。例えば

  • 自分より辛くても頑張っている人がいる

  • 身内が悲しむ、迷惑をかける

  • 地獄に堕ちる

  • 現実から逃げた弱虫、無責任

など踏みとどまるたくさん出てくる(正直自死したい人はそういう葛藤で長らく苦しんで頑張っていきたけど周りに配慮出来ない状態になった時、運悪く咎めるものがそばになく自分から周囲を遮蔽して実行してしまうのだと思う)

私の場合、祖父が戦争帰還者の1人であり、戦争を語らない笑わない、ただただ仕事をする寡黙な祖父からうっすら聞いた極寒で苛酷な毎日、そこで生き延びて帰国して母が産まれている。

大人になってシベリア抑留を学ぶと祖父の話からシベリア抑留者だったと知り(知ったのは祖父が病死した後)生存してかなり貴重な命を繋いでもらったのだと思っている。

祖父や祖母の兄弟も何人か戦死しているので、自死したいと思う自分は甘いし先祖不孝だとも自覚する。我慢して、気合い入れて、ありがたく生きなきゃと喝が入る。

でも苦しい。

自死はよくないとわかっている、だから葛藤と告白だった。

おじいちゃん、生きて帰って来て母が産まれて一生懸命働いて孫の私に学習机買ってくれたりお年玉くれてありがとう。

年に一回しか会ってなかったけど毎日おじいちゃんが作ったお米で育った幼少期、身体の基礎力があがりました、本当にありがとう、摂食障害になったり命を粗末に考える非常識な孫でごめんね。

死ね日を決めると楽だからこのまま非常識な思考で生きてその日が来るまで人の役に立てるよう頑張るよ

※こちらの記事の続きです↓

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