ひとりになる準備をする

5歳から一緒に年跨ぎで飛び跳ねたあの子は、
いまどこにいったんだろう。

大人になるまで、年末とは楽しいこと!という記憶がある。
私は冬が誕生日だったこともあるが、そこに畳み掛ける一大イベントの
「クリスマス」「今年最後」と名を打つイベント、冬休み前の繰り上がった時間割。関東で降るかもしれない雪。我が家の職業上増える訪問客。
23日の旧天皇誕生日から、「おおみそか」といういつまで起きていても怒られないその日。

夏休みや春休みより、私ははるかに年末のあのツンとした謎の緊張感が好きだった。今でこそわかるが、何かに追われる大人たちはきっと必死だった。


大晦日になると我が家にはいろんな友人とその家族が集まって年を越していた。歳を重ねるにつれ人はどんどん様変わりしていったが、
なぜか年越しは私の家だ。
だから私の感覚で、年越しは家でするものだった。

小学生の頃は幼馴染と、たくさんの両親の友人と、私の家族が
中学生の頃は幼馴染と、たくさんの両親と私の友人と、私の家族が

高校生になって母親がいなくなっても、私は自分の家で年をまたいだ。

高校生の頃は幼馴染と、友人と、私と父。
大学生の頃は幼馴染と、彼氏と、友人と、私と父。
22歳の頃は、幼馴染と、友人、私と父。
23歳の頃は、幼馴染と、私と父。

それから数年経って、幼馴染は年末に私の家に来なくなった。
連絡を取ることも無くなった。
お互いに約束をしなくてもなんとなく年末に集まっていた十数年は、
別に理由もなく終わってしまった。

その次の年は、初めて父親とたった2人で年を跨いだ。
「なんだ今年は誰も来ないのか」と言った父親の言葉がとても寂しかった。

去年の年末に流行りのウイルスにかかった。
父の元へ帰るわけにもいかず、
一人暮らしの家でぽかりと寝ていたら年が明けた。
それが自分でも思っているより寂しくて、あまりの寂しさに父親に電話などしていた。

ある友人は言う。
「でも年越しって別に家族でやらなきゃいけないもんじゃなくない?」と。
確かにそうだ。年越ライブやスキー場年越しなんてものもあるし、友人たちと飲み暮れて新年を迎える人も大いにいる。

ただなんとなく「日本人は年の瀬に実家に帰って家族で正月を迎える」のような概念があるだけなのかもしれない。
ただその概念が根強くある私にとって
「1人で家ではない場所で年を越す」というのはクリぼっちとかよりもとんでもなく辛いことだった。

それからもういくつ寝たあとの今年、父親は病に臥せた。
わたしは年末の焦燥感ともっとほかのいろいろな焦燥感を抱えながら

「今日いくね」と連絡を入れると
「熱があるから来ない方がいい」と返事が来た。
「じゃあご飯だけ持っていく。お蕎麦たべなよ」
「うーんいらない。寝るよ。お前も寝なさい」
「わかった。」


ほんの一瞬で1人になった。

メッセージを打つ手が止まり、
どうしようもない焦慮に駆られる。あと身を切られるような孤独感。

私が私の意思で作らない限り、
これはもういつかひとりになるんだなと。
家から、私の周りから、人はどんどんいなくなって。

かつて両親の友人や私の友人たちで賑わっていた家には
床に臥せた父親しかいなくなり、もうそこにすら帰れない。

両親の作ったコミュニティはもうなくて、
それに依存している時間ももうない。

そしてひとりになるのが、自分で思っているよりも怖いのだと
それをまざまざと思い知る。


今年はその準備かもしれない。

なんでガキ使やらないんだろうって思ってたら年が明けた。

タバコを買いに立ち上がったら外から若者のはしゃぐ声が聞こえる。
「あけましておめでとう」と父親にメッセージを送ったけど
寝ているから既読にはならない。

友人からくる「あけおめ」のメッセージに「おめでたーい」とおどけて返し、少し泣きそうになってしまう年明け。

もう帰る場所があるということに
タイムリミットができてしまったのだ。

というのを今年ほど何も考えなかったようにした年はない。
今年ほど考えた年もないけれど。
人に依存するということは、寂しいからだけど
人に依存するのにも、労力がいるよね。

散文もいいところ。
今年の目標は良い意味での自立にしよう。


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