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「花屋日記」12. 上沼恵美子が接客したら。

「上品すぎる言葉遣いをやめろ」と店長に叱られて以来、私は接客に関して悩み、「チャンネルの使い分け」について考えていた。サービス業のトップといえば、やはりホテルのコンシェルジュだろう。完璧な言葉遣いと身のこなしでお客様の要望をくみ取り、適切なご提案をし、限られた時間と予算の中で最高の形で実現させる。それが理想だし、自分が客の立場ならそういうサービスを受けたいと思う。

 だがこの地元の商業施設では、きっと求められているホスピタリティの種類が違うのだ。時には「きちんとした店員」、ノリのいい方には「おもしろい姉ちゃん」といったふうに、相手によって自分の中の役割を変化させていく。そういうことが、ここでは必要とされている気がした。どうしてもお高く見えてしまう私は、今まで相手を警戒させてしまうことも多かったのだろう。

 そこで考えたのが「人格チャンネル」だった。お客様に合わせて「ここでは松たか子か?」「ここでは上沼恵美子か?」と、キャラクターを変える。それは演じるというより、相手の口調や呼吸を真似ることに近かったのかもしれない。一辺倒の接客ではもう、この先には進めない気がした。

 ある日、気難しいお客様が来店され、私はいろいろと「チャンネル」の周波数を探りながらご案内をしていた。最後には着地点が見つかり、円満解決。ほっとしてお見送りをしていると、店の少し離れたところで立っていた中年男性がこちらを向いて
「さっきから見てたんだけどさ、君の接客、いいねー」
と突然おっしゃった。その方のことは視界に入っていたけれど、花を買われる様子ではなかったので声をかけられて驚いた。
「いや、他の店舗も見てたんだけど、ここはなんだか人情に厚くてあったかいんだよなあ」
「ありがとうございます! 他店さんに規模では負けても、人情では負けないスタッフが集結しておりまして。まあ、ひたすら暑苦しいだけなんですけど」
「ははは! そうなの。君おもしろいね」
 男性は、目を細めて大笑いすると「じゃあがんばってね」と言って去っていった。去り際にチラリと、私の名札をご覧になられた気がした。

 私がその方のおっしゃった「他の店舗も見てたんだけど」の意味を把握したのは、翌日のことだった。同じ商業施設内のテナントという意味ではなく、同じ系列の支店を次々と視察に回られていたのだという。
 私がカジュアルな冗談をかました相手は、なんと東京からお忍びで単身来られていた本社の社長だった。そのことを店長から知らされた時、私は本気でめまいがした。

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