前提や背景は十分すぎるぐらい共有しよう。という話。
今回もマネージャーとメンバー間のコミュニケーションや、チーム内でのコミュニケーションに関するお話です。
(A):マネージャー
(B):メンバー
とします。(A)と(B)によくある会話として、
(A):この件についてどう考えてる?
(B):うーん、どうでしょうね…
(A):常日頃から自分の意見をしっかり持っておかなければダメじゃないか!そんなことでは成長できないよ。
(B):すみません。。。
みたいなやりとりってけっこうあるんじゃないかなと思います(すごい単純化しましたが)。
もちろん、責任をおう立場ではないメンバー、担当者でも、常にいろいろなことに対して自分ごととして考え、自分なりの意見をもっていることは大切な心構えです。
しかし、実際にはそれが客観的に見ると難しいケースがけっこうある。それも、本人の意識が低いから、ではなく、それ以外の理由で難しい状況があります。
それは「前提を共有されていない」という場合です。
どういう場合に起こりやすいか?
先ほど「この件」と敢えて濁しましたが、どういう場合に起こりやすいか?というと、よりふわふわした話、会社全体の課題の話、新規領域に関する検討の話、M&Aの話など、現場的な話ではなくハイレイヤーな話をする場合です。
(A)が(B)にもっと目線を上げてもらいたい時、こういう会話が繰り広げられがちです。でも、(B)は普段現場で目の前の仕事にほとんどの時間を使っています。他方、(A)はよりふわふわしたハイレイヤーなテーマについて、あれやこれやと思考を巡らすことにかなりの時間を使っています。
この場合、そのテーマについて、(A)は(B)よりもあれやこれやと悩み、時にはあっちの方向に行ったり時には逆の考えを持ったりしながら、徐々に思考を熟成させています。この歴史がある状態の(A)と、この歴史がない状態でお題をふられた(B)では、議論になりづらいのは自明だと思います。
ここまで読んでいただいた方はみなさん、「いやいや、そんなこと当たり前じゃん。」と思うのではないでしょうか。こうやって書くと当たり前のように思えてきますが、実際にはこういうことがたくさん起きていると思います。振り返ってみて、こういう経験をまったく経ずに今まで過ごせている人ってほとんどいないんじゃないかと思うくらい。
なぜ起こってしまうのか?
ではなぜそんなことが起こってしまうのか。それは、誰しもが「前提を共有した気になりやすい」からだと思います。
例えば、
「documentを読んだ上で議論に臨んでください。」
と言っておけば前提を共有した上で議論ができる状態になっているか?というと、実際にはそうではありません。agendaとしてまとめるまでにいろいろな検討をして、時間を使って頭を使って考えたことによりそのdocumentをきれいにまとめるに至っている人やチームと、その歴史がない状態でまとまったdocumentをもとに議論に臨む人とは、大きな差があります。
その状態で議論をしても、噛み合わないまま時間が過ぎます。そうなると、議題に出した方は「なんでdocumentも共有しているのに議論のレベルが低いんだ」「documentちゃんと読んだ?」みたいな憤りを感じたり、口にしたりするようになってしまいます。そうするとますます、距離が生まれてしまいます。非常にもったいない時間がすぎることになってしまう。
ではどうすればいいか?
ではどうすればよいのでしょうか。その答えとして、「そう考えている前提や背景、これまでの葛藤などの歴史についてもしっかりと共有した上で議論を設定する」ということがポイントなのではないかと思います。
特に葛藤のところというか、今の考えに至るまでの歴史というか。
この前提がない状態だと、アウトプットは浅くなってしまいます。でもそれはその人の意識が低いとか、考えが浅いということとは別の原因がけっこうある。ということです。
背景を理解することで、なぜこの話が今議題に上がっているのか、議論のポイントはどこなのか?ということがクリアになってきますし、すでに検討されたことについての理解も深まるため、それを元に新しい視点や意見を乗せて活発な議論ができるようになってくると思います。
けっこういろいろな会社の様々な会議体で見られる現象なので(それこそ経営会議とかマネージャー合宿みたいな会議でも)、ちゃんと議論をしたい、意見交換をしたいという場合は、十分すぎると思うくらいその前提となる背景や歴史を共有すると、驚くほどに場の質が高くなると思います。
ぜひ試してみてください。
というお話でした。
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