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『猫の恋』という言葉を知っているか

猫の恋という言葉を知っているか。
その意味を、心で身体で味わったことがあるか。
私はある。2022年の流行語大賞を決めるとすれば、
それ以外にはないくらい。

 猫の恋という言葉を辞書で引いたことがあるか。
その意味に、心臓を射抜かれたことがあるか。
私はある。春の夜となく昼となく、恋に憂き身をやつす猫のこと。
毛を逆立て奇声を発して、恋の狂態を演じる。

 30も半ばを過ぎて乙女心など持っていられない。
ただでさえ若い頃から「恋を蹴っている」と言われた女だ。
胸を焦がすような想いとは無縁のはずだった。
そんな私が、ちらほら梅の咲き始めた春、3月初頭。
どうしようもない恋に落ちた。

 相手はどうあっても手が届かぬ人。
会ったことも話したこともない。赤の他人なのだ。
それでも、その人の声を言葉を、些細な報告を每日待っていた。
この衝動を「好き」と名付けた時には、もう手遅れだった。

 馬鹿にされるかもしれない。
馬鹿にされてもいい。その人のために可愛くなりたかった。
若くて幼い女の子が好きだと聞いて、メイクも服装も一新した。
似合うわけがない若作り。ちゃんと擬態しているつもりでいた。
だって「好き」を持て余した人間に出来ることは少ないのだ。

 ・毎朝毎晩、白湯を飲む
・深夜の暴飲暴食を改善
・每日欠かさず1時間のストレッチ

 肌艶はどんどん良くなる。化粧ノリは最高。
スタイルはキュッと引き締まって、3ヶ月半の間に15kgも痩せた。
気持ちはいつも上向きで「瞳がキラキラしてる」なんて言われたりした。
あの人が好きだから、ただそれだけ。恐ろしいことだ。


 あの人は猫を飼っていた。とっても美人な女の子。
『猫は恋人。自分は猫に恋をしている』
めったに見せないデレデレの笑顔でその子への恋心を語る。
私は生まれて初めて猫に激しく嫉妬した。

 優しくて繊細な手で撫でられたい。
甘い声で愛おしそうに呼ばれたい。
起きたての掠れた声で「おはよう」と囁かれたい。
布団に迎えられながら「おやすみ」と抱き締められたい。
あの人の恋する存在に私はなれない。
私は猫になれない。


 ある日、東京で猫にまつわる美術展が開かれることを知った。
あの人はイラストや絵画も大好きだった。
きっと喜ぶんじゃないかな。そう思って戯れに情報を教えてみた。

片思いとは得てして自己満足。見返りなど欲しくない。
返事なんて求めていなかったのだ。
たった一言「ありがとう。面白そう」
その数文字が春色に染まった。

 うちの実家では犬を飼っていた。もともとは犬派だったのだ。
だから、狂ったように猫に執着する姿は我ながら異様であった。
都内の野良猫スポットを巡り、猫の写真を撮った。
自分基準で小粋な恋文を添えて、
週に1度あの人に送るのが楽しみになった。

 ・等々力渓谷
・大井ふ頭中央海浜公園
・谷中霊園
・雑司が谷霊園

 返事は来るときも来ない時もあったけれど関係ない。
寝起きらしき早朝に「おう!」と一言だけ届いた時は、
この世界にあの人と私しかいない気分になった。
猫だけで繋がったあの人との関係。
これを猫の恋と言わずしてなんと呼ぼう。


 あの人は大阪に住んでいた。
それだけで縁も所縁もないあの街が大好きになった。
心斎橋、アメ村、桜川……あの人が口にする地名が全部恋しくなった。
とびきりお洒落をして、東の都からはるばる出掛けていく。
同じ空の下同じ土を踏んでいると言うだけで幸せ。

 猫も、大阪も、甘いお菓子も、あの人のせいで好きになった。
好きが好きを呼んで膨れ上がっていく。
私は每日美しくなった。

その頃、いつも聞いていた歌がある。
きのこ帝国の「猫とアレルギー」
もともとは音楽好きなあの人のため、猫の写真と一緒に送ったものだった。
愛猫家に猫アレルギーの歌を届けるのもどうかと思うが、
どうしても聞いて欲しくなったのだ。
勘の良いあの人なら、私の気持ちを代弁するような歌詞の意味に
気付いてくれるような気がした。

 「話せなくていい。会えなくてもいい。
ただこの瞬間、こっちを見ていて。
あなたの顔やあなたの声が夢に出る夜はどうすればいいの」

 そして、あの日がやってくる。
「猫とアレルギー」の歌詞を再現するような出来事が起きたのだ。
自分基準で完璧に着飾った私は、あの人の巣食う大阪に乗り込んでいた。
コロナ禍を忘れるように賑やかな街、なんば。
関西弁で溢れる味園ビルに惹かれつつ、
あの人を一目見るために御堂筋を駆け抜ける。

 何度も言うが、片思いとは得てして自己満足。
見返りなんて求めていなかったのだ。
だからあんなところで、偶然に出くわすなんて思ってもいなかった。
あの人が私を見ている。見つめられたいと何度も願った瞳。
じっと私が口を開くのを待ってくれた。
だけど……たった一言「ありがとう。面白かった」
その数文字すら伝えられなかった。

「話せなくていい。会えなくてもいい。
ただこの瞬間、こっちを見ていて。
ほんの少しの勇気があれば、後悔せずに済んだのでしょうか」

 「猫とアレルギー」のサビ通りじゃないか。
振り返ればあの出来事は、綺麗になった私へ
神様からのご褒美だったのかもしれない。
あるいは、実らぬ恋に歯止めをかけるための秘策だったのだろうか。
私とあの人の人生があの数秒だけ混じり合った。
あの人が忘れても私は一生忘れられない。

 二度とない邂逅はラストシーンのようだった。
あらゆる恋愛映画の主人公も、心の何処かで気付いているんだろう。
この想いにはいつか結末が訪れる。
一方通行に溺れるだけの自分ではいられなくなる。
客観性と理性を兼ね備えた大人なのだ。
身の程をわきまえる、という言葉の意味もよく知っている。

 諦めようと思えば今すぐ諦められる。
好きで居続けようと思えば死ぬまで好きでいられる。
誰にも言わない片想いだから。
東京の空の下、遠い大阪に向けて何度も呟いた「好き」が駆け巡る。
春の夜となく昼となく、憂き身をやつす私のことを
あの人は決して知りたがってくれない。

 
それでも、この恋はあまりに幸せだった。

 
気まぐれでマイペースなあの人を追いかけて、喜んだり切なくなったり。
猫じゃらしで遊んでいるような、楽しい每日だった。
ひとりぼっちの恋だとしても、私を丸ごと変えてしまった。
だからやっぱり、簡単に捨てたりはできなかった。

 あれから、夏、秋、冬と季節は巡った。
私は今、とある小説を書いている。
東京の猫が大阪の猫にどうしようもない恋をする話。
ハッピーエンドでは終わらせないつもりだけど、
事実よりはちょっとワガママでも許されるだろう。

 いつか書き上げたら、たくさんの人に読んでもらおう。
あの人にも報告だけはしようと決めている。
もちろん誰がモデルだとか野暮なことは言わない。
あなたと出会えて良かったって感謝の気持ちを伝えたいだけだから。


 春に始まって春に終わるはずだった猫の恋は、
2022年の12月現在も、こうして続いている。


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