見出し画像

人生には無駄も必要

こんにちは。
小説家として活動している藪田建治と言います。

現代社会ってすごく不安の多い時代だと思います。
値上げラッシュがあったり、ちょっと前までコロナ禍と言われてきた。
今でも沖縄県ではコロナの感染者が多くなっている。

だから先の未来に不安を感じている方も多いと思うのです。
それによって先々に備えて節約や貯蓄ということに走る人も多いのではないでしょうか?

1 無駄を楽しむから生きているって感じがする


例えばみなさん1人1人趣味があると思います。漫画が好きという人もいれば、アニメが好きという人もいる。またある人は旅行や車が好きという人もいるでしょう。

でもこれらって生きていく上で本当に必要かと聞かれたらそうではない。
それ以外の部分も多いと思うのです。

漫画がなくても生きていける、旅行しなくても生活になんら影響はない。車だってそんなグレードなんてある必要も無い。
でもそういった趣味を制限に制限を重ねた人生ってどうでしょう?
すごく無味乾燥なはっきり言ってつまらない人生に様変わりしてしまいそうですよね。
仕事をしていても、何の為に自分はここまで頑張っているんだろうって悩まされそうだと思いませんか?
実際僕がそうなったら確実に仕事にも生きていく活力も低下して、人生において何のワクワク感も失くしていると思います。

でも漫画好きな人が漫画を楽しむことで生きる活力が出てきますよね。
旅行好きな人が次はあの場所に行こうと計画したり、実際に行きたい場所を練ったりして楽しみが待っているから、じゃあそれまでに仕事もまあ頑張ってみるかと思えるのだと思うんです。

なので人間って必要なことだけでは生きていけないし、生きていけるとしてもそれが幸せかどうかは別の話。
こういう意味でも人生において無駄を楽しむってすごく重要な考えだと思っています。

2 自分が人生を謳歌しているから、他人にも優しくなれる


周囲から見たら、自分の趣味が理解されないことってありませんか?
なんでそんなことにそこまで時間とお金を費やしてんの?それをやって何の意味があるの?って疑問に思われること。多くの人が1度や2度は言われたことはあるのでは?
特にマイナーなことなら余計にそう言われるのではと思います。

僕も有名ではないバンドやミュージシャンの推し活をしているので、学生時代からそれらをしょっちゅう言われてました。例えばライブに参加するために他の地域にまで出向く時(遠征の時)とかはその典型です。
近くでやるんだったらその時だけで良いじゃないとか、なんでわざわざ夜行バスとかに乗ってまで遠くに行くの?とか今でも言われています。
名古屋や東京はもちろん仙台や福岡も行ったことがあります。

僕の理由は至って簡単、それが僕の1番の楽しみだから、それ以外に理由はありません。そうまでしても行きたいと思うから、それだけです。
他人にとってそれはどうでも良いこと、でも本人にとっては何が何でも行かないといけない、参加しないといけないと思うことってありますね。
でもこれがあるから生きてるんだって実感出来る。俺生きていて良かったって思える。

同時に他人に対しても理解が出来ると思うんです。例えば僕は好きなバンドやミュージシャンがいますけど、それが他人にとってはアイドルかもしれないし、声優さんってこともありますよね。

でも自分がそういうことをしているから、仮にジャンルが違ったとしてもなんとなくその気持ちが分かったりするんです。
そうだよな、そうまでしても行きたくなるよなって思えるんです。

その結果良いよ良いよ行って来いよ、そして思いっきり楽しんで来いよってまるで自分ごとのように肯定出来るんです。

僕は自分の無駄を肯定することもそうですけど、他人のそういった行動も肯定出来るってすごく大事だと思っています。なぜならそれによってお互いの関係性が飛躍的に向上すると思っているから。
自分を肯定してくれたなら相手にもと思えますね。でもこれがもしなんでそんなことしてんのって否定されてばかりいたら、その人に言いたくないって思うのが心だと思います。

結果自分自身の生活、人生も彩ることが出来るし、相手の行動も受け入れ易くなったり理解出来ることで、自分の大事な人との関係も良くなります。

いかがだったでしょうか?
人生計算高く生きようと思っていても、心がついて来なかったり、虚しく感じる時がある。それよりも一見無駄と思うような行動でも、これが自分なんだと必死になれるものがあるだけで幸せですね。

是非今後の生活に活かして頂いて、人生を謳歌して頂ければと思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
藪田建治でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?