不老不死と死ぬことの幸せ
今日から不食です
わたしが勝手に言うことで科学的な根拠はありませんが、もう不老不死は数年前に可能になっています。
今地球で肉体を持って生きている人の中からひとりくらいは、これから何千年も生きるかもしれません。
「それって結局死ぬんじゃん?」
と、言いたい人もいるかもしれませんが、宇宙の成長やテクノロジーが発展すれば、自分の分身を他星に住ませたりして、テレポートで行き来出来たりして、いくらでもアバター(肉体)は複製や再生が可能となります。
また、宇宙においても寿命があると言われますが、これも同じ雛型なので、複製と再生が既に可能になっているのです。
ですから、もう既に不老不死は本当に可能で、またそうなる人もひそかに現れるでしょうし、
遥か未来は死ぬことの捉え方や価値観は大きく変わるでしょう。
わたしは死ぬことはとても幸福であり、涙で言葉にできない感動する世界であると知っています。
ただ、死ぬにしても超長生き(不老 & 数百年、数千年)にしても、
自分を生ききることがわたしは大切だと想っています。
ただ事故とか病気とかで死ぬのではなく、道半ばで死ぬのではなく、
己だけの、己にしかない生を完全にやり切って、綺麗に消えてゆくのです。
輪廻転生なんて言葉概念もありますが、何か学び切れないから輪廻転生して何度も同じようにグルグルしているのではないでしょうか。
だから、つまり、
死ねない時代になれば、現在の身体で何かを学び切れなければ、死ねない。
もし、それが病気や自殺で己から逃げるならば輪廻して、もっと厳しい生まれになって、やり直し。
だから、不老不死になっても安易に死ねない。
生をやり切るしかない。
社会への関心は人それぞれの度合いはありますが、少なからず自分自身には本気で向き合わなければ、死ぬこともできず、
なんか苦しい日常が何千年と続けなければならぬ人もいるかもですね。
何はともあれ、己が本気で生きれば良いだけです。
社会が移り変わろうと、寿命がどれだけ伸びようが、死後の世界が分からなくとも、
ただ、己に対して本気であること。
そのひとつだけやれば、己の人生の最大値ですから、いつか必ず綺麗になって、あなたは星の果て、宇宙の果て、源になるでしょう。
わたしの戯れ言日記ですが、これがわたしが追究してきた一部です。
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