【思考】ワニが死んだ
もはや説明など不要でしょう。きくちゆうき先生の「100日後に死ぬワニ」。
本日がその100日目でした。
正義感溢れる優しいワニの日常を毎日19:00丁度に4コマ漫画で更新されていました。
その日常は「あるある」だったり、「仕事」だったり、人ひとりの人生と言っても差し支えないほどでしょう。
ツイートのリプ欄は混沌を極めていた。
・ワニの死を一刻も見たがる醜悪な声
・延命を望む声、こんな事はもうやめようと言う声
・ラストを予想し、ワニの人生の最後を決めたがる声
・1日1日がとても大切なモノと気づけた人の感謝の声
・追悼式を執り行うもの
・記念に書き込んだようなノイズ
1ツイートのツリーで日本人、ひいては人間の心理が全て詰まっていると言っても過言ではないほど混沌の様相を呈していました。
この縮図は我々が過ごしている社会に現状を突き付けるものと私は思っており、底知れむず痒さを感じました。
結末
満開の桜の下で、日常を共に過ごしてきた仲間たちと待ち合わせをする計画でしたが、ワニが遅れており、友達のネズミが様子を見にバイクを走らせます。
ネズミは満開に咲いた桜を特に仲が良かった3人のグループチャットにその「ヤバさ」を知らしめるべく、写真をあげました。
その頃ワニはこと切れる寸前で、手からはヒヨコが飛び出していきました。
彼は迫りくる車からヒヨコを庇い、交通事故で亡くなったと見られています。
残されたスマホにはネズミが送った「ヤバい桜」の写真。
ワニの生命が終わるころ、辺りには満開の桜の風景だけが取り残されました。
伏線と演出
見せ方
名映画監督、アルフレッド・ヒッチコック
ヒッチコック映画術の中から引用しますと、
どんなときでもできるだけ観客には状況を知らせるべきだという事だ。サプライズをひねって用いる場合、つまり思いがけない結末が話の頂点になっている場合を除けば、観客にはなるべく事実を知らせておく方がサスペンスを高めるのだよ。
とあります。
これを前提として、タイトルでやってのけるきくち氏はクリエイターとしての視点がズバ抜けすぎていると思いました。
先人の知恵としての使用か、思いついてしまった天才か、そのいずれかは定かではありませんが、敬意を表し、見習うべき視点としていずれも取り入れて行こうと考えています。
私はアルフレッドというファミリーネームにはどうやら惹かれるものがあるみたいです。
伏線
3日目に同じようなシチュエーションでヒヨコを助けていたワニ。その時は迫りくる車からヒヨコを助けられています。
71日目にそのヒヨコが大きくなり、ニワトリとしてワニと接する機会があります。
そして100日目に出てきたヒヨコはそのニワトリの子供という見方があり、私はこれを支持します。
この伏線から感じたのは教育の重要さとも思いましたが、一方で鳥頭という概念が私の脳裏を駆けました。
運命論はあまり好感を持てないものの、結果としてどうなったか。
鳥頭であるヒヨコの運命は心優しいワニの命という犠牲を経て決まりました。
メタ的な演出
普段は19:00きっかりに更新されていた作品ですが、100日目だけは19:12に更新されました。
この12分というタイムラグは、恐らく11:00に花見の待ち合わせをしていたのでしょう。
そして、ワニの最後の行動、グループチャットに既読をつけた時間が11:12でした。
この瞬間、画面の向こうの私たちも、彼の仲間たちもワニの事を待っていました。
当事者感をとても感じますし、やはりきくち氏は頭がおかしいのではないかと思えるほどクリエイティブな方と感じました。
短いようで長いような100日間を私たちはワニと過ごしてきましたが、この作品が伝えたかったこととは、心優しい奴がバカを見るでも、運命が決まっているという事でもなく、なにものにも代えがたい今を生きるということと思います。
ワニくんには枯れる事のない桜が咲き誇るネットミームの海で安らかに眠って欲しいと思いました。
■4/8追記
日本中が見守った100日間、待望の書籍化
あたりまえ。だから、愛おしい。
1匹のワニの、なんでもなくて、かけがえのない
毎日の記録をぜひお楽しみください。
書籍が発売されました。描きおろし漫画気になりますね・・・!
描きおろし28ページという宣伝なのにその半数は挿絵のような状態だとの批判の声があります。
また、リアルタイム進行でないと面白くないという声もネットには散見されます。
しかし、それくらい反響がある作品をただの1人で手掛けたきくち先生のすごさが引き立つのではないでしょうか。
届くのが楽しみです。
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