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地球温暖化を防ぐためには森林の再生こそ本質なのに、森林を破壊している日本

森林の重要性に目を向けない、欺瞞に満ちたCO2削減


この社薈部部長さんの「チンギスハンが気温を下げた話」が素晴らしすぎるので、一人でも多くの方に見てもらいたい。

非常にザックリと言うと、

①チンギスハンがモンゴル帝国を築く過程で4000万人を虐殺
②集落や畑が激減し、森林が再生
③森林が再生することで大気中の二酸化炭素が減少
④地球が寒冷化

ということである。

つまり、大ざっぱに言ってしまえば「人間の活動で森林が減ると二酸化炭素は増加」し、「人間が減って森林が増えると二酸化炭素は減少する」。

結局のところ、地球にとって人間こそが一番迷惑な存在である、ということですw

・・・とは言っているわけにもいかず、人類は繁栄しつつ、地球との調和を考えていかなければならない。そこで、化石燃料をできるだけ減らしましょう・・・という昨今の流れなわけであるが、これのみでは片手落ちであることを、上記動画は示している。

すなわち、「二酸化炭素を減らしてくれる森林こそ重要」ということである。

森が大事」、言われてみれば当たり前のことで、子どもでも分かることである。けれども、昨今のCO2削減の風潮、SDGsという一見美しげなビジョンの中では、真正面から語られていない真実である。

ましてや、「化石燃料を減らすために太陽光発電(`・∀・)ノ」といいつつ、日本では大規模な森林伐採をして太陽光パネルを敷き詰めているという現実がある。

これって、CO2削減という真の目的からすれば、アホの極みである。

そう、二酸化炭素を減らしてくれる森林こそ大事、すなわち「森林を再生させましょう」という運動こそが、真の持続発展可能な社会につながるのだ。けれど、それを直視する者はいない。本当は、グレタさんのような影響力のある方が、「森林を再生させましょう!」とド正論をぶち込んで欲しい

このように、SDGs界隈は、欺瞞に満ちている

森林と調和していた縄文文明

稲作文化がはじまる前、縄文時代の人々は森林と調和して暮らしていた。狩猟採集を主としていたため、全ての食物は自然から与えられるということを生身で理解していた。縄文人にとって、「自然破壊はご法度」であったのである。木の実やキノコも採りすぎてはいけない。そうすることによって、来年もまた収穫が可能となる。これこそが、「持続可能な社会」の原型だと思う。

稲作が始まって以降、耕地面積の拡大のために自然破壊は行われたが、それでも「自然と調和する」という縄文魂は、日本人の心の根に存在していると思う。

だからこそ、樹齢数百年の木は「神木」として祭るし、山岳信仰という日本独自の信仰形態も後に生まれた。

森林や山、そういった「自然に対する畏敬の念」こそが、持続可能な社会の本質となるのではないかと、私は考えている。この概念を世界に発信することができるのは、縄文魂がDNAのどこかに根付いている日本人だけだ。

日本式SDGsを、ぜひ広めていって欲しいという願いを込めて、ほとんど何の影響力もないがnote記事に書きとどめている。

そんな日本において、森林を伐採して太陽光パネルを敷き詰めている昨今の情勢は、本当に悲しく思う。「CO2削減に対する欺瞞」であると同時に、「古代日本人に対する冒涜」であるとも思う。

ついでに言えば、一時期、都市の緑化が言われた時期もあった。しかし最近は、行政側による街路樹の伐採などが目立つように思う。街路樹の維持管理に、手間やコストがかかることは良く分かるが、自然環境と調和した都市づくりを愚直に探究することの重要性を、もう一度考え直してみるべきではないのだろうか。


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