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「虐待」と書いてよかったのか。奈良のシカ保護団体を取材して

こんにちは。奈良支局の佐藤高立さとう・たからです。
私は現在、行政担当として、神さまの使いとして古来大切にされてきた奈良市の天然記念物「奈良のシカ」を継続的に取材しています。

昨年夏以降、ふだんはほのぼのとした話題ものが多いシカ取材に異変が起きました。きっかけは、獣医師による1本の通報です。

奈良の鹿愛護会が運営する奈良公園内の施設鹿苑ろくえんのシカが「虐待」されている。

疑惑の現場は鹿苑のうち「特別柵」と呼ばれるエリア。農作物を荒らしたシカが200頭以上収容されています。

「特別柵」のシカ=2023年10月

メディア各社は一斉に疑惑を報道し、奈良県や奈良市もそれぞれ調査に乗り出しました。調査の結果は…。奈良市は昨年11月、特別柵の飼育環境が不適切と指摘する一方、虐待は認められなかったと公表しました。一方、SNS上で愛護会は炎上し、多くの批判の声が上がりました。

このnoteでは疑惑の背景を解説するとともに、シカの保護を担う「奈良の鹿愛護会」の日々の業務を紹介し、現場の職員が一連の騒動をどう感じているのかを伝えます。また、報道が与えた影響についても振り返っていきます。


■ “悪者”は誰なのか

昨年12月、奈良県庁で開かれた特別柵の在り方を検討する部会の会合。委員である奈良教育大の渡辺伸一わたなべ・しんいち教授は語気を強めました。

愛護会が悪いっていうのは根本的に間違っているんですよ。(愛護会は)やりたくて(シカを)閉じ込めているわけではない。嫌がらせの電話をなんで愛護会が受けるんですか。かわいそうですよ。この間違いを正してほしい。

奈良のシカは天然記念物のため許可なく殺処分ができません。生け捕りにして終生飼育することになるため、収容頭数が増加。今回の特別柵における不適切な飼育環境は、この構造から生まれた過密飼育が原因だという考えが前提にあります。

「特別柵」の在り方を検討する会合
=2023年12月、奈良県庁

虐待疑惑が浮上したことへの批判の矛先の多くは、愛護会に向いてきました。

私も、特別柵のシカを現場に赴いて取材し、愛護会の言い分を聞きはしました。そして騒動の背景として、シカが天然記念物であるがゆえの過密飼育について伝えてきました。

しかし、それは十分だったのか?
報道が愛護会を“悪者”にしてしまったのではないか?

あらためて問題意識を抱きました。愛護会が日々、シカをどのように飼育しているのか、この目で見ていなかったという反省もあります。

虐待疑惑の結果、現場に何が起きたのか。4月中旬。愛護会事務局長の山崎伸幸やまざき・のぶゆきさんと事業課長の石川周いしかわ・しゅうさんに案内してもらい、取材しました。

■ 愛護会24時間

◆朝の清掃と餌やり

朝8時半。始業時間に鹿苑を訪れました。
まず職員が取りかかったのは、問題となった「特別柵」の清掃と餌やり。
愛護会の職員とボランティアがシカのふんや餌の食べ残しを掃除します。

特別柵はいくつかの区画に分かれています。職員らは、100頭以上ものシカがいる区画を、ほうきやホースの水で手際よくきれいにしていきます。ちなみに、ふんと食べ残した餌は発酵させて堆肥にして、販売もしています。

掃除をするボランティアと職員=4月

清掃を終わると、石川さんが運搬機で餌を運びます。
その音が聞こえると、シカが一斉に集まってきます。餌がもらえると知っているようです。
餌として牧草を与えると、シカたちは一斉にがっつきます。
それで終わりかと思いきや、今度はほんのりとアルコールのにおいがしてきました。
「酒かすです。近くの酒蔵さんが寄付してくれるんです」と山崎さん。
その他に米ぬかやふすま、ピーナッツなどもあげます。

餌を食べるシカ=4月

素人の私から見ると、シカはやせているようには思えませんが、それでも気になることが…。

現在、十分に餌を与えているのかー。昨年の問題以降、調査でも指摘された内容ですが、石川さんに聞いてみると、

「繊維が豊富な牧草やタンパク質が豊富なふすまなどを、バランスよくあげています。シカは食べ飽きたら休憩します。その減り具合をみて、随時あげています」
「毎日(シカの)顔を見ているから、情も入っているしね…」

という答えが返ってきました。
問題が明るみに出て以降、県などからの補助金が増加し、餌代は年100万増えました。栄養状況も改善に向かっているそうです。
弱いシカや人に慣れていないシカを別の区画に移すなど、飼育環境も変えました。

餌の牧草=4月

行政に対しての不満も話してくれました。

「果たしてここまでせなアカンのか。行政もどこがどれだけ悪かったか(具体的に)言ってくれない。どういう餌のやり方がいいかとか指示はない。具体的に正しい方法を言ってくれたらこっちもやりやすいのに」

午前中に特別柵の清掃と餌やりを終え、その後、事業課での会議やふんからできる堆肥を作ったりと、仕事をこなしていきます。

◆シカの治療

鹿苑には、問題となった「特別柵」のほか、事故に遭ったシカや妊娠中のシカなどを一時的に保護するエリアがあります。奈良公園の周辺でシカが事故に遭えば、軽トラックに乗って現場に駆けつけ、救助して鹿苑に収容。
当然、そういったシカの治療もします。

治療は獣医師の丸子理恵まるこ・りえさんと、補助の職員が行います。丸子さんは愛護会内での意見の相違から、行政に通報した本人ですが、日々の共同作業に変わりはありません。

左の前脚を骨折したオスの子ジカの治療に立ち会わせてもらいました。
まず麻酔をかけます。しばらくして眠りに落ちた子ジカを手術室に連れて行きます。麻酔が効くのは約1時間のみ。急いで治療に取りかかります。

テーピングをはがし、左脚を支えていたアルミ製の副木を外します。
「きれいだね。よしよし」
丸子さんは手際よく、ガーゼできれいにして、イソジンで消毒。新しい副木に付け替えてテーピングを巻きます。
「だいぶぐらぐらしなくなったね」

治療をする丸子さん(右)と事業課の職員=4月

◆妊娠ジカの保護

奈良公園内では多くの観光客と接することで生まれるストレスやトラブルを避けるため、妊娠したメスのシカを保護して鹿苑に入れています。取材した4月中旬はまさにその作業も行っていました。

職員とボランティアで公園内を歩き、見た目から妊娠しているシカを捜索。鉄の棒の先についている麻酔の注射針を刺します。眠りについたシカを軽トラックの荷台に乗せ、鹿苑に連れて行きます。

こうした日々の業務に加え、愛護会では、修学旅行などで奈良に来た小中学生らに、奈良のシカについて解説する仕事があります。シカをとりまく環境問題や生態を教えるほか、ドングリなどの餌やり体験も実施しています。

人や他のシカを傷つけるのを防ぐためにオスのシカの角を切る伝統行事「角切り」、ホルンの音色で鹿を呼び寄せる観光イベント「鹿寄せ」といった恒例行事もあります。毎年ゴールデンウィークの前後には、生まれたばかりの子ジカを一般公開します。

◆多忙、人手不足

私が取材しただけでも、愛護会の業務はこのように多岐にわたります。山崎さんによると、昨年、繁殖期の秋に職員が太ももを角で刺され、大けがを負いました。危険が伴う仕事でもあります。

しかし担い手は、石川さんら職員5人と獣医師の丸子さんの計6人のみ。

シカの交通事故に対しては、24時間出動する必要があります。午後5時15分に勤務を終えると、「宿直」の職員が夜間、翌日の朝まで対応します。通報を受ける携帯電話を携え、シカの救助で出動するために使う軽トラックを家に持ち帰り、緊急時に備えます。

石川さんは、負担はある程度仕方ないと言いますが、

「人は少ないっす。業務としてやってきているが、ずっときびしいのはある。ここの職員はよくやっていますよ。事故で道路にシカの内臓が散乱して、それも集める。汚れ仕事とか、しんどいこともやってんで。それがどこまで知られているのか

と吐露します。

今回の件で感じたことは、やはり「悪者はいない」ということです。

冒頭の話に戻りますが、問題は天然記念物を勝手に殺処分できないため、農業被害を引き起こす奈良公園から離れたシカまでも生け捕りして終生飼育せざるを得ず、特別柵が過密になってしまう、構造そのものです。

一連の取材を通して、様々な立場の全ての人がシカに対して悪意をもっているわけではないということを強く感じました。

愛護会だって、シカを飼育する上での経験的なノウハウがあるものの、ベストな飼育方法を具体的に行政から提示されているわけではありません。もちろん「不適切に飼育しよう」と思っているわけでは全くなく、予算や人員が許すなかで、適切だと考えられる方法で飼育していました。

けれども年間50頭以上が死亡する現状は確かに適切とはいえない可能性もあります。その点を獣医師の丸子さんが指摘したことで、今まで可視化されてこなかった問題が明らかになりました。

現在、奈良県の保護管理計画検討委員会では、特別柵に収容するシカの数を減らすための方策など、改善に向けた検討が実施されています。

■ 言葉の重みと書くことの責任

愛護会の日常業務を取材し、あらためて「虐待」という言葉を前面に出した報道が適切だったのか、思い悩んでいます。

今は落ち着いているそうですが、報道が始まって最初の1週間、愛護会の電話が鳴り止まず、電話は1日に50件ほど、メールは30件ほど寄せられたといいます。電話は2回線しかなく、シカが奈良公園周辺で事故に遭った際の通報の電話が通じなかったほどです。

「頑張ってください」

励ます声もありましたが、多くは批判の声。

「こんなひどいことをするなんて、人間じゃない」
「寄付をする予定だったけどやめます」

罵声を浴びさせられることもあったといいます。

石川さんは言います。

あきらめていました。こっちが何度話しても、『テレビが言っていることが正しい』と思って聞いてくれない。こっちは、『ご意見ありがとうございます』としか言えない

山崎さんも肩を落とします。

「だいぶ負のイメージが付いてしまいました…」

支援してくれる会員の数も減るなど影響は小さくありません。運営に充てられる会費も減っていくことが懸念されます。

取材に応じる山崎さん=2023年11月

こういった人々の反応は、多かれ少なかれ「虐待」という言葉から引き起こされたものではなかったでしょうか。

「虐待」という言葉は、昨年夏以降、獣医師の丸子さんが県や市に提出した通報書に出てきます。

「問題を解決してこなかったことは職務怠慢であり、そもそも動物虐待です」「私は獣医師として、鹿たちが虐待されている現状に目をつぶることはできません」

「虐待」という言葉にはインパクトがあります。

報道陣に対応する丸子さん=2023年11月

この通報書を受け、私はどんな記事を書いたか。
見出しを載せます。

「シカ保護施設で虐待か 奈良、獣医師が通報」
(2023年10月2日配信)
虐待疑惑に揺れる保護現場 農業被害で「永久収容」」
(2023年10月28日配信)

多くの記事で「虐待」という言葉を使いました。この言葉を見出しに使わないメディアもありましたが、本文中に登場しないニュースはなかったように思います。

上記の記事では虐待の後に「か」や「疑惑」と続けて書いています。虐待と認めるかどうかは県や市の調査にゆだねられているけれども、そういった可能性、疑いがあるという、メディアがよく使う表現です。

結果、県や市の調査では虐待は認められませんでした。

そんな中、共同通信は12月、以下の記事を配信しました。

共同通信のX(旧ツイッター)アカウントに投稿された記事に対して、虐待はなかったと報道した後なのに恣意的な見出しではないかと指摘するリプライが目に飛び込みました。

虐待とは認められなかったものの、飼育環境が「不適切」という点は県や市が指摘するところです。そして、調査書で「虐待」という言葉が使われているのも事実。この言葉を使う理由、「使える」理由はあると判断した結果の記事でした。さらにネットニュースとして今回の問題の経緯やその歴史的背景などをあらためて詳しく書くにあたり、「虐待」というワードを使わない選択肢はなかったと思います。もちろん本文では虐待と認められなかったことをしっかりと書いたつもりでした。

しかし使う必要はあったとしても、この選択が生む影響については、もっと考えた上で使うべきだったのではないかと感じます。見出しは最初に読者が目にするもの。インパクトは計りしれません。短く、端的に内容を読者に伝えるのが目的ですが、センセーショナルな言葉は目を引きます。「虐待」という言葉を使い、愛護会への過剰な批判を生む手助けをしてしまったことは否めません。

もちろん、必要な情報を盛り込み、読者の疑問に十分に答えることができる記事が理想であり、日頃からそれを意識して書いているつもりではあります。けれども実際のところ、誰かを不当に悪者と決めつける批判を生んでしまった。間違いではなくても、世間に与えた影響は甚大で、書くことの責任を痛感しました。

一方でそのような批判が生まれた時には、それに対して反論することもできると考えます。問題が発覚した直後だけ報道して終わりにして報道が与えた影響を見逃すのではなく、批判の声を一つ一つ読み、時間がたった後でももう一度新たな視点で記事を書きたい。そうすることで正しい問題の理解のために十分な情報を提供したいとあらためて思います。

今後、言葉とそれが生む影響を常に自覚し、取材・執筆を続けていきます。自戒を込めて、このnoteを書きました。

佐藤 高立(さとう・たから)2022年入社。仙台支社を経て、23年8月から奈良支局で事件・事故を取材、現在は行政担当。不登校や学校現場の負担など教育分野に関心がある。休日には奈良県内の寺社仏閣を巡る。東京都出身。

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