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日報_20210923 ゲンロン戦記感想文

以前から気になっていた本、ゲンロン戦記を読みました。

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"本書は批評の本でも哲学の本でもない。
本書で語られるのは、資金が尽きたとか社員が逃げたとかいった、とても世俗的なゴタゴタである。
そこから得られる教訓もとても凡庸なものである。"

学会や人文会の常識には囚われない、領域横断的な「知のプラットフォーム」の構築”を目指し、批評家である東浩紀 氏によって運営されていた株式会社ゲンロン。
本書の主題として語られているのは批評や哲学の話ではなく株式会社の立ち上げと運営にまつわる奮闘である。かつて自分が所属していた会社も同じような規模の組織だったので、業界は違えど理解できる部分がいくつもあった。
全編通して大変興味深く読ませていただきました。

文中に最近気になっているテーマと被る部分があったので、忘れないうちに文章にしておこうと思った次第です。
以下、該当箇所引用。

“けれでも、他方で割り切れない思いも感じ始めました。社員は『観光客の哲学』の成功に浮かれていましたが、この本については社はほとんどなにもしていない。営業会議でも、どこに営業をかけろとか、だれだれに本を送れとかの指示をするのはすべてぼくでした。
(中略)
2020年のいまは、ゲンロンにはふたつのオフィスがあり、ぼくと代表は新しいオフィスで独立のブースを持っています。けれども、当時は古いオフィスに10人近いスタッフがぎゅうぎゅう詰めになっていて、オフィスで書いてすらいません。
書いたのは自宅と2週間ほど缶詰になったホテルでした。缶詰先まで資料でいっぱいの思いトランクを引きずって行って、マックブックに身を屈めて書いて、ゲンロンはそれを受け取るだけ。それなのに、その原稿で儲けた金でなぜ社員が先に個室をもらえるんだと、自分で決定しながらも不満が蓄積していったわけです。”
・東浩紀(2020) ゲンロン戦記 p201-202

会社に所属していた頃、
「もっと経営側の視点を持って発言しろ」
「経営者目線で物事を考えろ」
と社長からよく言われていた。
どこの会社でもあるあるの風景だと思うが新卒1年目の自分には意味がよくわかっておらず、取り急ぎマーケティングの本を読んだり経理の勉強をしてみたりと手当たり次第に色々やったことは覚えている。
が、最終的にその”経営側の視点”とやらが備わったかというと甚だ怪しい状態で業務を続けていた。

何やかんやあって去年フリーランスのデザイナーとして開業届を提出し、現在は自分で月末に経理業務を行っている。
今月の売り上げと原価/固定費を照らし合わせて純利を算出し、今後の展望に思いを馳せたり不安に苛まれたりと小さいながらも「経営」を経験をしているわけだが、ようやく実感を伴って経営者目線の意味がわかる感じだ。

全員、所詮は人間

仮に自分が社員を月給制で何人か雇っていたとしよう。
自分が指揮をとっていくつかの大きな仕事を納品し、なんとか繁忙期を乗り切った。
しかし来季も同じように仕事があるとは限らないので、社員に給料を払うため仕事の施策を考えなければいけない。
今後の営業先の選定、必要あらば人員の補充、経理のチェックもしなければ。
先行きが見えない不安が次々と頭をもたげてくる。

そんな中で
「カワカミさんお疲れーす!急ぎの納品も無いし飲み行きません?」
とスタッフに言われた時、心中に1片のさざなみも立たせずにいられるだろうか、と思うのだ。
会社の名前で取ってきた仕事から給料をもらっておいて、
今後組織がどうなるか何の確証もない中でなぜコイツらは呑気にしとんだ

とは1%も思わないと本当に断言できるだろうかと。


"正しさ"という尺度だけを用いてこの話を俯瞰で見ると、もちろん完全にスタッフ側が正しい。
そりゃ向こうからしたら酷く理不尽に感じるだろう。
「“10-19時でデザインの仕事をしてくれたらお金を渡します”という契約を提示したのはあんたじゃないか。その仕事は果たしているのに、何故契約外で不満を持たれなければならんのか。」
全くもって正論すぎる。
だからこそゲンロン戦記の作者の東さんも「割り切れない思い」と書かれていたのだと思う。

結局何をしてほしかったのか

ではスタッフを雇っていたとして、してほしいことは何なのか。
あの時社長が自分にして欲しかったことは何だったのか。

自分なりの結論としては、”組織が持続するための策を提案し続けること”だったのかなと思う。
現状目の前に横たわっているタスクを定時まで処理するのはもちろん大事な仕事だが、そもそも処理しなければならないタスクの全体量を減らして利益を大きくするにはどうしたらいいのかを一緒に考えてほしかった、ということだ。
-経費精算のフローに無駄が多くて時間取られるから簡略化できる仕組みを考えた方がよくない?
とか
-毎週月曜朝に長々と会議やってるけどテキスト報告にしたほうがログが辿りやすいし時間も節約できるしよくない?
とか。

ありがちだが「自分ごととして仕事をしろ」ってやつである。(嫌な言葉ですね。実際自分もやってられっかと思っていた)
そもそも本当に会社が倒産したとして社員は転職するだけなので、経営者と社員では背負っているリスクの種類と大きさが全く違う。
経営のリスクを共有していない人間が経営側の視点に立つことなど構造的に不可能であるように思う。しかし規模が5-30人規模だと社員一人一人の動きがダイレクトに会社の存亡に関わってくるため、経営側はどのように社員の帰属意識を持たせるかという課題を無視するわけにはいかないのだ。

今の自分の年齢が27ということもあり、
同期で話すと大体の話題はdudaのCMよろしく転職か会社の愚痴になる。
インターネットでは
-「会社が爆発すればいいのに」
-「台風で会社飛んで行かないかな」
等、“第三要因によって会社という敵が消失し、自分の手を動かさず状況が偶然好転することに期待する言説”が支持され拡散されていく。
そんな現状に仕方ないよなと思いつつ、昨今全体に蔓延っている経営サイドと社員サイドの分断っぷりに少々うんざりしていた。

ゲンロン戦記では普段あまり目にすることのできない経営者側の苦悩が語られているわけだが、そこで語られている苦悩は全て新入社員だった頃の自分が読んでも理解できるであろう種類の苦悩だった。当時は「経営者の視点を持て」と言われても「経営者は経営者にしか解決できない悩みがあるので自分が口を挟める予知などないだろ」と思っていた。しかし経営者であっても立場やリスクは違えど同じ人間であり、悩みすればも立ち止まりもするし調子のいい日もあれば悪い日もある。
視点云々の前に、まず相手が人間であることを理解するべきだったのだ。

もちろん中には本当に悪質な組織やどうしようもない部署もある。
敢えてこういう言い方をするが、たかが競技場建設だの広告デザインなんかのために自ら命を絶つ新入社員が出現するようなことは絶対にあってはならないし、そういった状況を作り出す体制は必ず断罪されなければならない。
しかし現状形成されている、一般的な"職場"という言葉から想起される微妙にマイナスな空気感は100%経営サイドの責任ということもない。
経営サイドが持続しやすい職場環境を整える努力をするのはもちろんだが、
社員サイドも不満を並べて会社が台風で飛んでいくことを祈る前に、こちらから理解し歩み寄ることで改善する問題も部分的にはあるはずなのだ。

誰しも社員を苦しめたいと思って会社を設立しているはずはない。
それに気づいた上で、まだ他人の良心を信じられる余力のある人間は
少なくとも最後まで高潔であらねばならんなと思う。

——

長々と書いた結論としては
「想像力と思いやりを持って人に接しましょう」
という”今月の標語”的なオチになってしまいました。
ただ最近気づいたんですけど、人間にとって本質的にいいことというのはそんなにバリエーションってないんですよね。
夜は寝たほうがいいし、朝ごはんは食べたほうがいいし、人は殺さないほうがいい。
実際ゲンロン戦記の結論でも
「人間はコツコツやったほうがいい」
と書かれていて爆笑してしまった。そりゃそうだ。

結論にバリエーションがない分、オリジナリティが存在するとしたら何かに達するまでの過程の部分であろうなと思う、今日この頃です。

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