見出し画像

目的を持つことが正しい生き方か?

辻信一『ナマケモノ教授のムダのてつがく』を読んでいます。


だから、サティシュが身を乗り出すようにして反応したのには驚いた。彼は言った。
「それは非常に大事な指摘です。一見、何の目的もないものをもつことは大事なことなのです。逆に問題なのは、すべてのものを目的と結びつけて、目的からすべてを正当化するようなやり方なのです。それこそが、人生を、世界を、非常に硬直させたものにしてしまいます
僕はガツーンとやられたような、でも同時に、ウキウキするような気分だった。

P.36

最近、あるYouTuberさんが投稿しているルーティン動画(朝起きてから夜寝るまでの活動を記録した動画)を見るのが好きで、よく見ています。

その方は資格の勉強や筋トレ、自分の事業などをがんばっており、充実した日々を送っているように見えます。目標やゴールを設定して、日夜努力している姿を見ていると、「自分もがんばらなきゃなぁ」という前向きな気分になれるのです。

ただ、そういったポジティブな思いと同時に、そのYouTuberさんと自分を比較して、少し劣等感を感じてしまうのも事実です。

そのYouTuberさんと比べれば、私なんて資格の勉強もしていなければ、起業も副業もしていない、早起きもしていない、堕落した人間であるように感じます。

せっせとネット記事や動画を閲覧し、リモートワークをいいことに仕事中に犬ばかり触り、暇さえあれば鼻くそをほじくっているような、無駄の多い人間です。目的も目標も持ち合わせておりません。


ただ、この本を読んでいて思ったのは、「目的を持って努力する」というのも、あくまで生き方のひとつに過ぎないのだということです。もちろん、それはそれでよいことだとは思いますが、それが生き方の「正解」であり、人は皆そうあるべきかというと、別にそうではないはずです。

なんなら、サティシュ・クマール(思想家らしいです)いわく、「すべてのものを目的と結びつけて、目的からすべてを正当化すること」は逆に問題なのだそうです。そのあたりの是非については、私はまだよくわかりませんが。なんでもかんでも目的の達成につながるか否かに結び付けて考えるのは息がつまりそうです。


物事を目的と結びつけて、それに向けて努力できることは悪いことではないですよね。サティシュも(思想家の名前を話に持ち出すと、なんだかそれっぽい文章に見えますね)、特にそれ自体を否定・危険視しているわけではないと思います。

私の見ているYouTuberさんのような「目的を持って日々努力する」のもひとつの生き方ですし、サティシュや著者である辻さんが言うような「ムダなことを楽しむ」のもひとつの生き方です。

そういう生き方ができて、楽しめるのであればそれでいいと思いますし、できないからといって、特に劣等感を感じる必要はないのだと思います。私がやっているのもひとつの生き方です。目的を持たずに過ごすことの

他の人の生き方、考え方を「正しいもの」として盲信し、自分とそれを比較して落ち込むという振る舞いこそ問題ですよね、きっと。

今の時代、SNSやネットなど、「正しそう」な情報に触れられる機会が多すぎます。そういう「発信する側」の人達の考え方にいちいち左右されていては、いつまでたっても心が休まりません。

情報のあふれた時代こそ、「よそはよそ、うちはうち」という価値観が必要なのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?