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【掌編小説】特殊能力シリーズその3・父の歌 

 私の亡き父親は特殊能力の持ち主だった。美しい歌声であらゆる人間を魅了することができたのである。
 船乗りたちを惑わして海に引きずり込んでいたという、古い叙事詩に出てくる例の半人半鳥と同じ能力だ。が、父は上半身も下半身も人間だったし、海より山が好きだった。そして何より、人前では決して歌わなかった。
 父の能力を知った人が「ちょっとだけ歌ってみてくださいよ」と興味本位で言ってくることもあったが、父は「伝説みたいに美しい生き物ならともかく、こんな中年のおっさんに魅了されたいですか?」などと冗談にまぎらわして逃げていた。それでもしつこい相手には「特殊能力保持者安全注意義務というのがありまして。みだりに能力を使ったら、私も、それを勧めたあなたも法律違反になるんですよ」ときまじめに説明していた。

 そういうわけで、私が父の能力を目にしたのは一度きりである。
 父は若い時分は本格的な登山をしていたらしいが、私が物心ついた頃にはハイキング程度の低山にしか登らなくなっていた。私もよくそれに同行していた。
 小学五年の秋だった。父と二人、紅葉目当てで山登りに出かけた。時期が早かったせいか、まだ葉は青々としている。人出も少なかった。
 そのため、少し前方を歩いているその若い男性はすぐに目についた。ハイキングコースだというのに、不似合いなスーツ姿。足取りも力なく、うつむいて山道を登ってゆく。
「お父さん、あの人、なんか変だね」
 父もうなずき、足を早めてその人に追いつく。「こんにちは」と声をかけると、「こんにちは」と返事はあったが、暗い声だ。
「良いお天気ですね」
「おひとりですか」
「私は息子と一緒でしてね」
 話しかけながら、横を並んで歩く。男性は目を合わせず生返事をしていたが、やがて、
「あの、私、少し休んでいきますんで……」
 と、こちらを振り切るように脇道にそれてしまった。父は「ここで待っていなさい」と言い残し、静かに後を追いかけた。しかし一人で残されると、心細くなってしまった。私も脇道に入る。
 藪をかき分けて進んでいくと、広めの空き地に出た。父の背中、その少し先には、先ほどの男性の背中。その先には――道がない。崖だ。
 男性は鞄を地面に置き、今にも飛び降りようとしていた。自殺だ、と体を強張らせた瞬間、父が振り向き、「耳をふさいで!」と鋭く言った。
 
 とっさに手で耳をふさいだが、それでもかすかに聞こえてきた、父の歌声。
 その時の陶酔感をどう表現したらよいのか、今もってわからない。ただひたすらに心地良い多幸感。この歌声さえ聞いていられたらほかに何もいらない、という境地。
 気がつくと、男性が父にすがりつくようにして泣きじゃくっていた。
「もう絶対に、自殺なんかしません」
 そう誓う男性の背中を、「そうだね、絶対に死んじゃいけない」と撫でてやっている。
 良かった、お父さんの歌の力でこの人は助かったんだ、と私も嬉しくなった。

 ……と、ここで終われば、美談なのだが。
「お父さん。このお兄さん、自分の家に帰らないの?」

 なぜか、男性が山を下りてもずっとついてくる。ひどく嬉しそうに微笑みながら、父の隣にぴったりと寄り添っているのだ。
「あのな……歌で魅了された人は、お父さんのそばから離れられなくなっちゃうんだよ」
「え? まさか一生?」
「一生じゃないけど、歌の力が切れるまでは……たぶん、三年くらいかな……」
「三年!? 長い!」
「そんな、三年なんて言わずに、一生おそばに置いてください! 僕、お父さんのそばにいられるなら何でもします!」
 きらきらした目をして男性が叫ぶ。
「何言ってんの、お兄さんのお父さんじゃないだろ!」
「いえ、命を救っていただいたんですから、親も同然です! これからはお父さんと呼ばせていただきます!」

 結局、その男性は五年間、家にいた。
 僕はわりとすぐ慣れてしまい、彼とも結構仲良くやっていたのだが、母は文句の言い通しだった。まあ、家に働きもしない居候がいて、自分の夫のそばに四六時中くっついていたら、腹が立つのもしかたない(父は個人で設計事務所を開いており、自宅が仕事場を兼ねていたから、仕事中も男性は父のそばにいた。一応、それなりに手伝いはしていたらしい)。
「あんたは小さかったから覚えてないだろうけど、これが初めてじゃないのよ」
 母いわく、山で心中しかけていた親子三人を連れ帰ってきたことがあったらしい。その時は三年間だったとか。私は二歳かそこらだったが、言われてみると確かに、知らないおじさんとおばさんとお姉ちゃんに家で遊んでもらってたな、とうっすら記憶に残っていた。親戚か何かかと思っていたのだが。
「あの頃は本当に、こっちこそ心中したい気分だったわ」
 今でも折に触れて母はそんなことを言うが、その口調は懐かしげで、どこか嬉しそうですらある。
 数年前、父が死んだ時、葬儀に「父のおかげで命を救われた」という人が十人も駆けつけてくれた。もちろんあの男性も、親子三人もいた。雪山で遭難して諦めかけた時に父の歌が聞こえてきて生き延びられた、という人もいた。皆、とうの昔に歌の魅了の力は切れているはずなのに、棺に取りすがって泣き、感謝の言葉を繰り返していた。
 あの光景を思い出すたび、私は父を誇らしく思う。そして自分が父の特殊能力を受け継がなかったことを、ほんの少し、残念に感じるのだ。ほんの少しだけ、ではあるが。

(了)


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