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反抗期の思い出

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

昔から親父には苦手意識があった
かすみさんの企画に参加させてもらいます

「反抗期」
少年時代そういうものがなかった
それ以上に社会に挑戦しつづける
親父の背中を見て育ったし

あまり家に帰ってこないから
反抗する機会もなかった

大学に入学する際に
借りるアパートの契約に
珍しく親父がついてきてくれて
一緒に電車に乗った時

親父が言った言葉は今も忘れない
「きゃらを、この世に純愛はないんだよ」

例え純愛がなかったとしても
母さんは!!?
それは息子に語る言葉じゃないな(笑)

大学を出て初めて務めた会社が
2年で倒産したとき
日本橋にビルを持つ親父に甘えた
家賃3万円ですませてやる。と言われて

金をとるのか!!とは思わない
そんなところで反抗したら罰があたる(笑)
相場はどう考えても20万くらいする部屋だし
散々すねをかじり倒していた

色々あって別の会社で
そこそこ営業成績を上げた時
今の仕事を親父の会社でやらないか?と
その責任者に抜擢してくれたけど

リーマンショックと
純愛を探し求めた親父は
だんだん風向きがおかしくなり

俺は俺で、それまでは1営業マンだったのに
いきなり20人くらい採用しろと言われて
プロジェクトチームを任されて
「俺にはそんな器量がない!」と
わかっていながら言えなかった
30歳前後の俺

どんどん嫌な奴になる自分がいて
偉そうに語った下の子の前で
親父に人格否定される日がつづいて
みるみる自身を喪失していった

丁度その時、彼女と一緒に暮らしていて
彼女には子供もいたから
下の子を飲みにつれていける余裕もなくて
今度は取締役を下ろされて
今まで下の子だった子を上司に据える親父

諸事情があったのはわかるけど
1年くらい耐えたけど限界が来て
オヤジに内緒で就職活動をしていた
心が完全に壊れていたと思う

景色に本当色がなかった
眠れない日も続いていた

会社にいけば親父がいて
いつも馬鹿にされる状態だった
もともとそういう癖のある人だった
外面がいいというのかな
家族を少し下げて笑いを取る感じ

それがこの世代の感覚かもしれないけど
巻き込まれた俺にはたまらなくて

「もういい、お前の言う事なんかきけるか!」
初めてブチギレた
親父を後にも先にもお前呼ばわりしたのは
この時だけだ。

そのあと、1回だけ電話して
「言葉がわるかったね。ごめんなさい」
と謝ったけど。

それが親父との今生の別れになる言葉だった

だから息子さんが父と酒を酌み交わしてる
そんなnoteを読むと無条件で泣ける

反抗期にしては遅すぎた

妹から泣きながら電話がかかってきて
「お父さんがもう危ないから病院きて」
と急すぎるにも急すぎた

正直行きたくなかった
ずっと景色に色がない場所にいたから
職も転々として口先だけで
中身のない人間がいるなら
それは俺だったんだ

迷っていたら親父がなくなった知らせが届く
葬式も行きたくない程、嫌いだった恨み節

母親に葬式にも出たくない
といったら泣かれた

この時すでに、両親は離婚していて
母親だって赤の他人だろうと思った

人の道、人の心を説かれた

それでもしぶしぶだった
そんな思いを知ってか知らずか
変な形で駅まで向かう自転車のブレーキが
「パキッ」とあり得ない割れ方をした

なんだか親父怒ってるなって思った

妹も取り乱していて
東京で亡くなったのだからその辺で
式をあげればいいのに
親父の地元、山口でするといいだしたら
聞かない妹

行ったよ

母親を泣かせるほど反抗期じゃない
それにもう親父はいない
恨み節のひとつくらいいってやりたい
信長じゃないけど焼香をなげつけてやろうかと
思ったほどだったけど

会場入りして
兄弟だけ、オヤジの遺体と一晩共にする
妹がふいにオヤジのポケットに入ってた
手帳をみせてくれた

その1枚目には
小学4年生のサッカーボールを
抱えた俺の写真がはりつけられていた

涙が止まらなかった

結局、遺骨は
長男でもない親父をいつまでも山口に
置いておくと迷惑になると

地元の町田で結局母親の買っていた
墓に入ることになる
母親はちなみに健在だ

母親にしたら許せない親父だろうに
一緒にはいるみたいだ
親父に言うことばがあるなら

「親父、純愛はあるよ」

墓参りにいくといつも謝罪から入る
頑張ってる自分を一生懸命
伝える俺がいるんだ。

自分が頑張ったことなど
誰に語ることもないのに
親父にはしゃべれる

だから安心してくれとはいえないけどね(笑)

割とすごくて東洋経済とか雑誌あるでしょう
親父の名前をGoogleで打つと
過去記事が出てくる人だ

俺ももういい歳だ
だけど、いつか親父を
超えたいとは思っている

それが最後の反抗になるだろう(笑)

#反抗期の思い出

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