辿り着けない瞑想
前回の「大海のひと雫を生きる」の投稿の始まりの言葉。
手放して、手放して、手放して。この洞窟は 別の意味でも深かった。
大真面目にプラクティスを続けていた。でも一向に辿りつけない。揺れに揺れるあり様に ただただ つき従っていると その時その時の小さな揺れは解消して よし とにかく続けていこうと ますます頑張る。
でも実際は モグラ叩きの如し。
あちらが消えれば こちらがまた揺れる。
果てしなく 揺れるばかりなのだと気づくのに 何年かかっただろう。
ある日 なぜかリアルな生活でも行き詰っていることに気づかざるを得なくなった。もうどこにも逃げ道はない。
そして幸いなことに そのまま坐った。
今 私は行き詰っている。行き詰っている。行き詰っている。
もう認めざるを得ないんだ。見るしかないんだ。
最早 何か期待しているわけでもないし どうなるかもわからない。
結果を求めることも諦めた。
ただ日課の時間が来たので とにかく坐っていた。
八方ふさがりだ。手も足も出ない。
何もかも諦めて ただ坐った。
すると すーっと力が抜けて 驚くほど体が軽い。
どこにも力が入っていないように 楽~に浮くように坐っている。
そして本当に ふっと目が覚めた。
私は今まで 気づこう・集中しよう・意識を戻そう
そのひとつひとつを
しよう しよう しよう しよう と行っていた。
その先に 創造上の結果を期待して坐っていたんだ
辿り着こうとすること自体が 妨げだったんだ。。。
瞑想にゴールはない
耳にタコとは言うけれど
目も耳もタコに覆われて山になる程
見聞きし知ってはいたけれど
体感するとはこういうことだった。
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