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感動はリアルを超えない

音楽を聴きながら書いたので流しながらお読み頂ければ幸いです。

note初期のころ
もともとは出会い系の日記コーナー
そこでネタ記事を書いていたから
エロ記事を書くことがあった

どれほど下ネタが敬遠されるか
それも知らない場所で
ゴーストバスターの替え歌を
少しエッチに書いたら
アダルト指定にされてしまった

そこにはアダルトではないのなら
その理由を教えて下さいとあって

正直これで18禁になるのかよ!!
狭いなnote!!と憤るけど
闘い方はいつもレジスタンスなんだ

アメリカンジョークで、コミカルケチャップ系になるのであって、けしてエロとかそういうことではありません。
きゃらを

こんな言い訳は聞いたことがない
そもそもコミカルケチャップは
咄嗟に俺が作った造語にすぎない

そういう文学なのか?と
運営さんに少し悪戯したい気持ちになった
もともと18禁になったネタは
消してしまったけど

当時は面白がってくれた
仲間達がコミカルケチャップを
一緒にもりあげてくれて

なんだか既にほっこりできる
思い出に昇華している
Googleで検索するとでてくる

コミカルケチャップ
それは意味不明だけど
何故それをこの人は書いたのか?と
思える様が面白い文学
という深い思考であったわけじゃなく

単にアダルト指定を解除してほしいだけ

なんとなくだけど遊び方はあって
毎日がつまらないから
誰か遊びませんか?という人は
あまり好ましく思っていない

こういうのが好きと
こういうのが好きが
集まるからイリュージョンは起きる

そこに祭りがないなら
自分が踊り出せばいい
暗いと不平を言う事なら
誰にだってできる

その暗闇にささやかながらでも
明かりを灯したい
そうしたらそのかすかな光をみて
誰かが来てくれることはある

その人も光を少しだしはじめる

誰の人生でもない
皆それぞれの人生をいきている

俺のやったことは
褒められたことじゃないけど

記事が読めるとき
それは大きく2パターンある

1つはライターさんの記事
とても読みやすい
スラスラ読める

それは洗練された技術なんだ
もう一つは生き方なんだよ

普通の人が面白い記事を
書いてやろうとしても
あまり笑えないけど
面白い人が何気なく書いた記事は読める
読みたくなる。

面白い人というのは
笑いをとることではない
どれだけ自分と向き合ったか
どれだけ多くの涙を流したか

苦しみの中にいるとき
それは必ず人生の糧になる
経験した悔しかったリアルを克服したとき
それはあなた自身がすごい読み物になる。

言葉が心を超えることがないように
感動はリアルを超える事は無い

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