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【あの日の建男は、何に苦しんでいたのか⁉️】


父、建男が他界してから、10年が経った。

東北の方の、大地震のあった年。

そういえば、某アメリカ合衆国での大規模テロから、20年だってね。

時は流れる。

私は、訳あって、
建男の最期に立ち会ってない。

別のところで書いたけど、
それはそれで、
間違っていなかった、と思いたい。



最近、素敵な話を、ずっと不具合を生じたままの結婚生活と別居生活と癌治療のための入院生活と最期の最後に同居した母から、聞いた。

10年も経つと、生前の交友関係なんて普通忘れてしまうモノだろうけど、父が自律神経失調症を克服した後に、営業活動をしていた際のお客さまが、今年、わざわざ、東京から会津若松まで墓参りに来てくれたそうだ。

ヒトは、亡くなった後に、そのヒトの生き様が表れるという話を、どこかで聞いたコトがあるけど、建男は、そんなヒトだったのか、、、

母にとっては、その素敵な話も、複雑なコトだろう。

私は嫌な思いしか、してないから、、、

と、ボソッと呟いていた。


私にとっての父は、やはり、毎日、夕方になると、テレビの再放送で、《大岡越前》を観ている姿が印象的だ。

加藤剛の凛々しい顔。


缶ビールも飲んでたっけ。

彼は、自律神経失調症だった。

簡単に言えば、うつ。

でも、簡単に言っちゃ、いけないのかもな。

私には、彼が何に苦しんでいたのか、分からないし、もちろん、周りの誰も分からない。

彼自身、分かってなかったんじゃないかな、、、

その後、彼は、別人のように、新しい働き”型”を手に入れた。

毎晩のように、酒を飲むコトは辞めなかったけど、家族以外の周りのヒトから、好まれた。

愛されていたかどうか、は、分からないけれど。

で、そんな別人のような彼を好んだ、取引先の方が、10年経っても、まだ、建男のコトを思い出し、お墓まで会いに来た。

私は、殆ど、会津には、帰らない。

むしろ、避けてるぐらいだ。


あの頃、建男は、どんな思いで、毎日、ビールを飲んでたんだろうか⁉️

私のように、毎日、いろいろな国の、いろいろな造り方の、いろいろな品種の、いろいろなビールを、建男は飲んでない。

日本の大手メーカーの、伝統的なビールのロング缶、つまり、500ml缶を2本から3本を、毎日飲んでいた、という記憶。

その頃は、外国のビールも、バドワイザーくらいしか、日本になかったかもしれないし、クラフトビールとかは、まったくなかった。

だから、彼には選択肢もなかったし、そもそも、味を娯しむような、飲み方でもなかった。

とりあえず、ビール。

酔っ払えれば、それでヨシ。

それは、それでイイけれど、、、


その意味では、私は恵まれている。

最近では、大手スーパーチェーンでも、コンビニでも、クラフトビールが買える。

出張先では、地ビールも、コンビニで買えた。


さてと、今日は、どのビールを飲もうかな、、、


私は、今、あの頃の建男と一緒に、ビールを飲みたいのだ。

そして、彼のコトバに、耳を傾け、彼を聴きたいのだ。


できないコト、というのは、そういうコトを指す。

人生は、できないコトで構成されている。

だから、少しでも、可能性があるなら、できない、なんて聞きたくないし、言わせない。


できない、
なんて、
絶対に、言いたくない。



それでは。



【いつか、また、どこかで】

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