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ウサギノヴィッチにエッセイマガジン。主に短編小説の書評のようなエッセイ中心だが、文学周りだけでなく、サブカルやガジェットまで取り扱う、なんでもエッセイ。
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2019年4月の記事一覧

右腕の筋肉の作り方(ウサギノヴィッチ)

この作品は、僕が主宰している崩れる本棚というサークルのサークル誌『崩れる本棚No.8.0』に掲載されている作品の試し読みです。また、100円をいただければら全部読めます。ちなみに、サークル誌は5/7の文学フリマ東京で頒布されます。気になった方はどうぞよろしくお願いします。 ―――――――――――――――――――――――――― オナニーを四日していなかった。  しかたなく出ている会社の飲み会から帰ったらヤロウと思った。このまま風俗に行ってもよかったのだが、給料日までまだ日に

有料
100

過去に寄り添いながら(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今日は長編が読み終わったので、その本について語りたいと思います。    朝吹真理子の『TIMELESS』です。  ある恋愛感情も性関係もないカップルが結婚して、「交配」して妊娠するまでが第一部。  第二部が、その「交配」によって生まれた子供の話。父は子供の前からは逃げるように消えてしまって母一人で育てている  ざっくり言ってしまえばこうなるが、実際はウミとアミの過去に遡ったり、現在になったり、その子供のアオと異母姉弟の過去の話になったり

多くを語らないということ(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    人の性格は、根源的なものは変わらないにせよ、表層的な部分は環境によって変わる。  それは自分がいい例だと思っている。  一月から職場が変わり、それによって新しい人間関係ができたし、職場内でのキャラクターを自分に作った。それは素に近い部分ではないものの、それに近い部分はある。  仕事を一緒にやる人達は家族よりも長い時間共にする。  最初の方は人見知りをして喋れなかった自分が、先輩社員のおかげでふざけた話もできるようにもなった。  最初に言

生と死の悲喜劇(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今回はサマセット・モーム『サナトリウム』を読みました。  サナトリウムという場所は不思議な場所でら生と死が隣合っているにも関わらず、喜劇にも悲劇にもなる。モームの作品は、喜劇と言えるだろう。ただ、人は死ぬ。それはそれとして、クールにかわして、いや、ドラマティックにはなっているが、それを飲み込むような展開がその先には待っている。  物語の最後で結核のカップル。男は結婚すれば寿命が半分以下に縮まる。女は安静に暮らしたらそこそこ長生きできると

イマイチハマらないパズルのピース(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    小説を読んでいて、いまいち理解出来ないところがあって、そこを埋めようとしても時代背景だったり、その時の風習、習慣、考え方や思想というのにぶつかるときがあります。特に海外の小説には多いのではないのでしょうか。  今回読んだ短編は、フォークナーの『納屋は燃える』という短編です。  フォークナーなアメリカ人で作品の時代背景的に、黒人白人の問題を普通に出してきます。そのときの日常を知らないと言い切ってしまうのは、あれなのですが、でも、ニュアンス

たまにはそういう作家もいるということ(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今回はレビューしにくいです。コルタサルのレビューしにくさではなくて、ちょっとじゃなくてけっこうなグロが入っているので、ノートに書いても規制が掛かりそうなので、大雑把にしか書けません。    読んだ本は、木下古栗の「グローバライズ」という本です。  帯の所に「抵抗力に自信のない方は読まないでください」と書いてあって、でも、アメトーークでも紹介されてるし、なんか面白ほう! 立ち読みしないで買いました。  それが間違えだったのかもしれません。

美しい日本語とは?(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    キレイな言葉を並べて、キレイなものを表現する。  自分にそんなことが出来ているのか?  いや、出来ていない。  このレビューでさえ、誤字や脱字があるし、同じような言葉が等間隔で、毎回登場してきている。 「言葉には限界があるのだろうか?」 「言葉で表現出来ないものなんてあるのだろうか?」  ふと、僕は考えた。  言葉の組み合わせは無限にあるが、その中で意味が通るものは数少ない。まして、さらにそこで人の心を打つような言葉なんてごく僅かだ。そ

ウサギノヴィッチ、それなりのピンチ(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    僕はあんまり暗い作家は読まないし、解釈に困る作家も読まない。  と、言うより読めないし、今回のレビューもなかなか頭の中で苦労しながら文章にしようとしている。    フリオ・コルタサル    ラテンアメリカ文学では有名な作家である。本をよく読む人なら聞いたことある名前であるだろう。  彼の本は二三冊は読んだが、ストンと納得する小説は数少なくて、何だかボヤかされて終わってしまう作品が多い。だから、頭の悪い僕は、「えっ? どういうこと?」と混

何者にもなれなかった、君たちと僕へ(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    思春期を過ぎたあたりって、なんで自分は愚かなんだろうと思うことがある。  大学には入学をしても、体調の不良を理由に行かなくなって、家で一日中寝ていた。そのとき、演劇をやっていて、しかも役者だった、自分はある種の無敵のような、それでいて最低な人間のようにも思えた。  稽古が終わるとどうしても一人いたい気持ちがあった。自分が悪いとかじゃなくて、なんか空っぽの人間のように思えたからだ。でも、稽古後の食事にはみんなと言ってバカ話をした。メンタル

ドラマチックカウント(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    みなさんはドラマチックな、映画のような瞬間に遭遇したことはありませんでしょうか?  たとえば、駅のホームで好きな人と話してて、重要な言葉がやってきた電車によってかき消される。とか、朝寝坊して遅刻ギリギリで、トースト咥えて家を出て走っていったら、曲がり角で幼なじみとぶつかる。などなど。  非現実的だと思っているだけで、この広い世界のどこかでは起こってるかもしれないし、このシチュエーションを考えた人が体験したのかもしれない。  僕もこれを書

容姿と性格と文体のギャップ(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    毎日お付き合いありがとうございます。少しはみなさんの読書の糧になったりしているのかなとか、なにかしら心に残るものを書けているのかしらと思っています。    読書というものは決して悪いことではない。本を読んで得た知識はきっといつかなにかしらの役には立つと思うし、有り体の言い方だが、読者の心を豊かにする。  本好きに悪い人はいない。これも真なりだと思う。読書好きの悪いってどんな人間だろうかと想像してみますが、刑務所に入っているヤクザが落語の

noteでは「素直」に書いてます(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    みなさんは、「素直」ですか?  自分にウソをついて生きてませんか?    僕はケースバイケースですね。  でも、どこかでねじ曲がってるとは思っています。斜に構えているというか。  たとえば、ツイッターのタイムラインで知り合いが盛り上がっていると、「なにやってだよ。つまんねーの」と思っています。でも、心の中では逆に「自分も中に入りたい。入れてほしい」と思っています。  ということで、僕は素直じゃないんですよね。  でも、このノートで書いて

愛の形、人の形、いろいろ(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    僕には弟がいます。僕よりしっかりした弟で、ちゃんとした会社で働いています。結婚もしていて、子供が一人います。  一方、僕はアルバイトだったり、派遣社員だったりで安定した職に就かず、最近やっと正社員になれるかもしれないという状態になりました。時間があったら、遊んだり、小説書いたり、自由にしています。  そんな兄を弟はどう思っているのでしょうか?  二人で話し合ったことなどありません。最近だと、弟は会社の近くに家を買ったので、実家に帰ってく

作者(あるじ)を僕たちはまっている(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今日から平常運転です。    小説を読むというのは、どんなに積極的といっても、それは受け身である。  なに言ってるか分からないと思いますよね。  まず、読書するためには本を手に入れなければならない。。  ただし、その本を読むためには、本を選ばなければならない。その選ぶためには、本屋でポップがあるもの、平積みされているもの、ただなんとなしに棚から選んだもの、なんにも知らない状態で行けばそうなるし、テレビやインターネットで得た情報があると、