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理解の先に…

私は、不登校を約10年間経験してきました。

小1から行きしぶりをはじめ、そこからずっと不登校。

だからといって、完全に学校に行っていなかったわけではなく、行けるようになったり行けなくなったりの繰り返しを10年してきました。

そこから不登校じゃなくなったと思ったのは、元々は全日制の高校に通っていた私が、通信制高校に転入してからのこと。

学校に行かなくても、レポートを出して単位をとっている。だから私は不登校ではなくなった、と思っていました。

転入してから2カ月。

スクーリングに参加しました。

私にとって、大の苦手な学校という空間。

やっぱり私は全日程を参加できたわけではなく、4日あった中の最初の2日しか参加できませんでした。

それは、私にとって失敗の経験として頭の中を埋め尽くしました。

私には無理。

その言葉が頭の中をグルグル駆け回り、とうとう私の心は、限界に達してしまいました。

ご飯とトイレ以外は、ずっと布団の中。

転入してから頑張っていたレポートには一切手をつけられなくなってしまいました。

せっかく転入して、もう不登校じゃなくなったと内心喜んでいたのに、

私はまた不登校。

もう立ち直る方法など、誰も見つけられません。

親は、勉強なんかいつでも出来る、とそっと見守り学校を強制させられなかったのが救いでした。

でも、私は誰に何を言われようが焦る一方。

そんな頃、私はある人と話をしました。

その人は私が中学生の頃、別室登校をしていた時の先生。

その先生がいたから私は登校出来ていたと言っても過言ではないです。

そんな先生は、卒業してからも私を気にかけてくれていました。

そこで、私はその時の状況と思いを話してみました。

私 「今、学校のことに手をつけられていない状態。でも、ちゃんと高校は3年で卒業したいと思っている。だから焦っている。」

そこから先生が話してくれたことが、私の心を動かしました。

先生 「私は、3年で卒業しなくてもいいと思う。だって、○○ちゃんはやるときはやる子だから、今はゆっくり休憩してたらいいんじゃない?」

これを聞いた時は、「やっぱりみんなそう言うよな」くらいにしか思っていませんでした。

でも、そこからまた先生は私と一緒にいた中学生の頃の話をしてくれました。

先生 「○○ちゃんは、自分で決めたことは最後までやり遂げる力がある。」

これは、私の性格を知り尽くしてくれていた先生だからこそ言えることですす。

これこそ、先生が3年で卒業しなくてもいいと言ってくれたきっかけだろう。

多分、先生も自分が背中を押すよりも、私が自分で何事も決断する方がいいのを分かっていたのでしょう。

私と3年間、色んなことを乗り越えてきたからこそ分かるんだと思います。

そんな会話で、私の心の中はなんだか軽くなっていきました。

自分の中で腑に落ち、なんだか私はもう学校のことなどどうでもよくなっていました。

それから1か月、私は先生の言った通り、学校のことも何もかも忘れてゆっくり休憩していました。

毎日布団とお友達、でもちょっとずつ心が元気になってくると外出もできるようになりました。

そうすると、みるみるうちに私の心は元気になり、

なんと!

1か月後には…

レポートを始めていたのです。

実は、レポートが出来るようになったのは、やはりあの時の先生の言葉が関係していました。

先程書いたように、【私は先生の言った通り、学校のことも何もかも忘れてゆっくり休憩していました。】

これが私には合っていたのです。

先生にあの話をされるまではの私は、布団の中で体は休んでいるはずなのに、学校の事ばかり考えることで焦るばかりで、実は心の中は休んでいなかったのです。

だから、3年で卒業しなくちゃと気をはっていた心が楽になり、パワーを溜めるきっかけになりました。

レポートを始められるようになったのは、焦ることがなくなり、パワーが溜まって心が回復したからです。

実際、誰も予測出来なった展開。

ふと、先生が言ってくれたことが、こんなにも早く私の心を動かすなんて思ってもいなかったです。

あの時、先生に話したのも何か期待して助けを求めたわけでもありません。

「先生に聞いてもらいたい」ただそれだけでした。

先生もまさか私がこうなるとも思ってもいなかったはずです。

ただ私が楽に生きられるヒントをくれただけだったのです。

でも、思い返すといつも先生は良いタイミングで良いことを言ってくれます。

確かに、「3年で卒業しなくてもいい」なんて、一般的には無責任なことかもしれません。

でも、私はこのことで気付いたことがあります。

この「無責任な言葉」は、他人にしか言えません。

そして、先生が私にかけてくれたのは、「良い無責任」だったのです。

私のことを理解し、寄り添ってくれたからこその言葉だったのです。

そして、第三者という立場で言ってくれてからこそ私は腑に落ちたのです。

もう学校の人ではない、家族でもない、だから受け入れることが出来たのだと思います。

先生が言ってくれた言葉のすべて、他の人に言われても腑に落ちなかったと思います。

中学校の3年間、私の沢山の苦難を乗り越えるのに寄り添い、時には背中を押してくれた存在だったからこそだと思います。

そこには、信頼関係がある。

それが、私には1番大事なことでした。

だからこそ、先生が投げかけてくれた言葉の一つ一つを自分の中で受け入れ、自分のものに出来たのです。


これは、1年前のことです。

そして、今はあの時の先生が話してくれたことがあるからこそ学校に向き合えるようになりました。

どんなに調子を崩しても、心を休ませることを心掛けながらレポートを進めることが出来ています。

そして、去年はレポートを期日までに出すことができ、スクーリングとテストに全日程参加することが出来ました!

今年も継続して頑張ることが出来ています♪

スクーリングに参加できなくて焦っていたあの頃の私には、今の私を想像することはできませんでした。

心が焦って走っていた私に、立ち止まることを教えてくれた先生には、本当に感謝しています。

卒業した今でも、私を気にかけてくれていることにも感謝です。

だからこそ、私はこう思うようになりました。

「私も人に寄り添い、温かい言葉をかけれるような人になりたい」

決して簡単なことではありません。

でも、先生がくれた安心の温もりを次は私が沢山の子どもたちに伝えていきたのです。

私だけで止めておきたくないのです。

だから、私はこうやってSNSで発信を続けていきます。

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