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「夜のピクニック」みたいに歩いてみたかった

大学生の頃、一度だけ「夜のピクニック」をしたことがあった。

と言っても、実際に夜、ピクニックを実行したわけではなくて、恩田陸さん「夜のピクニック」と言う小説の中で出てくる「歩行祭」と呼ばれるイベントをちょっとだけ真似て実行したことがあったのだ。

「夜のピクニック」では、高校生活最後に全校生徒が夜を徹して80kmを歩き通す「歩行祭」と呼ばれる伝統行事があり、登場人物たちはそれぞれが思い想いの感情を抱きながら、その「歩行祭」に参加する。

ストーリーは至ってシンプルで
ひたすら夜通し歩くだけ。

重大な事件が起こるわけでもなく
どんでん返しがあるわけでもない。

それでも、夜通し歩いていく道中で、主人公たちの心の中に少しづつ変化が生まれ、それぞれの関係性が変わっていく姿にどんどん引き込まれていった。

そんな「夜のピクニック」を読んだのは高校生の頃だったのだけど「ただ、夜通し歩く」それだけのイベントにも関わらず、どこか惹かれるものがあって、ぼんやりと憧れのような想いを抱いていた。

そして、大学生になって同じように「夜のピクニック」を読んだ友人と話している中で「いつか歩行祭のように、夜も更けた時間帯から明け方まで歩いてみたい」という話題になったのだった。

画して、仲の良かった友達を誘って、大学のあった兵庫県の最寄り駅を出発点として、阪急神戸線の終点である三宮駅までの区間を5人で歩くことになった。

暑さも少し和らいで、涼しさを感じる十月頃。
終電も無くなった夜更け過ぎ、もう誰もいない駅に集まって、線路に沿った道のりを歩き始めた。

通りかかる人もまばらで、夜の静けさが漂う道を
友達とありふれた会話をしながら進んでいく。

深夜の街中というのは
どんな場所よりも「非日常感」がある

そう、思うのは自分だけだろうか。

普段はたくさんの人が行き交い、どこからともなく喧騒が聞こえてくるはずの場所が、夜の帳が下りた途端に、息を潜めたような静けさに包まれる。

それは、波の音だけが聞こえる夜の砂浜や、木々が風に揺れる音を響かせる山奥の非日常とは少し違う気がする。

ただ、普通に生活しているいつもの場所が、全く別の場所へと変容したような、そんな不思議な感覚に襲われるのだ。

特に国道沿いは、時折、走り去っていく車のエンジン音以外、何の音も聞こえてこない。

それにも関わらず、薄ぼんやりとした街灯の明かりが連なるようにどこまでも続いている道は、この先も永遠に今見ている風景が待ち受けているんじゃないかと思わせられるほどで、何だか別世界に紛れ込んだような気分になってくる。

最初はふざけて冗談を言い合いながら歩いていたけれど、段々と疲れが出てくると、ただただ幻想的な夜の風景に見惚れながら言葉少なに歩みを進めていく。

今、振り返ってみると、そんな時間すらもかけがえないと感じるくらい、永遠に続くかもしれない夜の道を友人たちとひたすらに歩いた経験は、尊くて特別なものだったと思う。

ちなみに、この時はただ三宮駅を目指すだけでは歩く目的としては心許ないということで、着いた駅の近くにあるパン屋でモーニングをするという割と打算的な目標を定めていた。

実際、その日は朝6時くらいに目的地に辿り着いて、それなりに有名なパン屋を探して行ったのだけど、みんなヘトヘトに疲れていたので、美味しく味わう余裕もなく帰路についた記憶がある。

今でも、夜の街を歩くのは好きで、たまにふらっと家を飛び出して散歩しにいくことはあるけど、夜通し歩いたのはこの時ばかりかもしれない。

今度は、東京で山手線一周とかしてみたいな。
また、季節が巡ったら実行してみようか。


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