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書きにくいことは小説にしてしまおう


今年に入り、noteで小説を書いている。うまいか下手くそかは置いといて、自分の書いた小説はけっこう気に入っている。難しいけれど、エッセイとはまた違った楽しさを味わえる。

なので私は、エッセイしか書かない人でもぜひ小説を書くことを勧めたい。


理由はふたつあって、ひとつは表現力が広がること。これはいろんな方が言ってそうだから説明を省こう。

私が小説を勧める理由はふたつめが大きい。それは、書きにくいエッセイを思い切って小説にすることで、違う形で作品を世に出せるからだ。



noteを書いていると、「昔あーいうことがあったから書いてみたい!でもちょっと書きにくいなあ...」と思ったことはないだろうか?

本名などを隠して活動している人は書きやすいかもしれないが、諸々にnoteがバレている人は、私と同じような思いをしただろう。

たとえば、恋や就活やお金などの、人生においての失敗談。「私のようになっちゃダメだよ〜〜〜!!」って明るく書ける人にはいいかもしれないが、私は「もしあの人に見られてしまったら...」とまわりの人を気にしてしまうし、「うう、、、なんか画面が、、、霞んできた、、、」と呟き、目を真っ赤に染めて泣きながらPCを閉じてしまう。

noteをはじめて3年経っても、創作に対するメンタルはまだまだ弱い。

「じゃあ書かなければいいじゃないか!」と思うかもしれないが、コンテストのお題で、まれにその事実と重なって書きたくなる時があったり、この失敗した事実を誰か聞いて〜〜〜!!!と叫んで成仏させたい時もあるのだ。

わがままだとは分かっている。でも本当にどうすればいいんだろうと悩んでいた。


それが、今年になって解決した。

小説にしちゃえばいいんだ。と。


自分じゃない誰かを主人公にして、その主人公に自分を体験させる。そうすると、書きたかった事実を違う形で世に出せる。

これはバンドが作詞をするフローと似ている気がする。バンドはよく失恋したら歌にして世に出すが、まさしくそういうことだ。私たちも堂々と、失恋したら本にして出版してしまえばいいのだ。


あたかも世紀の大発見のように語ってしまったが、いろんな人がもう実験済みだろう。小説家はもちろん、noteで小説を書いている人は、事実を交えて小説を出しているはずだ。

しかし私はnoteをはじめるまで読書をあまりしていなかった。23年生きてきて、小説を読んだ回数は40回も届いていないのではないかと推測している。

そんな人が小説を書けるのかと。

書けたのだ。なぜなら自分が体験したことだから。


例をあげよう。好きな人がいたけど振られてしまった実体験があったとして、そのままだと書きにくいので小説にすると決めたとしよう。

好きな人はどんな見た目で、どんな性格で、どんな肌艶、どんな声質、瞳の色、爪の長さ、脚力.....すべてそのまま書いてしまえば、想像で書くよりも遥かにリアルな人物が完成する。

そしてそのまわりの景色も、そのまま書いてしまえばいい。振られてしまったときの場所、空の色、太陽のまぶしさ、街の騒音、自分の心臓の音など。すべて書けば、より立体的な景色が浮かび上がると思う。描写力や構想うんぬんもあるが、それは書きながら掴んでいけばいい。


自分の書いた小説はけっこう気に入っているが、上手いか下手かと言われたら、まだ下手な方だと思う。

けれど、自分の書きたかった文章が違う形で世に出せたことが嬉しくて誇りに思っているので気に入っている。


私が伝えたかったのは小説の書き方ではなく、「いろんな創作の形があるよね」ということ。

文章に限らず、いろんな形での表現方法に挑戦してみてはいかがだろうか。



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