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「花屋日記」46. 落下する都市へ、再び。

 採用試験を受けた3週間後、私のもとに「内定」の通知が届いた。ある出版社からファッションエディターとして採用されてしまったのだ。その結果に、私は混乱した。諦めたかった世界が、自分の手の中に突如戻ってきた。私はそれが求めていた答えなのか、何度も何度も自分に問い直した。

 その仕事を引き受けるなら、再び東京に引っ越すことになる。家族からの理解は、もちろん得られなかった。あんな過酷な業界になぜわざわざ戻るのか。今の仕事はどうするんだ。せっかく手に入れた健康と平穏な暮らしを、なぜ手放すのかと。

 私は自分でもうまく気持ちを整理できずに、その後ずっと泣いたり寝こんだりして過ごした。なぜこんな自分を試すようなことをわざわざしてしまったんだろう。せっかくここでの生活が軌道に乗りはじめていたのに。

 そんな中、私は花屋に勤めていた叔母にこっそり電話した。花のことも私のこともよく知っている唯一の存在だ。
「店を辞めて東京に戻ること、確かに中途半端だと思う。一度挫折してるし、正直自分でも怖い。でも花は、どこにいても続けられるんじゃないかと思って...」
 我ながらなんの説得力もないのは分かっていた。でも吐き出さずにはいられなかった。
「うん、みんなが反対しているのは知ってる。だから私がこんなことをいうのは内緒にしててほしいんだけど、私はあなたの才能を知っているし、あなたがそういうふうに生きたいと願うのはあたりまえだと思うの」
 意外な言葉だった。私は溺れている最中に浮き輪を投げ入れてもらったような気持ちになった。
「だからさ、東京に行きなよ。反対を押し切ってでも。あなたのことはなにも心配してないの。一度きりの人生だし、カイリは意志が強いから、自分らしくあってほしい」
 私はその一つ一つの言葉に注意深く耳を傾けた。目の前に現れた二つの選択肢。私らしい生き方とはなんだろう。そして最後はこう思った。今までずっと、自分の好きなものをいっぱい追い求めて生きてきたんじゃないのか?と。
 そうやって世界を広げてきたなら、その中心にいる自分自身も、自分の好きな人物でいなくては意味がない。後悔しながらなんて、生きてはいけない。それは私を支えてくれたあらゆる人たちへの礼儀でもある。だってそうじゃなきゃ、スガさんに出会えた意味がない。

 だからきっと賭けるべきなんだ。失敗してもいいから、私はもう一度あそこへ戻るべきなんだ。かつて悪夢のようなエンディングを迎えた、あの業界へ。

 私はそうして結局、花鋏を一旦おろすことに決めた。きっと矛盾しているように見えるだろう。花屋を辞めることが、花を愛し続けるための選択だなんて。そして再びファッション界に戻ることが、過去との決別手段だなんて。

 また落下する。そんな気もした。
でも書かなきゃ。誰にも必要とされなくても、きっとスガさんが見てくれている。
周りの理解が得られなくても、もうそんなことは気にしていられないんだ。

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