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忘れられない食事Vol.6 祖母たちの「させる勇気」


12/25に何とか、仕事を収められる目処が立った。
今年もよく食べ、よく働いた。来年もそうする。

さてご存知の方も多いかと思うが、私は2018年に上京するまでは大阪の実家を出たことがなかった。が、自分で言うのも何だが「家事力偏差値」は高い方だと思う。単身赴任を連発する亭主関白の父を持ち、2001年以降に母が専業主婦からバリキャリに転身したことが大きな原因だ。したいというより、そうせざるを得なかった。私も転身した。両家の祖母が、後押しをしてくれた。

ということで今回は、2人が私に練習させてくれた食事(料理)について振り返る。椎茸の醤油焼きと、鰯のお造りである。

前者は母方の祖母との思い出だが、正直にいうと正確な時期は思い出せない。おそらく、2002年か2003年ごろの話だと思う。当時は同じ府内に住んでいたので、休みの時には妹と一緒によく預けられていた。

当時、キッチンを汚したくない母親の意向で、料理をする機会に飢えていた私に祖母は「好きにしたらええよ」と言ってくれた。それで、椎茸を賽の目に刻んで、醤油でただ炒めた物を何度か作った。勝手が分からず油も引かず、焦げた醤油の香りのする黒い椎茸を見てなお、祖母は私を褒めた。母親が小さい頃は台所に立つことを許さなかった祖母だが、私にはとことん甘かった。彼女は2017年に亡くなり、最後の数年は気軽に会える状況では無かったこともあり、今やこういうちょっとした出来事しか思い出せない。

後者は今も健在の、父方の祖母との思い出である。こちらも正確な時期は曖昧だが、2010年頃のことだったと思う。私は生まれつき左利きで、身内にも左利きの人間が多い。祖母もその1人である。ただ、彼女を含め私以外の人間は皆、箸や鉛筆は右手で使う。私も幼い頃は矯正を受けていたが、両親が無関心だったこともあり早々に離脱した。

近年はめっきり行かなくなったが、父は釣りが趣味で、釣った魚がある日はそれを持ち帰り、料理し私たちに振る舞う。そんな様子を見ていて、何となく魚を捌いてみたいという話を祖母にしたときに「ほなやってみ」と言われたことがきっかけで、大量の鰯と一緒に左利き用の包丁を持たせてくれた。刃物だけは、右利き矯正のスコープ外なのだ。最初は手を切らないようにするのが精一杯だったのが、数十匹を捌き終える頃には骨に刃先がジリジリと当たる音や、ずるっと掻き出す内臓の触感、血の匂いが身体に染み付いた。

以上が、2人の祖母との思い出である。年端も行かない子どもに火や刃物を扱わせることには一定のリスクが伴うが、どちらも私の「やってみたい」という気持ちに寄り添ってくれた。最近は過保護な親が多いというが、「かわいい子には旅をさせろ」というように、時として相手を信じて「させる勇気」が必要なのだと思う。

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