【普通って何?】普通・当たり前・常識にとらわれる
普通・当たり前・常識にとらわれると視野が狭まります。そもそも、よいアイデアが浮かばなかったり、浮かんでも自分の中で処分してしまいます。何かをするときも一歩踏み出せなかったりします。
何故、常識にとらわれるのか?
私の肌感ですが、普通・当たり前・常識にとらわれる人が多いと思っています。これは、上記を自分自身で決めているためだと思っています。他者に決められたルールは理由がないと守りたくないですが、自分自身で決めたものは否定する理由がないので守りがちです。
「普通・当たり前・常識」を守る理由のほとんどは「普通・当たり前・常識だから」となんともいけてない理由です。「〇〇であるべきだと思った」や「〇〇してよいならもっとできた」など聞くことがありますが、勝手に自分で決めた常識に縛られて選択肢が減るのはもったいないと思います。
そもそも、普通なんてものはないです。「一家庭の平均の子どもの数が2.2人」だったとして、2.2人の子どもの数の家庭はありません。自分にとってのあらゆる普通を10人ぐらいに聞けば全部一致する人は0人です。普通とは自身の環境や知識や経験で構成されたものなので、一致するほうが稀有です。
ルールは守って常識は破るべき
「新卒採用のためのアイデアを出せ」という課題があれば、私なら「映画を作る」と言います。ルールは「新卒採用のためのアイデア」であればよいのです。しかし、「予算的に不可」「やる意味が不明」などいろいろな反対意見が出るでしょう。
しかし、それは、「映画の普通」や「新卒採用の当たり前」にとらわれているからです。
「新卒採用のために映画を作る」というアイデアを常識にとらわれず考えると、「大学の映画サークルに作ってもらう」だとどうでしょう?
予算は一気に低下します。しかも、学生に直接会社のことを知ってもらえます。よい会社であれば愛着もわきそのまま就職してくれるかもしれません。
さらに、これを「テーマは自社のドキュメンタリーで学生映画サークル向けの賞金つきの映画コンテスト」にしたらどうでしょう?
さらに多くの人に知ってもらえます。しかも、賞金つきなので、よい部分を学生たちは必死に探して1位を目指すでしょう。学生目線の自社のよい部分も知れます。
特に映画や採用に関する知識なく書いてるので、これが実現できるかどうかは分かりませんが、映画が駄目でも今までと違うアイデアが出る気がします。
まとめ
自分の普通・当たり前・常識は自分だけのもの。
人に押し付ける必要はないし、自分自身もとらわれる必要はない。
私も自身の当たり前にとらわれがちなので、半分戒めのつもりで書きました。一度、自分の当たり前を見直してみてもよいかもしれません。
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