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ハムストリング断裂からの復帰

この前怪我に関しての記事を書いていたら自分で怪我の多さに驚いた木村恭平です。
数々の怪我の中でも一番大きかった怪我の一つ、ハムストリングの腱断裂。
ここのリハビリについてお話しします。

①受傷経緯

そもそもこの怪我の1ヶ月くらい前に同じ右足のハムストリングを肉離れしていました。 そこの怪我を抱えながらAリーグのチーム、シドニーFCとウエスタンシドニーワンダラーズとのフレンドリーマッチが組まれていて、そこの試合にも無理やり出場して、リーグ戦はでないという無茶苦茶な状況でした。  

確かに2014年の前期リーグでは全試合フル出場しましたし、その前の年にもシドニーFCとウエスタンシドニーワンダラーズとのフレンドリーマッチがありましたが、シドニーFC戦ではマッチアップしたパナマ代表の選手を完封して、シドニーFCから興味を持たれたこともありました。(ワンダラーズ戦でやらかしてそのお話しは無くなりました。試合後に何も言われなかったので) それもあって必ず出ろと経営陣からも言われましたが、正直出れるほどのコンディションではなかったと思います。

それなのに無理矢理でて、週末のリーグ戦も出ておそらくケアが全く足らなかったのかと思います。 ただ怪我をしたバヌアツ戦もこれらの試合も出たことに対しての後悔は全くありません。 

そうして2014年の7月30日に大怪我を負いました。元ルマンのフランス出身の選手が家まで送ってくれて助かりました・・・。

②帰国から手術まで

怪我をしてすぐにただ事ではないのがわかったので、まず朝にGPと呼ばれる総合診断医(だっけな?)に診察していただき、すぐMRIでの画像診断が必要ということですぐに通訳さんと一緒に向かいました。 診断後に何か問題があったら次の日に電話するね、と言われて家に帰ったらすぐ通訳さんから電話きました。 

「やばいらしいですよ」 と。

まあちょっとひどい肉離れしたとかそんなものでしょとか思いつつ次の日にまたGPさんのところに行くと、通訳さんがくらい顔して一言
「筋肉と腱の境目付近が切れてる」と。
自分は医学の専門用語がわからず、tendon、という単語が何回も繰り返されるから、なんで天丼が関係あるんだ?と思ってしまい、全く英語が入って来ず、通訳さんの一言で察しました。 やばいやつだって。

そこから提示されたのがシドニーに残って手術か保存療法。そもそもこの怪我は保存療法で治らないのでなぜ保存を提示したのかは謎ですが。
そうして大学時代にお世話になっていた先生に相談したところ、手術した病院を紹介していただきました。 その病院の先生にMRI画像を送ったところ、即手術しようと。ということで一番早く手術できる日程を抑えてもらい、8月15日に手術を。 でもその時が8月8日。すぐに航空券の予約、住んでいるシェアハウスのオーナーさんに帰国の旨を伝えて、8月14日に帰国することになりました。はい、成田空港についてそのまま入院です。 

飛行機も大変でした。何しろ椅子に普通に座ることができませんでした。
体を傾かせて着かないようにしないと痛くていてくて・・・。たまたま席が空いていた所があったから横になることやクッションを借りて座ることができました・・・。

③手術からリハビリスタート

8月15日に人生4度目の手術。手術自体は慣れていたけど、画像見たいな感じで常に冷やさないといけないから寝返りができず・・・。

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今見ても懐かしいです。 これを確か手術してから1週間は常にやっていました。そこからは冷やさなくても大丈夫で、松葉杖で歩き回ってました。あの時よく話してた看護師さんたち元気にしてるかな・・・笑 
それでやっと8月末に退院。 

9月は何もできず、電車移動しても椅子を譲ってくれる人もいないのは衝撃でした。まさか優先席行っても譲ってくれないとは・・・。なんのための優先席だよって思ってたこともあります。

そして10月頭くらいからリハビリスタートしました。思い起こしてもしんどい・・・笑

④リハビリ

最初はもう全てが右足と左足で感覚が違うわけで。ストレッチもできない、階段もフラフラする、少し長く歩くだけで痛みが出る。 ここまで何をしてもきついのは初めての体験でした。 
筋力が戻ったり柔軟性が出たりなんて突然できることなんてありえない話で、毎日やっても全然変わらない、2週間でやっと少しできるようになったとかザラでしたね。 しかも痛くて力が入らない日があり治療のみの日もあって、今後が不安になることも結構ありましたね。もちろん復帰した時にこれまで以上って気持ちもありましたが、まだ走ることができない時くらいが一番メンタル的にはしんどかったです。あの時に彼女いたら・・・、楽な方に流されそうだからいなくてよかったのかな。支えてくれたらよかったけど。
確か走り始めたのが11月くらいですが、その時は施設内の重力操作で体を軽くした状態で走っていたので、実際にグランドで走ったのは12月だった気がします。その時点でもう4ヶ月近く。 ボール蹴りたいな・・・、とよく思っていましたね。 
ただダッシュなどはまだ先の話。 筋力がちゃんと戻らないと危ないですからね。
筋力の1回目のチェックをしたのも年内でした。

⑤試合復帰

先ほど挙げた筋力チェックで90%戻らないと試合には復帰できないと。確か1回目では届いていなかったと思います。 そこからはとにかく追い込まれてたきが・・・・。 下半身はもちろん上半身もそうですし、腹筋のトータルの回数もただでさえしんどいのに、年末は確か倍近く・・・。クリスマスプレゼントって言われた気が・・・笑

そんな事を繰り返し、シドニーに無事戻り最初に試合出たのが2月頭のプレシーズンマッチ。予想外に動けなくて絶望した気がします。あれだけやってきたのに・・・って。 それでも試合復帰できたことには変わりないので1歩踏み出しました。 ただ出場機会がないままRamsを5月にクビになしましたが・・・。
それが2015年絶望2回目です。

⑥完全復帰

そこで去年の監督からの紹介で同じリーグのBankstown City FCに移籍できました。 このチームは元オーストラリア代表選手を始め素晴らしい選手がいながらも加入当時は12チーム中9位とやばい位置にいました。 そこで今までの経験を買われて加入しました。 そしたら僕だけでなくRams時代に仲が良く怪我した時に家まで送ってくれたフランス人も同時加入。 そしてキャプテンが長期の出場停止から復帰。 自分もとにかく練習で走るトレーニングが多かったのと、どんなにプレーが悪くても使い続けてもらえたおかげでコンディションが良くなり、チームは自分が加入した試合を境にリーグ戦10試合中1負けと1引き分け、それ以外は全て勝てました。

ただその連勝中にやはり痛みが出たり疲れが出たりでスタメンを外れることがありましたが、これも監督の予定通りだったみたいです。リーグでの優勝が無理だからプレーオフ優勝を目指しコンディションを整えさせる。 
そのおかげでプレーオフは超変則なトーナメントで4試合プレーしたのですが全試合フル出場で2得点をあげることができ、優勝はできなかったけど昨年からのリハビリが多少報われた結果になりました。

結果試合復帰まで6ヶ月、完全にコンディションが上がりきるまで9ヶ月でした。もちろんそこまでいったのはチームの完全なバックアップがあったからこそです。この怪我でのどん底の経験は今後の人生の役に間違いなくたつと思います。

今怪我している選手も、その怪我があったから今があると思えることはいつの日か絶対にあります。 怪我に負けず、希望も持ってリハビリに取り組みましょう!

長文になりましたが読んでいただきありがとうございました。
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Kyohei Kimura
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