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天皇皇后結婚30年

 昭和、平成そして令和の天皇皇后両陛下。令和も5年目。「国歌」君が代で歌われるのとはちょっと違うかもしれないが、令和天皇が長く健康でいらっしゃいますようにと願う一人である
 昭和には戦争があった。昭和天皇の責任についてはいまだ議論がある。令和には戦争がなかった。タモリが、2023年は「新しい戦前」になるのではと語ったが、令和の時代にも戦争がないことを願ってやまない。
 徳仁(なるひと)現天皇の父親つまり上皇は、平和主義と質素、平等、誠実を掲げるクエーカー教徒のエリザベス・ヴァイニング女史に学んだ。
 その父、現上皇は80歳の誕生日に語っていた。「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」。
 当時、総理大臣の職にあったのは安倍晋三。「戦後レジームからの脱却」を掲げたその政治家の姿勢をどう受け止めていたのだろうか。安倍氏は「米国から押し付けられた憲法」を変える必要があると訴えていた。

 家庭教師を務めたヴァイニング女史から学んだ親のもとで育った令和天皇。そして外務省のキャリアを捨て、民間から皇室に入った雅子さま。
 両殿下結婚25年に際しての文書回答で天皇は次のように答えていた。
 「現行憲法で規定されている「象徴」としての天皇の役割をしっかりと果たしていくことが大切だと考えています。そして、象徴としての在り方を求めていく中で、社会の変化に応じた形で、それに対応した務めを考え、行動していくことも重要だと思います」。

 天皇皇后両陛下は2023年6月9日に結婚30周年を迎える。日本橋高島屋で6月6日(火)まで開催中の「御即位5年・御成婚30年記念特別展 新しい時代とともにー天皇皇后両陛下の歩み」を見てきた。
 会場には、両陛下の結婚や即位の際の装束といったゆかりの品々のほか、愛子さまが、幼児から児童に成長したことを祝って、初めて袴をはかせる「着袴(ちゃっこ)の儀」で身につけられた童形服などが展示されている。
 特別展は次の5章から成るー○第1章「天皇皇后両陛下ご誕生ーご幼少期から出会いまで」第2章「ご成婚-皇太子同妃両殿下としてのお歩み」第3章「海外との交流-海外で学ばれたお二人の国際交流」第4章「新しい時代―令和の始まり」第5章「寄り添うー国民への思いー」
 両陛下と愛子さま、皇室ご一家の足跡をおよそ100点の品々や貴重な写真約150点でたどっている。お二人の幼少期の写真が珍しい。
 成婚や即位関係の写真の中にはおなじみのものも多い。
 だが、国際交流や被災地訪問などの写真には初めて目にしたものが結構あった。今や表舞台から去ったメルケル独首相(当時)、トランプ米大統領(当時)など多くの首脳らとのショットに目を引かれた。
 阪神淡路大震災、東日本大震災、西日本豪雨などの被災者を励まされる両殿下の姿など今見ても生々しい。写真を見ていると、近年大きな災害が相次いでいることが分かる。両陛下も心穏やかではいられないだろう。
 お二人の娘である愛子さまの写真やゆかりの品も多く飾られている。2001年に生まれた愛子さま。初めて自分の名前「あいこ」と書いた時の一枚、初めて袴をはいた時の写真などである。
 

 話は変わる。令和天皇が水について研究をされていることは有名だ。
 このところ話題になっているマルクス研究者の斎藤幸平(さいとう・こうへい)さんの本「「人新世」の資本論」は、行き詰まっている資本主義から脱却する必要性を説いているが、そこで重要となるのは、商品化すべきものではなく人々が共有すべき「コモン(common)」であると主張している。
 「common」は「Communisim」のもとの言葉だ。その「コモン」の代表格が水なのだ。水というと環境問題との関係で語られることが多いし、天皇の水問題への関心についても、その観点からの報道が多いようだ。
 しかし、天皇の胸の内には、斎藤先生がいうような、ますます重要になっている「コモン」という概念がどこかにあるのではないかと推測している。
 2023年3月に国連本部で開かれた第6回「国連 水と災害に関する特別会合」で天皇はビデオ基調講演を行った。「近年の気候変動によって水災害や渇水といった現象が頻発するなど水循環の姿が変化してきており、これらへの対応が人類共通の課題となってきています」。
 「気候変動の影響の8割は水を通して感じられると言われます。気候変動問題の解決は水問題の解決なしには不可能で、その逆も然りです。それでは、この2つの課題解決に私たちはどのようにアプローチしていけばよいでしょうか。そのヒントは水循環にあります」。

 さて、皇室を崇めているよう見える、いわゆる「右翼」の連中は、「日本人の純粋な血」ということをよく口にする。彼らは、天皇の代々続く純粋な血の系譜を重視している。でも、日本人の血って何だろう?
 かつて日本が島国でなく大陸と地続きだったことがある。島国になってからも、朝鮮や中国といった近隣との交流は続いた。当然、それらの地域との間で人の交流があったと考えるのが自然だ。
 サッカー・ワールドカップの日韓共催を控えた2001年、平成天皇は語っていたー「私自身としては、桓武(かんむ)天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫であると続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」。
 いわゆる右翼の連中はこのお言葉をどう考えるのだろうか?彼らが好きでない朝鮮半島の人の血が天皇の血に入っているというのだから。

 時々言われることだが「「上」があるから「下」がある」。つまり、「上」があると自ずと「下」が出来てしまう。天皇という存在が頂上に置かれているからこそ、底辺には被差別部落民らがいるのだと。
 この時代、チャールズ英新国王の誕生を機に、君主制について議論が進んでいるようだ。だが、日本ではそこまでいかない。天皇というのはいわば「空気」のようでもあり、日本国憲法第1章に基づく存在だからだ。
 第1条で、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であって、この地位は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」とされている。
 ということは、総意に基づかなくなったら、その地位を失う可能性もあるということではないか。しかし、現行憲法を非難してその全面的な改正を求める政治家からも天皇制について議論をしようという声は出てこない。
 タブーだからだ。昭和天皇が下血された後の世の中を思い出してほしい。NHKは天皇の下血のデータを淡々と伝え、一晩中、二重橋を映し出し、緊急ニュースに備えた。井上陽水が出ていた乗用車のテレビCMの「お元気ですか」というセリフが消された。天皇がお元気でないからだといわれた。
 あとお国のためにと戦争に行った兵隊さんがお亡くなりになってしまう場合、天皇陛下の名前でなくて、たいてい「お母さん」と言って亡くなっていくっていうけれど、どんなに神様のようだといわれても、天皇よりも生みの母のほうが当然ながら「上」なんだってそんなことを考えていました。
 改めてそんなことを思った特別展でした。東京・日本橋高島屋S.C.本館8階ホールで開催中。入場は無料。時間は午前10時半から午後7時まで(閉場は午後7時半)。最終日の6月6日(火)は午後5時半まで(午後6時閉場)。公式図録が販売されている。価格は3300円。
 

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