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養子縁組

トシオが死の間際になって残した言葉がある。「実母に一言謝って欲しかった」
この言葉の意味するものは何か。
トシオは9人兄弟の2番目、つまり次男として生まれた。5歳になったときトシオの家で或る重要な家族会議が開かれた。トシオの父親の兄つまり叔父にあたる人に子供がいなかった。叔父は当時農業を営んでおり後取りがいなくなるのを心配して弟であるトシオの父親に相談をしたのだろう。トシオの兄弟の中で誰かを養子に出そうということになった。たまたま2番目に生まれたトシオが養子に出されることになったのである。もちろん幼いトシオはそんな話が進んでいるとは全く知らなかっただろう。ある日、トシオは母親から「ちょっと遊びに行こう」と言われ自転車の荷台に乗せられ叔父の家へ向かった。その日以降トシオが実家に戻ってくることは2度となかったのである。この時のトシオの気持ちは如何ばかりであっただろう。タダオは長い間、そのことを考えていた。この時実親に裏切られたという感情が芽生えたのではないか。そしてその感情がトシオの性格を決定付けた。タダオはそう考えていた。トシオは高校卒業まで養親の下で育てられた。高校を卒業すると養親の農家を継いでほしいとの意向に反して地元で公務員になった。公務員になったのは単に農業を継ぐのが嫌だったからである。養子縁組の目的であった農家を継いでもらうことがトシオの就職で頓挫したのである。後継がいなくなった養親はユウコさんという全くのアカの他人を養子にした。この時養子としてのトシオの立場は微妙なものになったのではないか。農家の後継のために養子にしたのに後を継がなかったから別のアカの他人を養子に取った。養親にしてみればトシオは用済みになったのではないか。
トシオの立場に立てば養親の家で養子としての立場がなくなったのではないか。
タダオは子供の頃いつも不思議に思うことがあった。毎年お盆と年末に田舎に里帰りするのだがトシオの家族は2ヶ所いくのだ。養親の家と実親の家と。子供で何も知らなかったタダオはなぜ2ケ所行くのかいつも不思議だった。まず養親の家に行く。そこに待っているのはトシオが裏切った年老いた養親と縁組を通じて法定血族になったアカの他人であるユウコさん夫婦。タダオはトシオの養親の家で居心地の悪い思いをしていた。トシオはというと法定血族であるユウコさん夫婦ととりとめのない話をしていた。タダオはその場でどのように振る舞えばよいのか分からなかった。ただ分かったことは歓迎されていないということだった。血の通っていない法定血族との上っ面の会話。沈黙の時間をしばし過ごして今度は実親の家へ向かう。トシオは何を考えていたのだろうか。
実親の家へ行くとトシオの他の兄弟たちとその子供たちがすでに到着していることが常だった。彼らは実親の家1か所だけ訪問すればいいのでトシオの家族より早く着いているのだった。ここでもタダオは居心地の悪い思いをしていた。トシオの実母の他の従兄弟への接し方がタダオへの接し方と明らかに違うのである。うまい言葉が見つからないが簡単に言うと他の従兄弟たちへの実祖母の接し方は温かく親しみがあったがタダオへの接し方はどこか他人行儀で冷たくよそ者扱いだった。実祖母の感覚からすれば自分の孫はトシオを除いた子供の子であってトシオは小さい時養子に出したから自分の子ではない。したがってトシオの子であるタダオなんか関係ない。そんな風に思っていたのではないか。気のせいだと人は言うかもしれない。少なくともタダオはそう感じたのである。従兄弟みんなが仲良く遊んでいる中、タダオだけはいつも緊張してその輪の中に入れないでいた。このコミュニティの中では決して気を許してはいけない、と自分で自分を抑制したのである。
こうしてタダオは自分にとって養祖父母の家でも居場所がなく、実祖父母の家でも居場所がないという非常に窮屈な思いを毎年してきた。それはトシオのココロのあり様そのものであったのではないか。


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