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同人に関わる人たち。みんな幸せになれればいいのにね。

 突然だが。
 全盛期を過ぎて数年。
 書き手が、数十名程度のCPに、平均週1本。最短で数日に1本のペースで作品をアップする字書きが出現したら、あなたはどう思うだろうか。

※この記事では、全盛期を「そのCPにおいてアクティブサークルが一番多かった時期」と定義しています。

 CPの最盛期から約一年半遅れての参入。
 作品の良しあしはともかく。作風はエロから、ほのぼの、切ない系、ギャグまで。数千字程度のSSから、3万字程度の中編をまんべんなく書き綴る。
 しかもこの字書きは、比較的、暇な生活を送っているらしい。
 毎日のように推しに関するツイートをし。他の書(描)き手の作品にrt後感想を書き、書き手同士の交流も楽しむ。

 そんな、後期参入・新参字書きに対し、あなたはなにを思うだろうか?


【私は書いた。推しについて考えて書くことはいつだって楽しい】

 その後期参入・新参字書き。

 私だ。

 私は人よりも遅れて、推しCPに出会った。
 そして、数年分の膨大な推しCP関連情報を一度に浴び、頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 私は異常状態に陥っている。
 書かないと、推しCPに頭の中を占領される。だから書くしかないし、書くのは楽しい。

 私には、メンタル不調によって書くことも読むことも、ろくに楽しめなかった時代がある。書けない虚しさを知っている。だから、書ける時には書いておきたい。

 書くことによって、私の頭の中でふわふわ漂っていた○○な推しが形として残る。楽しい。
 書くことによって、私は○○な推しを鮮明に体験する。最高。
 私が書いたものを誰かが読み、私の推しに対する萌えが共有される。うれしい。

 私は、私の「好き」に対して、正直だった。
 だから、自分の「好き」をたくさん形にした。
 私は、エロ厨だった。
 あまりにも直接的なエロは、伏字ができるサービスを使ったし、特殊性癖や倫理的に問題のある行為には、説明書きを添えた。そして、えげつないエロを書いた。
 私は、いろいろな方と楽しく交流した。
 内輪ノリでのツイートは極力控えたが、わかる人にはなんとなく伝わったことであろう。



【わあ、推しCPだ!! やったー!! 反応しちゃおう!!】

 
二次創作において、一番大事なものはなにか?
 諸説あるが、私は「推しである」と考える。

 推しCP……並んでるだけでかわいい。会話しているだけでえっち。一緒に居られない二人も切なくて最高。

 推しCPは推しCPとして、そこに存在しているだけで価値がある。

 もちろん「なにこれ! すごい私のツボを的確についてくる!!!!!」という作品もあれば「ふむふむ、こういう推しもいるんだな」という作品もある。
 好みや興味関心・嗜好には個人差がある。個人差があるからこそ、様々な推しCPが生み出される。

 いろいろな推しCPがあっていい。
 むしろ色々な推しの姿があったほうがいい。

 すべての推しCP作品には価値がある。推しCPを書いてくれているというだけで、基本的にはありがたいのだ。

 平均週1回。多い時で3日に1回程度、作品投稿する私は。結構な頻度で他者からの「推しCPの投稿ありがとうございます!! やったね!!」的なポジティブフィードバックを受ける。

 作品の良しあしは関係ない。推しCPを書いたことに意義がある。

 私の推しCPは、全盛期から数年が経過している。初期衝動が落ち着いた後、コンスタントに二次創作し続けることの難しさは、私自身も感じている。
 さらに、私の推しCPの書き手は、社会人が多く子育て中の方もいる。
 それぞれ様々な事情を抱えている。だから、わが推しCP界隈において、週1ペースで作品投稿する書き手は多くない。

 単純な数字の話をする。

 1ヵ月に1度しか作品投稿できない人は、年間12回しか「推しCPの投稿ありがとうございます!」を浴びることができない。
 だが、週1回のペースで投稿している私は年間50回、この正の報酬を受け取る。
 そして、私が公開アカウントでTwitterを続ける限り、正の報酬を浴びる「きょうや@kyo_ya_yona」という書き手は可視化され続ける。

 おそらく、それが、誰かの感情を刺激する。


【報酬が欲しいなら、推しCP入りの二次創作をすればいいじゃない?】

 そんなマリー・アントワネットみたいなこと……言える?
 私は言えない。

 『正月早々、同人活動と資本主義について考えた』という記事でも書いたが。同人作家の数だけ、それぞれの事情がある。

 私は、後期参入・新参字書きだ。手をつけていないネタがたくさんある。
 なおかつ、独身で、ちゃらんぽらんな生活を送っているから、推しCPに割けるリソースは潤沢だ。


【ネットリテラシー……とは……?】

 Twitter等。SNSはあらゆるものを可視化する。
 開かれた場で発言した以上、想定していなかった人にまで、自身の言葉が届いてしまうことがある。

 具体的な内容については控える。
 ただ。あるツイートを見て、私は、落ち込んだ。

 しかし、明日は我が身だ。
 公開アカウントで、お気持ち表明したくなる欲望は私にもある。
 そしてその欲望を抑えることができないから、多少のあくと毒抜きをしてnoteにお気持ちを投稿している。

(……あくと毒は完全には抜けなかった)


【自分を幸せにするのは、いつだって、てめー自身だ】

 結婚した友人が「私……うまくやれるかな?」と私にたずねた。

 「自分を幸せにできるのはいつだって自分自身だし、○○ちゃんには、それができるから大丈夫だよ!!!」

 と私は答えた。

 これは、私自身の価値観の話だ。

 幸せか不幸であるかを最終判断するのは、自身の脳であり。だれよりも自身の側にいる人間は自分だ。

 つらい時こそ、自分で自分自身を労わることが大切である。
 
 そして、少し元気が出てきたら、自分自身と向き合うといい。そこに、色々な気づきがある。
 「あるツイートを見て落ち込んだ私」は、一通りのセルフ・ケアを終えたのち、自分と向き合う。

 そして、前に進んでいくのだ。


【楽しく生きるために……】

 以下は、私が今回のできごとから学んだことだ。
 私は、自他境界があいまいで、すぐに落ち込む。
 だから……
 どうせ、また落ち込んでいるだろう「少し未来の自分のため」に記しておく。

〇他者に頼ってもいいが、過度な期待をするな。相手にも事情がある。
〇自分で自分を不利にするような行動は控えろ。Twitterでのお気持ち表明は、誰が読むかわからないし、受け手がどう解釈するかもわからない。
〇苦手なものに囚われた時には、なぜ、それを苦手と思うか自己洞察を深めろ。そこには、思いがけない気づきがある。
〇好きなことが思うようにできない環境にあるのだとしたら、環境への働きかけも視野に入れろ。
〇おいしいもの食べて、よく寝て、自分を労われ。


【同人に関わる人たち。みんな幸せになれればいいのにね】

 いろいろ考える。
 考えるけれど、結局はここに行きつく。

 個人が、自分自身を大事にし、自分の好きを楽しむことができれば、同人は、もっと素敵な文化になる。

 私は、私の好きなことをして、楽しい日々を送るつもりだし。
 様々な葛藤を抱えながら、同人やっている人々全員が、いろいろありながらも、趣味を全力で楽しめたらいいと思っている。

 同人に関わる人たち全員が、とっても幸せになればいいのにね……。

 そんな、あおくさいことを考えるうちに、もうすぐ、推しCPにハマって三度目の春がやってくる。

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