「よい先生」を見抜くたった1つの視点
こんにちは。
こんばんわ。
おはようございます。
日々のお仕事お疲れ様です!
共育LIBRARYというブログを運営しているりょーやん、元教師です。
皆さんは、今までの人生で「忘れられない先生」に出会ったことはありますか?
筆者は10年間、小学校教員として働いていました。これまで出会った同僚の先生は130~140人。
その中でも、1~2割は、子どもたちや保護者から圧倒的に支持される先生が存在していました。
一生懸命やっている先生はたくさんいます。しかし、その全員が圧倒的に支持されるわけではありません。どこでその違いが生まれるのでしょうか。
今回の記事では、「よい先生」「大多数の人から支持される先生」を見抜くたった1つの視点を紹介します。
よい先生を見抜く視点とは?
ズバリその視点とは、「子どもに要求することを自分もやっているか」というものです。
事例を3つほどあげて考えてみます。
❶宿題・勉強
例えば、「宿題をしなさい」「勉強をしなさい」という言葉掛けです。
宿題は、学校の勉強以外で行う+αの学習です。
学校で授業を受け、生活をするというのは、大人の世界で言えば会社で働いていることと同じことです。ということは、子どもは会社勤めは終わっているのに、家で残業をしていることになります。
そのことを意識している先生は、必ずといっていいほど、勤務を終えてからも自分で勉強をしています。
教育界には、「学び続けている教師だけが教壇に立つことができる」という言葉があります。
常に本を読み、休日も自らの時間を使いながら少しでも勉強する。そのような先生は、どんどん力を付けていきますし、話も知性的・魅力的になっていきます。
それを何年も続ければ、周囲からいい意味で一歩抜きんでて、支持されるようになっていくのは当然といえます。
「子どもたちも家でがんばっているんだから、自分もがんばらないと」
という気持ちで子どもに接していることが当たり前になっている先生。そのような先生は「宿題ができなかった」という子どもにも、「そういう時もあるよね」と心から言えます。
「この先生は普段から自分でも勉強をしている」ということは、言葉にしなくても、子どもたちや保護者に伝わるのです。
❷陰口を言わない
よくクラスで「グループ外し」や「ひそひそと陰口を言う」という問題が発生します。
そのような問題があったときに、教師は「陰口は言ってはいけません」と指導します。
ただ、職員室に戻ると、同僚の悪口、陰口を言っている人が一定数いるのが現状です。中には子どもの悪口を言っている先生もいます。
筆者が教員になった当初は、「『子どもに陰口を言ってはいけない』と言いながら自分は言っている。それは子どもを裏切る行動なのではないだろうか?」と考えていました。
ただ、長らく学校現場に勤めていると、どうにもならないストレスが蓄積され、いつか爆発するということも分かりましたし、そのようになった先生を何人も見てきました。
よって、「適度なガス抜きとして愚痴が出てしまうことも仕方がない」と思うようになりました。
人間だから、愚痴が出てしまう時もあります。それは当然です。
ただ、「健康なメンタルを保つためにやっているのか」「陰口や愚痴自体を楽しんでいるのか」の両者では、雲泥の差があると思っています。
愚痴をこぼしたり、陰口を言ってしまった場合は、「しまったな」と思って、すぐに切り替える。それが出来ている先生は、やはり普段からマイナスの発言が圧倒的に少ないです。
中には、自分は一切の愚痴をこぼさずに、同僚の悩みを一心に聴いている神様のような人もいます。(くれぐれも無理はしないでほしいと思いますが・・・)
そのような先生のクラスは、圧倒的に温かく、知性的で、思いやりがあり、まとまりのあるクラスである場合が多いです。
子どもたちの目の前では皆、悪口や陰口を押さえていたとしても、舞台裏でそれを言っているかどうかは、やはり普段からの関わりで子どもたちに伝わるのだなと思います。
❸周囲の人を幸せにしていこうという姿勢
最後は、「周囲の人を幸せにしていこうという姿勢」についてです。
なぜ勉強するのか。なぜ人との協働生活を学ぶのか。
それは「自立」していくためでもありますが、最終的には「周囲の人を幸せにする」ことにつながると思います。
勉強して、少しでも役立つ知恵を身に付けたのならば、それを使って周囲の人を助ける。
人を思いやる力をつけてきたのならば、温かい言葉で、人を励まして心を軽くする。
そうやって、周囲の人に少しでも分け与えようとする人の元には、また温かい人たちが集まってきて、幸せの輪が広がっていきます。
人生は外に投げかけたものが返ってくる。
人に与えるような「GIVE&GIVE」を心掛けている人は、同じように自分の幸せを分け与えたいという人が集まってくる。逆に人からもらうことばかり考えている「TAKE&TAKE」の人の元には、人から与えてもらうことばかり考えている人が寄ってきます。
これは、「類は友を呼ぶ」「馬が合う」「波長が合う」といった、様々な言葉で古来から表現されてきました。
そのことを分かっている先生は、子どもたちに指導するときにも、「それは誰のためにやっているのか」という視点をもって教え、子どもたちに人生を豊かにする知恵を伝えていきます。
もちろん、職員室でも周囲に困っている人がいれば、できる限りのことをして、少しでも力になろうとしています。
そうやってどんどん味方が増えていき、常に楽しく幸せそうにしている。子どもたちもその姿を見ているので、自然と真似していく。
そんなサイクルが出来上がるからこそ、「もらった幸せを先生にも返したい」という子ども・保護者が集まり、人気や支持が膨れ上がっていくのです。
まとめ
小学校教育では、「3学期の子どもの姿は、その先生自身の良さと課題の鏡である」という言葉があります。
1日6~7時間を、年間200日。それだけの時間を一緒に過ごしていると、子どもたちは段々と担任に似てくるのです。
人の脳には、ミラーニューロンという神経細胞があります。ミラーニューロンは、視覚で捉えた情報を無意識のうちに真似るような神経細胞です。
人の見た目には、予想以上にその人の内面が表出します。自信がある立ち振る舞いか。1つ1つの所作に温かみがあるか。表情豊かか。愛情あふれる目か。
「人は見た目が9割」という本がありますが、「容姿の美しさ」というよりも、「内面情報が容姿に現れる」からこそ「見た目で決まる」と考えるのが正しいと思っています。
「子どもたちに言うことは自分もやろう。現段階でできないことがあっても、少なくとも努力しよう。」
そのような先生の「エネルギー」を200日間、1200~1400時間浴び続けた子どもは、「いい先生だ!」と支持するのは当然ですし、保護者にもそれが伝わるのだと思います。
もし、そのような先生に出会ったのであれば、それは非常に幸運なことです。一生の内で一人出会えるかどうかだと思います。
だからこそ、その先生とのつながりを大切にし、「限られた時間でできるだけのことを学ぶとよい」ことを子どもにも伝えてみてはどうかと思います。
筆者も、現在、療育という子どもに接する仕事を行っているので、「子どもに要求していることを自分もやっているか」という視点を胸に刻みながら、日々、仕事をしていこうと思っています。
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