ねこちゃん

あまりに生き急いだ家族のことを書いたりする 散文

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あまりに生き急いだ家族のことを書いたりする 散文

最近の記事

いち

まるでふと思い出しては、わざとかのように涙が出てくる。 ドラマや映画のようなセリフをわざとこぼしては 強制的に排出される涙をぬぐって満足する。 ずっと他人事だ。 私は。 もうすぐ一周忌。 それから十七回忌。 ずっと他人事だ。 昔は、目の前のことでたくさんいっぱいだった 仕事も嫌なこともあるけど、目の前のことに集中していればよかった 父が死ぬときも、目の前のことに集中していたから じゃああとずっとこの先のことは 考えたこともなかったな。

    • 雷雪を待つ

      雪が降るとどうして少しわくわくするのだろうという話。 高校2年生の冬だったと思う。 母が死んで、ちょっとあの時の記憶を思い返すことができないが。多分それから1年ほど経って、私は人生で初めてアルバイトを始めた。 人生で初めての労働。 とりあえず生きていかないと、などそんな大層なものではなかったけどとりあえず戸籍の上では一人になったことをまざまざと市役所から突きつけられたのでなんとかしないと。 だって一人で生きなきゃいけないんだもの! とかなんとか拗らせて、馬鹿な話ではあ

      • 歳を超える

        30歳になった。 30歳はもう大人だ。すごく大人だ。 17歳の考える30歳は家庭を持って子供が小学生ぐらいで家を買って、仕事は電車通勤の20分圏とかでなんか別で株とかやってんだ。 で、なんか、なんか、なんか。すごいんだよ。 2024年になった。 去年、1人で過ごした年末。 友人達と過ごすはずだったのだけどそれも叶わなくて。 実家に帰るねって言ったから。 実家の父はすごく眠いんだよ〜といって寝てしまったのだ。 体調が悪かったのに。私は見ないふりをしたんだ。 だから1人だった

        • 冷凍庫にある何か

          リフォームを見切り発車ですることにした キッチントイレなどみずまわり 業者さんは若くて、この雑多に物が多い実家を見回して「芸術系ですか?」と言ってた。 業者さんはとても優しいのでここだけ片付けてね、ここはそのままでいいですよ。あとは僕たちが全部やりますからね、と言ってくれる。 でもまあ何もしないわけにもいかないし、と片付けを始めました。 部屋に残った物の多さはさておいても キッチンに残っている物の多さは予想だにしなかった。それと1番生活に近いものたち。 私の中学時代に使

          春を待つ

          外された充電器と、まとめられたiPadと携帯、私が渡したポケットWi-Fi。 昨日までは枕元に置いてあったその機械たちが、到底動けないベッドから手を伸ばし手も届かないところにまとめて置いてあって あれ、どうして? と思った。 病院のエレベーターを待つ時間さえ惜しくて駆け上った病室への階段も、 無理やり駐車場じゃない場所に止めた車も、信号無視した道も、私の焦りとは全くもうずっと前に父は死んでいたのだ。 延命措置をしません。 って、そうか、そう言う事なんだ。 とほんのり温か

          たとえば、いつか

          実は12歳程が離れた兄がいて。兄は早くに婚をして子供がいて。 喧嘩しがちな両親を宥めるために毎週帰ってきてて。 妹の私になんだかんだと気を配ってくれる兄がいて。 両親の離婚が決まったあの日とか。 母親が倒れ死んでいった早朝、 父が病に伏せた梅雨の日、 祖父が死んだ日付もわからない過去、高校1年生には抱えきれなかった事務的なさまざまなことを目の前にして逃げた夜更け、 犬が死んだのに帰れなかった日、 逃げるようにして家を出た夏、 ぜんぶたった1人だった時にも。 兄や姉がい

          たとえば、いつか

          洗濯機回しておけばよかった

          いつか死ぬ間際に思うかもしれないことは ああ洗濯機回しておけばよかったな、でありたい。 洗濯機を回すのはとても神経がいるのだ。 上階の住人に音が響かぬようにとか 隣の戸建ての窓が空いてないだろうかなとか。 洗濯機を回して少し経つとゴウンと音を立てるから。ジャアアアーゴオオーガタンガタンガタン 脱水なんてたまったもんじゃ無い。 音がうるさくて。 更にその後に干さなくてはならない シワを伸ばして裾をはたいて 靴下を揃えて 下着は別にしているからネットから出して。 コイン

          洗濯機回しておけばよかった

          ひとりになる準備をする

          5歳から一緒に年跨ぎで飛び跳ねたあの子は、 いまどこにいったんだろう。 大人になるまで、年末とは楽しいこと!という記憶がある。 私は冬が誕生日だったこともあるが、そこに畳み掛ける一大イベントの 「クリスマス」「今年最後」と名を打つイベント、冬休み前の繰り上がった時間割。関東で降るかもしれない雪。我が家の職業上増える訪問客。 23日の旧天皇誕生日から、「おおみそか」といういつまで起きていても怒られないその日。 夏休みや春休みより、私ははるかに年末のあのツンとした謎の緊張感が

          ひとりになる準備をする

          17年間お花をくれた君へ

          母が亡くなったのは16歳の冬だった。 朝、いつものように起こされて文句を言いながら、作ってくれた朝ごはんのチーズが入った卵焼きに手をつけずに家を出て高校へ行った。 その日は小テストがあるからとイライラしながら家を出たものの、途中で出会った友人から今日じゃなかったことを知り「ごめんテスト明日だった〜!笑」とメールを通学路で送ったら、エラーで帰ってきてしまった。 まあ後ででいいや。 と思ったらもう一生読まれることはなかった。 その頃私は反抗期で、中学を卒業したタイミングで離

          17年間お花をくれた君へ

          「先生、いつ死ぬの?」

          だって先生、ガンなんでしょう、いつ死ぬの? 小学4年生の、ただ純真無垢で善悪も伴わないその質問に、先生はひとしきり豪快に笑った後、「さあねえ、お前が死ぬまでには死んでるよお」と後ろにいるその子が死ぬ前に死ぬであろう娘を気にしながらその子の頭をぐじゃりと撫でていた。 父は「先生」と呼ばれて30年余りになるらしい。15年前までは母も父も先生だった。15年前に母が去ってからは父が1人教鞭を振るう。教鞭と言えど何か為になる勉強を教えるのではない。 父も母も「絵画教室」の先生だ。か

          「先生、いつ死ぬの?」

          母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思ったを読む前にもう遺骨を食べていた

          だから同じ思いの人間がいることに、わたしはひどく感心してしまった。 何ならこの話は墓場まで持っていくつもりだった。人間の骨を食べるなんて、きっと私はどうかしてしまったのだと思った。 そしてこの本も、映画も、怖くて見れないというのが本音だ。 わたしの母が死んだのは高校一年生の時だ。 本当に瞬く間に倒れて、またたきもせずに死んでしまった。 最後の会話も、虫の知らせも、四十九日の間に起こる不思議な体験も、何もなかった。 その日はテストで、母に朝起こしてくれと前日の夜に頼んでい

          母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思ったを読む前にもう遺骨を食べていた