17年間お花をくれた君へ


母が亡くなったのは16歳の冬だった。

朝、いつものように起こされて文句を言いながら、作ってくれた朝ごはんのチーズが入った卵焼きに手をつけずに家を出て高校へ行った。
その日は小テストがあるからとイライラしながら家を出たものの、途中で出会った友人から今日じゃなかったことを知り「ごめんテスト明日だった〜!笑」とメールを通学路で送ったら、エラーで帰ってきてしまった。

まあ後ででいいや。
と思ったらもう一生読まれることはなかった。

その頃私は反抗期で、中学を卒業したタイミングで離婚も経ていて、家庭が終わるにはあまりにもタイミングが良かった。
母は父と離婚したその半年後に、瞬く間にこの世を後にしてしまった。何も言わず、何も伝えず。

ほんとうに一呼吸の間もなく。
くも膜下出血というらしい。

母にはおそらく私を産む前より、
父と結婚するよりも前から好きな人がいた。
きっと何かしらの事情があって、離れてしまった人がいたのだと思う。
離婚した後にその片鱗はいつもちらついていた。
まるで少女みたいに夜中に電話する声や、月に何度か出かけていく着飾った後ろ姿。

一度だけ、私はその彼を見たことがあった。
本当に一呼吸でこの世に未練を断ち切ったらしい母も、この世にまだいる私の都合で死なれてたまるかと意地の生命維持装置で命をつなぎとめていた時だ。

総合病院の集中治療室の一角、もうだめですけどね?みたいなビニール張りの箱に入り、ただ機械で生かされる母親の傍に、もう意識はない彼女の元に、どうしようもないぐらいくたびれたおじさんが膝を折ってさめざめと泣いていた。

看護師が「あの方は誰ですか」と高校1年生の私に問うたとき、「これはものすごく大人の関係みたいな話になるな」と思ったのを覚えている。

そのあと、その人は通夜にも葬式にも来なかった。亡くなったというのはきっと誰かから伝わったのだは思うけど。
それから二回ほど、解約をサボっていた母の携帯に電話が来て、それから二度となかった。

そんな母がいなくなって17年経った。

だいぶ生きてきてしまった。

長い長い時間。
それでも昨日みたいな感覚だ。
私はもう1人で生きていける人間になった。
別に1人で生きていきたかった訳ではないけど、もう否応なしに1人で大人になってしまったのだ。

いろんな忖度や憎悪や気遣いや愛想笑いや我慢ができる大人に。
感情や理性やルールがわかるような大人に。

母親がいなくて感傷に浸ることもなくなった。
母親がいなくて卑屈になることもなくなった。
母親がいないことを理由にした狡さを披露する事もなくなった。

そしてその去った日から今日までこの時期に、骨の上に置かれたただの石に花を置きに行っていた。

命日が特別な日などとは思わないけれど。
周りの優しさとかを吸い上げて。

ひとりで、幼馴染と、友人たちと、当時の彼氏と、一度だけ父親と、祖母と、親戚と、なぜか上司とも。
そしてまたひとりで。本当にいろんな人と、
17年間、私はこの日に花を置きに行っていた。
忘れてしまうこともあった。
忘れてしまえるほどになるならそれはそれでとも思いながら。

リンドウとカスミソウが好きだったので。
17年間。冬に竜胆はないのだけど、高い金を払える大人だから。

-


初めは祖母が来ているのだと思っていた。
毎年私が石の前へ行くと、そこには同じ花がある。
リンドウとカスミソウと、たまに黄色のガーベラが不釣り合いに墓の花立てにぶっ刺さっている。
高さも葉の量も左右バラバラに。墓に花を入れる事に慣れていない人の差し方。

祖母じゃないと知ってからは親戚か、まあ母の友人か、はたまたあの男の人なのかなと思っていた。きっと付き合っていたなら母の好きな花も何もかも知っているだろうしなと。

だったらちょっと素敵な話なんだろうなと。
でも別に誰が?などと気にする事がなかった。

早すぎたらしい母の葬儀には400人もの参列があったらしいし、17年経った今でも郵送で大学の友人から花が送られてきたりする。

なんなら私よりも付き合いの長い人がいる。

なにせ私は16年しか母と一緒にいなかったから。

そして今日。17年目の今日、ついにそのお花を備えてくれてた人と出会ったのだ。

結論から言うと全く知らない人だった。

見たこともないおっさんが、墓の前にいた。

初めは親戚かと思ったが、よく見れば全く本当に知らないおっさんだった。
茶色のジャケットを羽織っている白髪の多めな小綺麗なおっさんだった。親戚にも知人にも、こんな人はいないはずだ。

墓を間違えたかと思ったが、墓に刺さっている花のラインナップは私が手にしているものと同じだった。

大人になった私は、そのおっさんに理性的かつ大人の立ち振る舞いで話かける事もできる。
が、自分でも気づかないぐらいあまりに動揺していたのだろう。

「あのー、誰ですか?」

と、思春期バキバキの女子高生みたいな声色と問いかけが出てしまった。もっと他に言い方はあったけど。もう動揺と、この人がずっとお花を..?という感動が上回ってしまった。

「もしかして娘さんですか」
と、おっさんが言う。

そして結末としてはメロドラマも感動もクソも何もなかった。映画みたいな奇跡とかもなかった。
実は母のほにゃららで私の実の父でみたいなそんな事は何もなかった。

祖母が通っている教会の参礼者というだけだった。
なんでも年老いた祖母の代わりに年廻りで花を持ってきてくれているとのことで。
(ただ祖母も来てる)
別に母親とも面識はなかったし、使命も思い出もクソも無かったわけだ。
祖母から好きなお花を(人伝に)聞いて、月会費で買うらしい。

「毎年母のお墓にお花をありがとうございます」と理性的な返事をした。

(顔も知らない教会に参列してる老婆の娘の墓に、持ち周りで生前好きだった花を午前中に供えて、めちゃくちゃに拝んでるってちょっと気持ち悪くない?)

を理性的かつ社会的に言うと
「ありがとうございます」になる。

宗教もカルチャーも性自認も自由なこの時代に何も言うことはないけれど。
墓参りって、義務ではないと思うから。
個人が故人を想う方法は幾万通りもあるから。

私だけが知っていたはずの母の好きな花は
持ち回りで通年行事のバイトシフトみたいにして供えられてた。

私だけが知っていたはずだった母の姿は、17年経つともう誰にもわからないのかもしれない。

この先も、一緒にいた時間だけは変わらなくて、1人で生きた時間だけがどんどん増えてしまって、後10年も経てばもう忘れてしまうかもしれない。

でもあの教会の人たちは、祖母が居なくなったとしてもバイトのシフトみたいにお花をたむけてくれるかもしれない。
祖母に、ははに。それはいつまで。

誰かを残していくことに耐えられなくて、
誰かに残されるのも耐えられないから、
結婚も、子供も欲しくないと思ってしまう。

だからわたしだけがひとり残って、ひとりで死んだとしたら、わたしにも好きなお花を人伝とかで聞いてエクセルデータにして共有欲しい。

「来月の18日がアレっすね、ガーベラ赤発注です、水谷くん行けます?」みたいな。

バイトのシフトぐらいの感覚で。


残すのは嫌だけど、思い出されないのもちょっと悲しいという生きている人間のわがまま。

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