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気候変動を乗り越えた古代日本人:日本型SDGsこそ世界を救う!

とたいそうなタイトルをつけてみたが、これはもちろん私のオリジナルではない。SDGs(持続可能な開発目標)という言葉が広まって久しいが、「SDGsは縄文文化にこそ答えがある!」と銘打つ書籍はたくさんある。例えば、こんなのとか。

こういった考え方は、世界の問題を解決するうえで、本当に重要なことだと思うので、独自目線での考察を付け加えつつ解説していきたいと思う。未来の答えは、過去にある

縄文時代を襲った気候変動

縄文時代は、「遅れた原始人の時代」ではなく、当時としてはかなり先進的な文化レベルを誇っていたことが、昨今の研究から分かってきている。

特筆すべきは、壊滅的な気候変動に何度もみまわれながら、「持続的」かつ「安定的」な文化を長きにわたって維持したということである。

今から約13000年前~2300年前のことを指すが、考えてみれば実に1万年以上の月日がある。その1万年のあいだに起きた大きな二つの出来事を考えてみたいと思う。「縄文海進」と「鬼界カルデラ噴火」である。

縄文海進」とは、約5500年前のこと。地球温暖化により海水面が上昇し、現在と比べて平均気温で約2℃、海水面で約4.4m高かった。現在の関東平野の大部分は水没しいていたと推定される。「貝塚」が現在の内陸部で多く発見されるのは、海岸線が当時かなり内陸まで入り込んでいたからと思われる。

そして「鬼界カルデラ噴火」。約7300年前に、鹿児島県の海域で起きた超巨大海底火山噴火である。カルデラは海底にあり、現在海上から噴煙を上げている硫黄岳はその一部とされる。まさに”地獄の釜の蓋が開くような”大噴火である。これにより、南九州に住んでいた縄文人は壊滅し、以後1000年にわたり不毛の地となった。難を逃れた縄文人は、中国大陸や八丈島などにも避難したようである。

自然を神と崇める

縄文海進にせよ、鬼界カルデラ噴火にせよ、人間の力ではどうしようもない圧倒的な自然の猛威を前に、縄文時代の人々は畏怖の念を覚えたことだろう。日本人の信仰のルーツである「自然信仰」がいつに起源を持つのかは分からないが、恐らくこういった出来事は口伝えで子々孫々に受け継がれ、日本人の精神性の中に宿っていると考えるのは、ロマンチストすぎるだろうか。

自然と共生するしなやかさは、「海の魚を採りつくさない」「山菜を採りつくさない」といった知恵として、数千年に及ぶ安定的な狩猟採集生活の基盤となった。また、「貝塚」も単なるゴミ捨て場ではなく、「貝のお墓」であったという説もある。全ては自然の恵みによって成り立っており、人間もその中の一部である。食事の前に命の重みをかみしめる、仏教的な「いただきます」の精神にも通じるようなものの萌芽が、縄文人の中にみられるというのは誠に興味深い

縄文時代のSDGsの基本精神は、こういった「自然への畏敬の念」にあるのではないかと思うのである。その精神が多少具現化されたものが、万物に神は宿るという八百万の神だと筆者は考える。ということで、持続可能な発展を続ける社会という考え方は欧米発祥の概念ではなく、実は日本人が古来より実践してきたことそのものなのではないだろうか。

ということで、欧米からの「押し付けられSDGs」を有り難がるだけでなく、日本型SDGsもどんどん世界に発信していってもらいたいと思う今日この頃である。


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