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毎日エッセイ:自分語りキモすぎワロッタwwwwwwwwwwww

 数年前のインターネット、それも主に匿名掲示板には、「自分語り」を嫌う風潮が色濃く根付いていたと思う。「自分語り(と誹謗中傷)を続けたコテハンの自宅特定」という事件が起きたり、「隙あらば自分語り」のようなワードが流行っていたりしていたことからも、それが伺える。
 しかし、考えてみて欲しい。自分語りってそんなに悪いことなのだろうか?自己開示のない会話なんて何も面白くない。僕は(少なくとも今では)人の内面を知ることにコミュニケーションの意義を見出している。多くの人間は「自分のことを誰かに知ってほしい」という欲求を持っているようだし、やはり自分語りは大事だと思う。
 中学生の頃からインターネットに入り浸っていた僕は、先述の「アンチ自分語り」の考えに大きく影響されていた。自分語りをすると嫌われると思い込んでいたので、自分の考えを表に出さず黙っているのが美徳と考えていた。決して現実では口にしなかったが、SNSで自分語りをしている同級生の事も「また自分語りしてるよw」と斜に構えて見ていた。もしかしたら、勝手な思い込みに怯える僕にできなかった「自分語り」を平然とやってのける自由な彼らが羨ましかったのかもしれない。

 もちろん、過度な自分語りは確かに嫌われるだろう。しかし、それは「自分語り」が悪なのではなく、「マウントを取りたい」という思考が話し手の根底にあるとか、はたまた聞き手に身勝手な嫉妬心があるとか、相手が興味を失っているのに話を続けているとか、そういった心情面やコミュニケーションの問題ではないだろうか。

 思考の整理と称した自分語りの怪文書を投稿し始めてからもう3週間になる。この投稿も僕の自分語りだ。時々、まだ脳内に居座っている斜に構えた自分が「自分語りきっしょw」と僕を刺してくる。その度に少し心が痛むが、それでも自分語りを続けたいし、他者の自分語りに触れたいと思う。


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