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チャレンジする気持ちをもって一歩前へ。トライ&エラーを続けられるその理由は?~IIBC Cafe Globe #22 Jun Kawaiさん

8月10日はぞろ目!第22回目のIIBC Cafe Globeでした。

Cafe Globeを開店することに至った背景はこちら

今回のゲスト

今回のゲストはJun Kawaiさん。

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1984年東京生まれ。仕事や生き方をキッカケに自分の性についてオープンにしているLGBT当事者:トランスジェンダー保育士である。『まだ触れていない世界のキッカケづくり』をキャッチコピーに、人と場所を紡ぐ遊び場やベビーシッター派遣のネコトヤギを運営。子どものなぜに寄り添い、枠にハマらない自由な表現を大切にしている。
2020年12月から訪問保育士として働く傍ら、自身のブサカワイイキャラクターのイラストを描き始め、日常にクスッと笑う笑顔を生み出している。絵を描くことが苦手な子どもたちが「絵は上手く描かないといけない」という先入観にとらわれ、自由な思考や表現が制限されている今、自身が描く『ヘンテコランド』を見てもらうことで、「上手くなくてもいい、自由でいい」ということを伝えている。ヘンテコランドは、人の心を持ち合わせた二足歩行の動物たちが色んな世界を探検する物語で、1つの絵から無数の物語を楽しんで欲しいという願いが込められている。
生涯の夢は人生を謳歌して、出逢った子どもたちが大人に成長したとき、どんな年齢であってもカッコイイと思われる人間であること。

じゅんさんと私

社会人3年目くらいから副業として始めたベビーシッターのお仕事で、先輩の紹介で出会ったのがじゅんさんでした。フランスやイタリアに視察に行ったらそのまま働いちゃったり、難民事業に携わったり。そして今はアメリカでご自身の作品を展示中!という「さりげない」グローバルさに魅了されてお呼びしました。第一印象はめっちゃアーティストタイプ!もっとじゅんさんのフィルターから見る世界が知りたく、カフェにお呼びします!

今回のお茶

Cafe Globeでは、ゲストのゆかりのある「お茶」と、ナビゲーターの私がその時おすすめしたいと思った「お茶」を交換して、飲みながらお話をしています。

今回私が送ったのは、今自分が住んでいる鹿児島ではないのですが(笑)沖縄県の久米島という島で焙煎をしているカフェ「マキノコーヒー」のドリップコーヒー「久米島ホタルコーヒー」を。7月に行ったのですが、イラストが手書き風でじゅんさんに送りたいと思いチョイス。売上金の一部は「クメジマボタルをシンボルに島の自然生態系と、子ども達の未来を守り育む【NPO久米島ホタルの会】」様へ寄付しているそうです。

一方、じゅんさんが送ってくれたのはひきこもり支援などをしている一般社団法人コブルさんが作るフェアトレードのコーヒー。世界一周の船に乗っていたことがあったそうで、その時に出会った知人が立ち上げた団体だそうです。

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届いたコーヒーは酸味が強めのコーヒー。取り組みも素敵です。

今回のカフェ。

さて、今回のカフェです。

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背景をご自身が描かれているイラストにしてくださっていました!手描きもデジタルも両方されているそうです。詳細はまた後程聞くとして、まずは出身地から。

東京生まれ東京育ちのJunさん。ただ、小学校6年生からなんとオーストリアとの往復生活をされます。
というのも、日本の集団生活や同調圧力に馴染めず浮いてしまって、陰湿ないじめを受けていたそう。そんな中、お兄さんと幼稚園が一緒だったこのお母さんでオーストリアに住んでいる方とお会いする機会があったときに、その後友人がJunさんの顔を見て一言。「この子は日本に居たら死んじゃうから私のところに来なさい。」Junさんのお母さんを説得し、Junさんが単身赴任のような形で一人でオーストリアに飛び立ちます。
どうやら、日本に一時帰国中にたまたまお母さん同士が再開し、「下の子は元気?」と聞かれたときに相談をしたら「会ってみたい」という流れになったのだとか。そして、オーストリアに行くことが決まったわけですが、そのときのJunさんの最初の感想は「そんなにトントン拍子に決めるなよぉ」。当時外国から先生が来てくれて英語の授業をしてくれたりしていたので英語は好きだし楽しいと思っていたけれど、いざ喋るとなると文法や盛会不正解を考えてしまう。「英語話せないのに機内食どうすんだよ」「喉乾いたときに『お水ください』とか言えないよ」と「怖い」という気持ちを抱いたまま現地へ飛び込んだそうです。着いてからもホームステイ先の家の中では日本語が通じるので衣食住が保たれているけれど、いざ一歩出れば自分が一人で動いていかないといけない。「相手が言う言葉はわかるけど自分が話したいこと話せない」っていう苦痛をずっと感じていたそうです。

そしてそれ以降、日本の学校が冬休みや夏休みなどに入るたびにオーストリアへ行き、現地の語学学校に入りながらオーストラリアの文化を学んだり、色々なところに連れて行ってもらったりするという往復生活を始めます。最初は悔しい気持ちで帰国しましたが、以降自分で勉強しよう、とトライ&エラーの気持ちで勉強し、またオーストラリアに戻り挑戦をする、ということを完全帰国をする18歳まで6,7年ほど繰り返してきます。

最初は複雑な感情が混ざりつつも、中学2年生の頃から「自分には日本が合わないのではないか」と思い始めます。「蓋をする」「“違う”人が来ると周りが下がる」「空気が読めない」などと言った空気感やフィルターを感じ、そこに踏み込んで関わっていくことができない。でも、オーストラリアに行ってみたらすっきりする。ちょうどJunさんは中学2,3年生の頃から、性同一性障害であることを認識します。男の子の心で生まれ、女の子の体で育ってきたJunさんは日本では中学校は女子校に通っていましたが、髪の毛を短くし、一人称を「僕」として話していて、「普通の女の子と違う」と後ろ指をさされた一方、オーストラリアでは「トムボーイ」と呼ばれ、「居場所」があり、「存在していいよ」と言われているような感じがあって生きやすかった。

そのような中で、このままオーストラリアに住むことも考えましたが、性同一性障害の手術を経てからオーストラリアに住むための永住権(グリーンカード)取得に動いていかなければならないということで、段階的に難しいと判断しなければならなくなります。「次、どうしよう」と考えたとき、自分の根源として思い出したのは「家族」。元々結構厳格な家族(門限あり、女子はスカートを履く、外泊時は詳細を伝えるなど)で育ってきたJunさんは、「ここじゃ生活は続けられない。どうにか家に帰らない選択肢が欲しい」と考え、専門学校や大学に進み、家から離れる日々を過ごしていきます。そこで、色々な考え方・生き方を知る機会に恵まれ、「間違っても味方でいる仲間」に出会え、自分の中で凝り固まっていた考え方を考え直し、視野を広げる・挑戦する・一歩を踏み出すというアクションに繋がっていきます。

自分は「人見知り」だったと話すJunさん。今までの話を聞いていると、日本での生活から他人不信になっていたのかなと思います。初めて話す方々からも、「フラットでオープン、だけど、ある一定線からは絶対入れさせてくれない」と言われるそうですが、自身で自覚はあまりないそう。よく言われる言葉を借りて「3枚目の扉を開けてくれない」について考えたとき、その3枚目をどう叩くかによって、相手が親友や相棒などになって自分自身もよりオープンになっていくのだろうなと考えているそう。そのためか、「圧が強い友人が多い(笑)」とJunさん。Junさんと本気で向き合ってきた方々が、きっと扉を開けてきたのでしょう。そういった人たちとだけ打ち解けるのも全然ありだよな、別に「人見知り」って直す必要ないよな、と思う私です。

さて、ここでJunさんの「性」について、もう少し聞いていきます。
まず、自身が「男性性」として生きていきたいと決めたのは「生まれたとき」。しかし、親の判断で女子校などに進学していきます。そうした中で自分の意思で動いていきたいと決断したのは中学生の頃。「この家にいたら何もできない」ということは物心ついたころからあったそうですが、「(子供だからって)親のお金で手術は違う」と考え、独立、つまり自身で稼げるようになってから、自分でお金を貯金し自分で治療を始めようと決めたのが高校1年生の頃だったそうです。ただ、当時は受け入れる人が少なかったため公にカミングアウトはしていなかったそう。たまたま当時上戸彩主演のドラマでLGBTqについて触れられており、「Junもそういう感じなんじゃないの?」とクラスで話題に上がったことはあったとか。そんな中数少ないJunさんが発信した相手達は「やっぱりJunって面白い」「やっぱJunはいいなあ」と打ち解け、今でもとても仲良しなのだとか。

イラストレーターやアートのお仕事についても聞いていきます。
まず、前述の専門学校でJunさんが学んだのは…木工(クラフト)!もともと小さいころから絵を描いたり漫画を描くことが好きだったそうですが、まず最初にそうした絵の世界を意識したきっかけは20代後半、保育士をやってみようかなと思ったところから!子どもの生態も気になるし、子どもがぐずったときに手持無沙汰になったらどうしよう、スキルが欲しいなと思い落書きを始めたのがきっかけだそう。親が造形教室をやっているのも影響があったようです。
そして専門学校時代、「家具の勉強が日本だけ・伝統工芸だけだと物足りない」と思い、Junさんが次に飛び出したのはイタリアのフィレンツェ。ヨーロッパに行ってみたい、と思い、専門学校の学長に直談判して渡伊!さらに現地でも町工場の工房のマエストロに「私は京都の専門学校に行っている。ここで勉強させてもらえないか」と交渉!結果2か所の工房に行くことができたそう。母の仕事の都合で以前からヨーロッパに行ったことがあったので、そこから知り合った知り合いにお世話になりながら、ホストマザーを探したり、そしてお仕事の交渉をしたり。そして、「イタリアの人ってこんなに仕事しないのか」と驚くカルチャーショックも経験。片言の英語とイタリア語しかわからない自分を雇ってくれた工房さん、3日目ぐらいまでは真面目に教えてくださったそうですが、4日目以降は「じゃあ僕ちょっと女の子とビール飲むからちょっとJun任せたよ~お客さん来たら電話してね。」と放置プレイになったことも!色々な経験をしたそうですが、「時間は有限」と考え、アクションをとっていったそうです。
また、「私は」「あなたは」とはっきりと主語から始まる英語に対し、主語がなく動詞から文が始まるイタリア語の方が、誰に合わせて話しているのかわかる、ということでJunさんにとってはそのラフ感が相性が良かったとのこと。言語との相性というのは考えたことがなかったので聴き入る私です。
そして、この経験を経て、「職人」として生きていくこと、20,30,40年この先ずっと工房にいて働けるかと思った時に「ちょっと閉鎖過ぎない?」と思ったそうで、次のキャリア(保育士やベビーシッターなど)へとシフトしていきます。

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ここで、Junさんのイラストについて深堀り。
ちょうどこのCafeが開催された当時アメリカにJunさんの作品が展示されていたのでその詳細を聞いてみました。というのも、なんとロサンゼルスの本屋さんで「アニマルポストカードフェア」というものが開催されており、そこに展示する作品を募集しているのをみつけたJunさん、「海外で個展がしたい!」とアプローチしてみたところOKをいただくことができ、作品を展示させてもらえることになったのだとか!

こうした、海外を自由に飛び回れる(自分だけでなく作品も(笑))機会や人脈をどう作っていったのかを聞いてみると、「世界と繋がることは意識していない」とJunさん。人と繋がるときは自分が「楽しい・ワクワクしたいことをしたい」「ドキドキ面白く何かしたい」と思った時に想像する人(Junさんの場合大体“ぶっ飛んでる人”だそう)を大事にするのだとか。ロサンゼルスでの展示の言葉を借りれば、「海外で個展をしている日本人の人で、美大は出ていないけれど趣味程度でイラストが描けた人」と想像してGoogleなどで検索して見つけた人に連絡を取ってみる。そして、「どうやったんですか?」と聞く。熱心に聞くと相手も紹介をしてくれたりアクションを取ってくれるのだとか。どんな人と出会いたいかというところを具体化して、実際にそれに合う人を探しに行く。私の中では新しい考え方で驚きます。

もう1つ、機会や人脈を作っていくにあたり、例えば相手が外国の方であれば「ポートフォリオ送って」と言われて自作のポートフォリオを送り、1回で返事が来たらラッキー、ダメだったらまた挑戦しようとフランクな考えで行動をとっていくそう。ここで大事なのは1つのアクションに「命をかけないこと」。オーストラリアの時の英語の考えと同じ言葉を話してくださいました。「トライ&エラー」だと。Junさんの中では足を軽くして繰り返し挑戦することがキーワードになっているように思います。何度も繰り返していくことで「こいつ面白いぞ」と目についてもらい、色々な人を紹介してもらい、気づけば人脈の中心にいたり。
「もし、今そういうのが欲しいな、と思っている人がいたら、1回自分から『何やりたかったんだっけ?』と思いながらもアクションしてみるといいかなって思います。僕みたいに「メッセを送る」というのは結構ハードルが高いと思うので、フォローするだけとか、いいね!ボタンを押すだけでも全然変わると思う」

ただ、そんなJunさんでも、「エラー」と向き合うと悲しくなることも。「やっぱり今の自分じゃ無理/ダメなんだ」と考え、次頑張ろうと軽々しく言葉を交わすけど、フラストレーションは自分の中に残ってしまうこともあるそうです。そんな時、這い上がるために、「どれくらい味方がいるか」は考えているそうです。家族なのかパートナーなのか友人なのか。そうした「味方」に話すことでフラストレーションを減らしていき、例えば絵であれば、「Junの作品は1番にいいよ」とほめてくれることで、また頑張り次に動いていくことができる、と。

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今回海外に展示しているイラスト含め、最近の画風や作品シリーズ『HENTEKO LAND』はなんと2020年12月、コロナ禍の中で生まれたものだそうです。Canvaでポートフォリオも作っているとのことだったので実際に見せていただきました(詳細はYouTubeの動画にて!)生まれたきっかけは、乳がんを患った母親の当時の自宅での闘病生活から。母親が寝ている部屋の壁が真っ白で寂しいなと思った時、「ちょっと絵描きなさいよ」と母親に言われ、母親のために描いた絵が始まりなのだそうです。母親からも「絵本や絵を描き続けて」「どんどん発信して」と言われ、発信するようになったそう。
仕様画材はポスカのみ。一度描きだすと5時間や8時間、ぶっ続けで描きたいがままに描くそう。今はワークショップや個展にまで展開し、田町のグランドパークに展示されている物もあったり。なんと22年9月は代官山で個展も予定しているとのこと!
今後は海外にも発信していきたいと海外展開を頑張っているそうですが、その一方で日本の保育園や介護施設にも飾ってほしいと思っているそうです。「その日に嫌なことがあっても見てるだけで笑っちゃうようなものがあってもいいのかなって。」

そしてなんと、いまJunさんにはNY出身?母語が英語の方が強いパートナーがいるとのことで、コミュニケーションも英語。これを機にさらに英語を頑張ろうとしていると公言くださいました。(笑)この流れで言語の話を再び。
Junさんが英語やイタリア語を学ぶ時に意識していることも聞いてみると、「環境を作る」とのことでした。つまり、日本語を使わない環境を作る。スマホもPCも全部英語仕様にする。(この話を聞いて自分もPCの言語を英語に変更しました)
また、今は保育士を卒業されて個人としてベビーシッターとして活動しているので、契約するご家庭、つまり訪問先のおうちを9割がた帰国子女や国際結婚をされた方にしたり、「英語の勉強をしたいので英語でシッティングをしますね」と提案をしたりするのだとか!子どもを相手にしているので「キッズ英語」が多いとのことですが、子どもたちがそもそもインターナショナルスクールに通っているのでそこそこのレベルでやらせてもらっている…と。仕事環境から英語を使う環境に自ら持っていく。かっこいいす…

ここでじゅんさんの性についての「差別」の経験が海外であったか、参加者からも質問があったので聞いてみました。日本に比べて差別されるような地域や環境にいなかったということもあるかもしれないが、オーストラリアでもイタリアでもフランスでも性的マイノリティに関しては特になかった、とJunさん。「なのでまあ奇跡だったのかなと思ってるんですけどそれよりもいろんな人に出会って価値観とか考え方を知る方が大切なのかなって思います。」むしろ、日本人であることで「レストランに入ってくるな」「この時間は日本人は入れないよ」といったことはあったのだとか。自分がそれを食らうとびっくりするけれど、何故そう言われてしまうのかを考えると、日本に住んでいたら知らない外から見た日本の事を知ったりすることもできるし、そういう意味でも視野が広がるよなーと私。太平洋戦争で日本がしたことをみんなで学び、アメリカの高校で一時期だけ白い眼をされたことを思い出します。

「日本人」というアイデンティティについて考えてみると、Junさんも現地で日本人が少なかったことから「じゃあJunは今日本人1人だし日本人のアイデンティティはどう思ってるの?」とか「日本人だからどう考えてるの?」と振られたときに空っぽだった自分に恥ずかしさを覚え、ちゃんと勉強しなきゃと日本史を勉強した時期もあったそうです。そして、自分自身の意思・意見を伝えたい時にうまく話せない、という悔しさから英語を学びたい・学び直したいという意思にもつながっていったのだとか。私が日本に帰ってきて日本文化を英語で学ぶ大学に進んだのはまさにそこですよJunさん。同意のヘッドバンキングが止まりません。←

さて、ここで今回から新しくCafé Globeの看板「猫」ならぬ看板「狼」となったモカに感想を聞いてみますが、Junさんの意志の強さに感動したよう。「自分を知ってもらいたい・自分を発信したい」と思い、行動ができる今のJunさんの裏には、色々な国で色々な経験をして色々な方に出会って全然違う強いJunさんがいるからなのではないかと思ったのだとか。

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時間があっという間になってしまったので、ここで全員で集合写真を撮り、Junさんからのメッセージを。
「僕はこういう生き方をしていって、これから先も自分のやりたいことを貫いていくんですが、皆さんはほんの少し勇気を出してやりたいことや、「小さい頃こんなことやってみたかった」といったことがあったら、挑戦する一歩を踏み出してもいいんじゃないかなって思ってます。」

そしてお知らせ。9月30日~10月2日の3日間、金土日にかけて、東横線の東京都の渋谷区にある代官山駅から徒歩5分のギャラリーUPSTAIRS GALLERYにて個展を開くそうです。都心の方、是非行ってみてください~!

私は、今回のCaféでは一つ一つのアクションにそんなに気張らなくてよいメンタルの大切さを学んだ気がします。それが失敗した時のダメージがデカすぎて次のアクションへの足が重くなったらもったいない。そんな時に支えてくれるのはJunさんの場合はいろんな方が周りにいたようですが、別にその支えてくれる人が大人数でなくてもいいんじゃない、と思ったりもしました。実は隠れ人見知りの自分、さりげなく共感ポイントが多すぎて、テンション高く過ごした1時間半でした。

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そんな当日のカフェの様子はこちらから

懇親会タイムは入っていませんが、最初の1時間の様子はこちらからも観れます!ぜひ!

もっとじゅんさん

カフェ以降もじゅんさんの活動をみてみたり、応援したい!と思った方へ。

まずはこちらのHPをチェック。

そしてネコトヤギのInstagramとヘンテコランドのInstagramを掲載します!ぜひフォローくださいませ~!



次回のカフェ。

ということで、次回のカフェ。9月10日20時からです。

お申込みや詳細はこちらから。

集合写真とかアップしてるのでぜひカフェのFacebookもフォローしてくださいませ~!

来月も楽しみです!


こんな私ですが、ぜひサポートお願いします。 いただいたサポートは、自分に沢山の学びと気付きの機会を与えてくれた人や団体、そして社会に還元していきたいです。