松岡正剛さんの動画を見て。(ツッカム正剛 0035夜 「コロナパンデミック③”『情報の怪物』自己は非自己がないと自己にならない”」)
こんにちは。小林佑太朗です。
今回は、私が影響を受けている松岡正剛さんの動画見て、松岡さんの言葉をメモ的に書き出しました。(非常に読みにくいと思いますが。)
そのあと、自分の考えなどを書きました。
ツッカム正剛 0035夜 「コロナパンデミック③”『情報の怪物』自己は非自己がないと自己にならない”」
https://www.youtube.com/watch?v=yQxO5Lyxqm4
~メモ~
「生命になったところから、編集が始まる。」
「情報生命というもので、世界の知識や学問を捉えなかった。」
世界は、神と理性、観念と革命(ヘーゲル、フッサール、ゲーテ以降)という主題をおいて、
国家・社会・自然・世界・環境・意味・生命というものを捉えてきた。
『文明の奥と底』は以下の2つの間にある。
神と理性、観念と革命でつくった文明と、情報生命の2つ。世界は、情報生命が本当は動いているはず。
そして、神か情報か、だけではない!→自己!
宇宙、世界、銀河、DNA、遺伝子といっていても、ピンとこない。
近代的自己(フロイト)。心の奥に「別物」が!
デカルト的な自己の奥には別物がある!トラウマ、うつ。
自己と情報生命が組み合わさってきている。
情報生命の中に、自己というものを入れてもう一度整理(編集)しなくてはいけない。
情報生命と自己の混ざっているものに、「ことば」を上手く置いて作らなければならない。
これを編集力と呼んでいる。
言葉は「文明」(文明や観念や理性)でできあがってきた歴史、近代史までのことが、
実は科学的には、科学の中では情報生命やSH的想像力になったり、自己の中ではトラウマ・意識
これを移動する中で、言葉じたいを変化させていかなければいけない。
情報の怪物と見る以外ない。
情報は一人でいられない。情報やウイルスは変異する、ということの中に、
自己というものを入れる以外ないだろう!!!
朝永振一郎さん、湯川秀樹さん。
多田富雄さん(免疫の意味論)
自己と非自己を考えない限り、情報生命(地球生命情報系)は語れないのではないか?
免疫 非自己(カプシド)が来る。→封筒を宿主の細胞に送り込む。それを開けたら、感染する。
宿主にとっては、カプシドは非自己。非自己を入れないと自己は生成できない。
私の自己は、非自己がないと自己が成立しない。非自己の記憶があるのは当然。
情報の流れが太古の宇宙から来た。
自己意識を持っているのは、2歳半以降。つまり、自己を持っていない。
お母さんの子宮が胎児を育てている間、その子が感染しないためには、非自己であるウイルスが役に立っている。
非自己によって、次の自己の誕生を起こさせているが、
そうやって生まれてきた子供は、まだ自己を持ちえない。
だから最初に種痘や百日咳などで、自己を作っていく。
これは生理学的な自己。意識ではなく。
そういう生態的に作るしかないものと、心を持っている。
免疫上、非自己を入れてホストが自己になるようなことが起こらないと、
我々の脳と心の自己意識も作れなかったかもしれない。
自己組織化を考えなくては。物質も情報も全て、自己が組織している。
自己、仮想の自己です。
例えば、結晶が起こるには、異物を入れないと結晶が起こらない。
そういうようなことが、全自然、全宇宙、全物質界に起こる。
自己ないし、自己めいたものが必要。
もどきというもの。それを入れることによって、情報編集というものの輪郭が、
それまで以上に組み立てられるのではないか?
~自分の考え~
●生命=エントロピー=自己組織化=秩序化←アブダクション
●宮台真司の「感染」と、自己・非自己の関係を考えたい。
「感染」とは、圧倒的な非自己に会うことだろう。では、圧倒的な非自己とは何か?
それは、自分よりもはるかに高いゲシュタルトを持っている人、と言えるのではないか?
●神、理性、観念といった主題を立てて考えられてきた歴史、世界というものから、
意識、心、自己の奥というものを考えていくことへ転換していくことによって起こるインパクトを考えたい。
例えば、知の形が大きく変わっていくのではないか?
具体的には、形式知から実践知へ!など。
●自己組織化と、非自己、ゴール、うつやトラウマの関係は?
ゴールとは、なりたい自己つまり自己めいたもの。その自己めいたものへと、
「別のもの」や「他のもの」を取り込みながら自己組織化していく。
その自己組織化していくい作用はエントロピーとも呼んでもいいが、
上手くエネルギーを得ることができないと、自己組織化が起こらない。
つまり、新しいゲシュタルトができない=相転移が起こらない。
ではどのようにしてエネルギーを得るか?
気功では、エネルギーは過去の自分の嬉しかった楽しかった記憶から得るという。
つまり、自分が存在するに必要であったものをどれだけイメージできるかということ。
自分を生きながらえさせているものたちを思い出すということ。
以上です!
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gbalcakctk777@gmail.com
では、また次回!
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