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机の上でじっと見てる(ウサギノヴィッチ)

 それが夢だとわかるまでに半日かかった。
 起きてから最初のうちは、震えがとまらなかった。起きてすぐには現実を現実だと受け止めきれずに、上半身を起こして部屋を見回したときに飾っているフィギュアがどこか悲しげな顔をしていて、まだ夢の世界にいるように感じられた。部屋が蒸し暑くて息苦しく感じたので、エアコンのリモコンをベッド脇にある机においてあるはずだったのに、手をそちらの方にやったが見当たらなくて、探すのが面倒だなぁと思って、ベッドに寝転んだところの背中のあたりに硬いものが当たったので、それがリモコンだった。室内の温度をできるだけ低くして、仰向けで寝転がって目を閉じた。冷たい風が部屋に充満してくるのを感じて、ウトウトしかけたところで理性がやってくる。
 このままではいけない。
 会社に行かなければならない。
 慌てて起きて、下に降りていく。キッチンにはだれもおらず、テーブルには冷めたトーストとサラダと牛乳が置いてあった。共働きで、妻はもう出てしまっている。
 テレビをつけると、悲しい顔をしたニュースキャスターが、悲しい内容のニュースを読んでいる。まるで、演出家や監督にでも演技指導されているかのように、沈痛な面持ちで解説員のコメントを聞いている。さもそれが正解であるかのように。
 夢のことといい、ニュースのことといい、明るいことがないので、思い切り深くて長い溜息をついてしまう。
 そんなことをしていると会社に行く時間になってしまった。着替えを済ませ、家を出て、戸締まりをする。結婚してから、妻に「いってらっしゃい、あなた」みたいなことをしてもらったことは一度もないし、してもらいとも思わない。新婚旅行は結局国内旅行だった。北海道を三泊四日だった。妻が休める限界だった。思い出は、そんなにない。好きだった地方ローカル番組のイベントがあって、それに合わせて行ったのだった。だから、旅行らしいことはしていない。ずっと、自分たちの好きなものを追いかけていた。
 今はその番組も見る機会がなくなってきているが。
 仕事はなんてことない仕事だった。マネージャーから一日分の今日中に読み通さないといけない資料を読んで、それに決済の印を押し次のグループに回すだけだった。大企業の一部門の一グループなので、機能としては小さい。ミスしてもそんなに問題ない。グループはマネージャー入れて九人で、男五で女四とバランスが良かった。ただし、そんなのは関係なくただひたすら資料を読むので個人戦だった。
 気づいたら日が暮れていた。グループのあるデスクの島は窓際で、座っている位置からちょうど東京タワーが見える。なにかあると電飾の色を変えるが、今は夏なので終業の時間になっても東京タワーはまだ明るくない。
 特に仲のいい社員がいるわけでもないので、自分の仕事が済んだらさっさと帰ってしまう。結婚式に出席してくれた恩は忘れていないけど。
 会社の帰り、久しぶりにラーメンが食べたくなったので、行きつけのラーメン屋に行くことにした、妻に連絡をして夕飯はいらないと言った。妻からの返事はなかった。
「子ブタラーメン全部マシマシで」
 店を出たときになんか喉が乾いたので近所の立ち飲み屋にも行ってみた。
「ホッピーセットとカシラ、ハツ、レバー、塩で」
 なんか気持ちもよくなったから帰ろうと思い家に帰る。帰る頃には風呂入って寝るだけのちょうどいい時間だった。
 計画通りそうなって気分が更に高揚していく。妻は自分の部屋にこもって本でも読んでいるのかもしれない。
 もう寝よう。
 電気を消した。
 真っ暗闇。
 今日は悪い夢を見ませんようにと祈りながら寝ようとしていると、部屋のドアが開いた。
 一筋の光が差し込み、誰かが入ってくる。妻だ。ドアが閉まると同時に暗くなる。
「ねぇ」
 嫌な感じがした。恐れていたことだ。
「しよう。あたし、したくてたまらないの。ねぇ、して。お願いだからして。どんなリクエストも答えるからして。お願い。」
 恐れていたことが起きた。妻とは性行為をする気にはなれなかった。ならなかった。なぜなら、ぼくには好きな人がいて、今でもその人がぼくのことを見ている。
 ぼくは、妻が迫ってくることに対して反抗できなかった。なぜか、体が動かなかった。ぼくのパジャマのズボンとパンツはおろされ、下半身がさらされる。その上に、妻がまたがる。ずっと、ずっと、彼女はあえいでいた。僕は耳を塞ぎたかったが、それさえ叶わなかった。妻の淫らな声を聞き続けいつ終わるともわからない行為に、暗闇の中で、机の上から視線を感じた。
 僕にとっては恥辱だった。
 目覚まし時計が鳴る。なにごともなかったかのように、ぼくの服装は戻っていた。そうか、あれは夢だったのかもしれないと思った。
 だが、起きて一番最初に目に飛び込んできたのは、机の上のフィギュアの首から上がなくなっていたことだった。
 という、夢を見た。

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