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私たちは「プロの人生」を生きる必要はない

パク・ミンギュ『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』を読んでいます。


だけど三美は、奴らの誘惑についに乗らなかった。なぜか? そのときすでにプロの世界が現実に構築されて、多くの人々の人生がわけもわからないまま、プロの人生に転換していきつつあったからだ。つまり「野球」をやっていた選手たちが、ある日突然「プロ野球」をやることになったのと同じように、ただの「人生」をやっていたすべての国民が、ある日とつぜん「プロ人生」に鞍替えしなくちゃならなくなった時期だったからだ。
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年が変わる1月というのは、目標を立てるのに最適なタイミングです。年が変わったということで、「今年こそは〇〇しよう」と意気込んでいる方も多いかもしれません。新年の目標、たてましたか?

何しろ1月と言うのは、1年の中で最もキリのよいタイミングです。こういったタイミングでは、私も私の中の「意識の高い私」を抑えこまねばなりません。彼はすぐにできもしないルーティンを作りたがります。

いりもしない資格の取得、必要のない早寝早起き、読みたくもないハードカバー本の読破といった目標をたて、ことごとく踏み倒してきた実績があります。

自分の中のどこかにいる「謎のプロ意識」が厄介で、そいつが不要な目標を立ててしまいます。みなさまの中にもあるかもしれませんが、私の中には、「こうあるべき」「こうせねばならない」といった、やりたくもない無理を押しつけてくる謎のプロ意識が存在します。

ただ、よく考えてみたいのです。

どうしてプロでもないのに、プロ意識なんて大層なものを持つ必要があるのでしょうか?「こうあるべき」「こうせねばならない」と考え方は、一体誰のものなんでしょうか?

この本を読むと、「プロでもないのにプロ意識を持っている自分」に気づき、そして、「そのプロ意識は果たして本当に必要なのか?」という疑問に直面します。

私たちは人生を送る中で、受験勉強やスポーツ、仕事などを通じて、「頑張ること」「無理すること」の美徳を刷り込まれます。高い目標をたて、休まず努力し続けるという「プロ意識」こそよいものであると信じてしまうのです。

そういったプロ意識に縛られてしまうと、「休んでいる自分」を肯定できなくなってしまいます。

私たちは、頑張り続ける「プロの人生」を生きることもできますが、「頑張りすぎない人生」を生きることもできます。「目標を持たない」「不要な努力はしない」というのも立派な考え方の1つだと思います。

「目標をもって努力するべき」という無意識のプロ意識に気づき、「目標に向けて努力する」のか、「目標を持たない」のか、意識的に選択することを私は意識しています。

キリのいいタイミングだからといって、わざわざ不要な目標を立てないよう気をつけたいものです。

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