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小説の一行目で好きになれる

小説を読むとき
最初に目にする文章のことを「書き出し」という。

「メロスは激怒した」「吾輩は猫である」みたいに、もはやタイトルに匹敵するぐらい有名で誰もが知っている文章もある。

この書き出しがすごく好きなのだ。
むかしむかしに読んだ本でも、この書き出しが頭に残っているものがあるぐらいには好き。

ちなみに、書き出しは作者によって全くもって異なる。

単純な状況描写であったり
すぐに主人公の視点から始まったり
登場人物の会話だったり。

特に気にもとめずに読みとばす人もいるだろうし、読みおえたころにはなんて書いてあったか忘れてしまうこともあるだろう。

それでも、最初に読む一行目の文章で
その小説を好きになれることがある。

そういうこともあるのだ。

変な話だけども、小説の内容はあんまり覚えていないのに、書き出しだけ頭に残っていることもある。アニメの内容は全く知らないのに、OP曲は歌えるみたいな。そこ本題じゃないのにね。

そんなわけで、自分が読んできたなかで好きだった書き出しを、本棚をひっくりかえして探しだしてきたので、いくつか紹介してみようと思う。

それが、ひっくりかえしてきた本棚にできる
精一杯の恩返しに違いない。


モダンタイムス/伊坂幸太郎

実家に忘れてきました。何を?勇気を。

書き出しといえば、真っ先に思い浮かぶくらい
印象的な書き出しが多いのが伊坂幸太郎さん

そんな伊坂幸太郎作品の書き出しと言えば「重力ピエロ」「アヒルと鴨のコインロッカー」が有名だけれども、個人的に好きなのが「モダンタイムス」の書き出し。

「魔王」という作品に続いて、目に見えない巨大権力に翻弄される恐ろしさを描いた本作。

そんなテーマの小説の一行目に「実家」というフレーズが「勇気」と同じ文章内におさまることがあるだろうか。

いやない。
彼女のお父さんにあいさつに行くときぐらいでしか、その二つの単語が同居しているのを見たことがない。

ちなみに、伊坂幸太郎さんの小説では「勇気」というフレーズが良く出てくるのだけど、この「モダンタイムス」という作品でも、まさに勇気が試されるシーンが数多く登場する。

だからこそ、物語を読み終わったあとに、最初のページに立ち返ってみると、この書き出しの重みが強く感じられるはず。それぐらい印象深い書き出しなのだ。

というわけで、本当に勇気が行方不明になったときは
実家をあたってみよう。

もしかしたら、もしかするかもしれない。
責任は持たない。

すべてがFになる/森博嗣

今は夏。彼女はそれを思い出す。

書き出し大賞みたいな賞グランプリがあるなら、最優秀賞をあげたいくらい好きなのが、森博嗣さん「すべてがFになる」の書き出し。

まず語感がいい。
しっかり五七五のリズムで口に出したくなるし、あえて「今は夏」で体言止めして、あとから補足している感じもめちゃくちゃ好き。

本当に無駄のない美しい文章で、おしゃれな表紙を開いた1ページ目にこの書き出しが飛びこんでくるのだから、それはもう世界観に引きこまれるわけだ。

脳内では完全に初夏の風に煽られているし、麦わら帽子を被った少女が鮮明にイメージできる。
もう目と鼻の先にいる。

実は物語とはあまり関係のない文章ではあるのだけど、それでも何度でも読み返したくなる書き出しだった。

ボトルネック/米澤穂信

兄が死んだと聞いたとき、ぼくは恋した人を弔っていた。

最初から絶望的すぎる。
泣きっ面に蜂が来た後に、踏んだり蹴ったりされるレベル。

青春ミステリ―の旗手である米澤穂信さんが放つ「ボトルネック」は、若者の影をこれでもかと描いている。
冗談じゃなく心がズタズタにされる。

それはともかくとして、この書き出しを見た瞬間に「それなりの覚悟を持って読まなければ」と身構えたのを覚えている。

終始、暗い雰囲気が漂う本作品の中でも、ダントツで印象に残るこの文章を一行目に持ってくる心意気がすごい。この書き出しで物語に耐えられる人を選別してるのかと思うぐらい強烈に植え付けれる。

ちなみに「ボトルネック」自体は物語も面白いのだけれど、あまり思いつめている人が読むと本当に心がえぐられるので注意して読んでほしい。

凍りのくじら/辻村深月

白く凍った海の中に沈んでいくくじらを見たことがあるだろうか。

大好きでたくさん作品を読んでいる辻村深月さんの中でも、特に心に残っているのが「凍りのくじら」の書き出し。

自分の中で好きな書き出しには2種類のパターンがある。

一つは、言葉遊びのような、音の響きが印象的なもの。

もう一つは、一文で情景を美しく表現しているもの。

この「凍りのくじら」は圧倒的に後者。

初めて読んだときは、この一行の文章で頭の中に一枚の絵が思い浮かぶくらい、儚くて綺麗な書き出しに心つかまれた。

物語自体は、辻村深月作品の中で一番好きかと言われると「スロウハイツの神様」「名前探しの放課後」のほうが好きだったりする。

それでも、この書き出しに関しては群を抜いて好きだな。

西の魔女が死んだ/梨木香歩

西の魔女が死んだ。
四時間目の理科の授業が始まろうとしているときだった。

最初に書き出しというものを意識しはじめたきっかけになったのが、梨木香歩さん「西の魔女が死んだ」だったように思う。

小学生の時に読んだこの本。
最初はタイトルの印象でファンタジー小説だと思い込んでいた。

そんな状態で最初に目に飛び込んできたのがこの書き出しなのだから、小学生ながら相当、面食らったはずだ。

物語の冒頭から「西の魔女が死んだ」という、他に類を見ない早さでタイトル回収をすませ、その後には「理科の授業」というファンタジーでは絶対に出てこない言葉が続く。

急に非日常から日常に振り戻されるような
「え、夢じゃなくて現実だよ?」と真顔で言われているかのような感覚。

まぁ読んでいくとファンタジー小説ではないことは簡単に分かるのだけども、この書き出しがあることによって、振りもどされた反動でより物語に引きこまれていく。

それにしても、懐かしいな。
また読もうかな。

最後に

さすがに書き出しだけで、小説の魅力を全て伝えることはできない。当たり前だ。画用紙でパワーポイント使用時並みのプレゼンをしようとするくらい無謀だ。

でも、書き出しというのはいわば小説に入りこむためのとっかかりみたいなもので、少しでも興味を持ってくれたなら万々歳。むしろ、ミッションインコンプリートと声高々に宣言したいぐらい。

それに、個人的には最初の文章で面白いなと感じたならば、きっと最後まで物語に引き込まれて読み進めることができると思うのだ。

そんなわけで、もし小説を読む機会があるのなら、少しだけでもいいからこの文章を思い出して、書き出しを楽しみにページを開いて欲しいなと。

それがいつまでも記憶に残る文章だと、なお嬉しい。

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