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駐妻が全然キラキラしてないぞって話。

こんにちは。アメリカはテキサスで、駐在員の妻いわゆる「駐妻」として暮らすかやこです。

「キラキラしている」と思っていた駐妻ライフ。いざなってみると、私に見えていたのがいかに一側面にすぎなかったか、、と痛感する毎日なので、かつての私のような人たちへ届け!と思い、したためます。

なぜキラキラしていると思っていたのか

ひとえに、海外暮らしへの憧れがあったからだと思います。でも学生時代の留学経験から「自分は海外に永住できるタイプではない」とわかっていたので、期間限定な駐在はとても好条件に思えました。

かつ、駐在家族の暮らしぶりの華やかささたるや。外国語学部だったからか、駐在員・駐妻(駐夫はまだいない…)の友人が世界各国にいて、異国暮らしをする彼らのSNSは、国を問わず光り輝いて見えるわけです。

日本よりもはるかに豪華な家、国によってはお手伝いさんや運転手つき。日本にいる頃より明らかに頻度の増えている外食、旅行。それらの物珍しさ。そして大抵の場合は奥さんは働いておらず、一馬力でその生活が賄われている…。

輝いてませんか?働くことは決して嫌いじゃないしなんなら好きな方だけれども、毎日の忙しさにヘトヘトになったり、欲しいものや行きたい場所があってもその現実的でない価格にぐっと欲望を抑えた経験があれば、駐在家族の暮らしぶりは輝いて見えると思うんです。思うんです…思うんです…(エコー)。

そして念願の(?)駐妻になった

そんな私に舞い降りたチャンス。なんと駐妻になりました。

駐在の話を聞いた時「私のキャリアは…?」と一抹の不安が頭をよぎりました。しかし当時、夫は海外へ単身赴任中。私は時短で働きながら1歳の娘をワンオペで育てるという、別名地獄を味わう日々。

この状況から脱せるならなんでもいいわい!と飛びついた駐妻。
渡米して数ヶ月、私がどう感じていたのかはありのままの言葉でここに記録されています。

産休育休で一時は離れたものの、ズンズンとキャリアを重ねていると思っていた自分の人生。そこに突然やってきた「一時休止」に戸惑っていました。

誰が決めた人生か

駐妻の何が辛いか、それは「自分で決めてない」ことに尽きると思っています。
「付いていく」ということは、もちろん自分で決めました。でもそれを「100%自分で決めたから」と思うのは、あまりに難しい状況です。

「自分で決めてない」ことの何が問題なのか。生活するモチベーションです。どの国の、どの都市で、どのくらいの期間暮らすのか。この中の一つでも自分の意思で決められればまだ違うかもしれません。常に次の辞令を気にしながら生きる日々。未来予想図も簡単には描けません。

生活するモチベーション

生活するモチベーションってなんだ。
海外暮らしは、日本では意識したことのない、生きる筋肉を使います。

例えば病気のとき。日本であれば「咳が止まらない…内科に行こう」と馴染みのところか、適当にググって行くかと思います。

で、アメリカはどうすると思いますか?

(どうするんだろう…?)

私たちも全く同じ状態でした!笑
「どうするんだろう?」ってなるんです!!

ただでさえ体調不良でつらいのに、知り合いの日本人に聞いたり、ぐぐったり。情報をくれる人はいても、代わりに手続きしてくれる人はいません。

アメリカの場合、どの保険会社のどのプランに入っているかで、かかれる病院やお医者さんが異なります。
かつ、みんな「主治医」にかかるのが当たり前で、主治医のいない人はまず予約をしないといけない。そしてそれが数週間先だったりする。私は!今!辛いのに!?

そんなあなたに朗報。緊急外来や、当日受診を受け付けてくれる病院があります。ただし、そこでできる治療にも限界があるので、早々に「主治医」を見つけておきましょう。

みたいなことを、英語で手続きするわけです。私は英語がある程度話せますが、医療用語はわからないし、「こういうシステムだ」という前提条件を知らないといくら聞いても理解できません。辛いから電話してるのに「予約が必要で、とれるのは数週間先です。」とか言われると、アメリカの病院システムを理解していなければ「どういうこと?」となりますよね。

かつ常にそこには「自分が理解できていないのかもしれない」という不安が付き纏います。電話口でこう言っていたと思うけど、本当にそう言ったのだろうか、自分が勘違いしていないか?挙げ句の果てには、海外あるあるですが、担当者によっていうことが違ったりするので、もうてんやわんや!

こういうことを前向きに乗り越える「生活するモチベーション」が、自分で決めた人生じゃないと湧きづらいと、私は思うんです。

世の中の駐妻ほんとすごいで

私はたまたま海外暮らしが好きで、たまたま英語がある程度話せて、たまたま英語圏に駐在になりました。ラッキーです。
だからなんとか、日々やってくる「生活するモチベーション」が必要な出来事に立ち向かっていけます。

これがベトナム語だったら?イタリア語だったら?アラビア語だったら?
どうなってたかわからないです。下手したら心が折れてたかも。

英語がわからないという駐妻の方々も、周りにたくさんいます。それでもお子さんの保育園・小学校のことをこなし、家事をこなし、イレギュラーに対応し、、尊敬しかない。ほんとすごいで!

働きたいけど夫の会社の制約により働けない。という人も多数います(これに関しては「人権をなんと心得る?」という感じですが)。それでもボランティアに勤しんだり、趣味を極めたり、、自分だったらそんなにモチベーティブになれるだろうか?と驚愕します。

例え「自分は何もできてない…」という人がいたとしても、自分で選んでない環境下で、生きているだけですごいで!と言ってあげたい。

「良い暮らし」

駐在生活、もちろんいいこともあります。それはかつての私が「キラキラしている」と思って見ていたもの。保障された「良い暮らし」。

なってみて思ったのは「せめて、良い暮らしできないと病む」ということ。

貧乏暮らしをしていた、留学生時代。ご飯も旅行も節約していたし、シェアハウスで狭い部屋に住んでいましたが、すごく満たされていました。
「良い暮らし」をはかる要素は複数あって、「豪華絢爛さ」は誰がみてもわかりやすく切り取りやすいけど、見えない要素が実は削られているんだよ、という話でした。

それでも良かったなと思うこと

私が駐妻になって良かったことは、仕事を「強制的に休む」ということが、大義名分を持ってできたことでした。これは駐妻になることによってキャリアが中断されるという「悪かったこと」と表裏一体です。

一度「社会人」というレールに乗ってしまうと、そこから降りるのはとても勇気が要ります。一度降りたらもう同じ場所には帰れないのでは、という不安を、誰もが抱えて生きている気がします。

娘を産む時もそうでした。懸命に築いてきたキャリアが中断される虚しさに苛まれる一方で、がむしゃらに働き心身が疲れ切っていた私は「休んでいいんだ…」とほっとしたことを覚えています(実際は仕事を休めるだけで、そこには育児が待っていますが…)。

「出産」や「駐妻」のような、誰からも「それは仕事を辞めざるを得ないね」と思われるカードを、誰もがきれるわけではありません。
怒涛の仕事生活に小休止を入れたいけれども、きっかけがない、踏ん切りがつかない。という方はたくさんいらっしゃると思います。

そこに有無を言わせぬ形で休止を入れてくる「駐妻」というある種のハプニング。手放しで喜べるものでもありませんが、このハプニングのおかげで私はCOTENという会社に出会い、楽しく働けているわけなので、結果オーライと思っています。

どっちに転んでいたとしても

駐妻ではなく日本でのキャリアを選んでいた方が良かった、という可能性は大いにあります。
だけど、選ばなかった人生に思いを馳せたところで、正解はわかりません。結局は、自分の選択を自分なりの正解にしていくしかない、と思っています。

とはいえ、その「選択」ができないという駐妻の辛さが、キラキラ輝くSNSの裏にあったりするんだよ、というお話でした。

なんて言ったって、みんなそれぞれの立場で、それぞれの辛さがあるよね。
どの立場にいるみなさんも、無理せず頑張っていきましょい!

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