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フランスの会社でカルチャーショック

こうしてパリでの仕事生活がスタートした。
会社へはアパートから彼女に車イスを押してもらって徒歩12〜15分くらい。

911の直後だったため、オフィスビルへの出入りは警戒厳重で、屈強そうな警備員が睨みを効かせていた。
なぜなら、もしもニューヨークと同様のテロでパリが狙われるとしたらターゲットはここだよねと誰もが思う、モンパルナスタワーと繋がったオフィスビルだったからで、建築規制の厳しいパリ市内で数少ない高層ビルであるモンパルナスタワーは、ランドマークとしても恰好の標的だろう。

飛行機がこっちに向かって飛んで来たら逃げよう」なんて冗談を同僚たちは言っていたけど、(まぁそれ実際には間に合わないよね)というツッコミは敢えて誰も口にしなかった。

でもそんなことよりもこのオフィスビルはぼくにとって何より重要かつ嬉しいことがあって、それはちゃんと車椅子用トイレがあることだった。(これさえあればこっちのもの!)って思っちゃうくらい有り難い。3年前は小さなアパートの一室をオフィスにしていたのだから大きな進歩だ。

職場は雰囲気も良くて、フランス語の語彙が足りなかったけれど仕事は楽しかった。仕事の後ときどきみんなで会議室に集まってビールやワインを飲むことがあったけど、上下関係がなく誰でも好きなときに離脱する気軽さがフランスっぽくていい。

フランスの会社に入るにあたって金銭面の条件は一切出さなかった。給与は日本時代より激減したけれど、社長のヤンを含め皆同じ額だし、先ずは会社を安定させなくては。

そして予期せず起きた911テロの影響に加え、すぐにもうひとつの歴史的な転換点がやって来た。フランからユーロへの通貨の切り替えだ。
国民が長年慣れ親しんできた通貨が切り替わるというのはやはり大事件で、なるべく混乱が起きないように値札には旧通貨フランス・フランでの価格も併記されてはいたものの、ユーロ化に伴う便乗値上げが相次いだ。

そしてとどめは、フランス大統領選挙
このトリプルパンチで零細企業やベンチャーは大打撃を受けた。先行きの不透明感から全てが様子見モードとなり、経済がびっくりするほど酷く停滞してしまったのだ。
それは人員を拡大してさぁこれから、という所だったぼくたちの会社にとっても、この上なく最悪のタイミングだった。

フランスは大規模な仕事はAppel d'offresという入札制度で請け負い業者を決めるしくみになっていて、負債がない等の一定の条件を満たせばコンペに参加することができる。詳細な企画書やデザイン画、見積書等はもちろん、提出する書類は多くて準備はかなり大変だ。

実は個人的にはそれまでコンペで負けたことがなかったんだけど、フランスでの勝率はかなり落ち込んだ。東京時代は単にデザインを提案するだけでなく、実際に動作するモックアップを作りデモンストレーションをすることで、個人事務所にもかかわらず大手一流企業の仕事をさせてもらえていた。
ところが当時のフランスのコンペは、まだ紙ベースだったのだ。そのため動作するデモという得意技は禁じ手になってしまった。

ぼくたちの会社も生き残りを賭けて数多くコンペに参加していたけれど、最後までは残るのに受注できないことが少なくなかった。多大なエネルギーを費やしても、フランスではコンペに勝てなければ1ユーロにもならない。

やがて給料の遅配が多くなった。
フランスの生活資金はフランスで稼ごう」と考えていたので、日本からそれほど多くの資金を持ち込んでいなかったこともあり、生活をゼロから整えなければならない妻は大変だったと思う。
けれども彼女は、フランス行きの夢が叶ったことで「一切不平を言わない」と決め、洗濯機の設置スペースもない狭いアパートで手洗い洗濯を4年も続けた。
そんなストイックにしなくてもいいのに、彼女なりの決意のようなものがあったようだ。

自宅のネット環境が整うまで結構日にちがかかったこともあり、毎日遅くまでオフィスで仕事するのが常だった。日本に居た頃から長時間仕事するのが当たり前だったし、日々コンペに加えサイト制作業務やキャンペーンのアニメーションを作ったりでいつものように遅くまで仕事していたら社長のヤンから、
働き過ぎないようにね
って言われたことがカルチャーショックだった。

日本で最初に勤めたCM美術の会社はいくら働いても間に合わないくらいの仕事量だったし、もっと働けと言われることはあったとしても、働き過ぎないように言われるなんて思ってもみなかった。変な話だけどこのときフランスの会社で働いているんだってようやく実感した気がする。

当時の同僚でスペイン人プログラマのホセと最近会ったときにその頃の話になって、彼曰く、
確かに働き過ぎはよくないかもしれないけどスタートアップとなると話は別で、ぼくたちはもっと働き過ぎるべきだった
と結論していたのが印象的だった。

確かにフランス人はみんな早く帰るしオフを大切にする。それは良いことだと思う。
建前上は週35時間労働とすることでなるべく大勢で仕事をシェアするとともに過度な競争を抑制しているわけだし、それで充分に生産性が高いならば良いように錯覚するけれど、それだけだと暮らしてはいけても成功するには不充分で、もっと遥かに多くの時間とエネルギーを投入する必要があるんだと思う。
どっちみち集中できる時間は歳とともにどんどん短くなるし体力も衰えるので、がむしゃらな働き方が出来るのは若いうちだけだ。
そう考えていたのが外国人であるホセとぼくだけだったのがある意味、移民の支える国でもあるフランスらしくて可笑しい。

ただ、今となっては「あのときもっと必死に漕いでいれば沈む前に何処かの港に辿り着けたんじゃないか?」っていうような話でしかないのだけれど。


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