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Interview by KUVIZM #1 Quja(アーティスト)

ビートメイカーのKUVIZMが、アーティスト、ビートメイカー、エンジニア、ライター、MV監督、カメラマン、デザイナー、レーベル関係者にインタビューをする"Interview by KUVIZM"。

第1回は、KUVIZMが楽曲でコラボをしたこともあるアーティストのQuja氏をお招きして、子どもの頃から、地元大阪での活動、そして現在、今後までお聞きしました。

【Quja プロフィール】
Rap / Video director / DJ
“何を見るかではなく何と見るか”を座右の銘とし独自の哲学を示唆するアーティスト。
音楽ジャンルに囚われずインプットしたものをクロスオーバーして書き出す。
Video directorとしても活動し、映像制作チーム『Memento Mori Memori』の代表として過去に様々なアーティストのMVを手掛ける。

Quja Twitter
https://twitter.com/she_innocence

EP"Meme #1"
https://linkco.re/xCTasaZt

-地元大阪時代

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KUVIZM:
まず、Qujaさんの子ども時代からうかがえたらと思います。ご出身はどちらですか?

Quja:
大阪ですね。

KUVIZM:
ご兄弟はいるのですか?

Quja:
ひとりっ子です。

KUVIZM:
どんな感じの子どもだったのですか?

Quja:
「まわりの大人に迷惑をかけないように」とか、気を遣うような大人びた感じの子どもだったと思います。
環境的に、大人に囲まれている時間が多かったからというのもあるかもしれません。

【音楽との出会い】

KUVIZM:
音楽との出会いは?

Quja:
僕の地元はインディーズのレゲエシーンの活気がある地域で、中学生になるころには、レゲエ音楽を聴いている人が多いような環境だったんです。
自分にとってのレゲエは好きな音楽のひとつという程度で(レゲエで好きな曲はいっぱいあるのですが)、"音楽に目覚める"というほどでなかったんです。
で、小学校6年生くらいに、耳の早い友だちが映画『8 Mile』が公開されたばかりで話題だったEMINEMを教えてくれて。
「Without Me」という曲なのですが、それが僕の中でヒットして。
Hip Hopの音楽を、「Hip Hop」と明確に認識して聴いたのが初めての経験で、かっこいいな、気持ちいな、と衝撃を受けました。
それからUSのHip Hopをディグるようになりましたね。

KUVIZM:
クラブにも行くようになったのですが?

Quja:
中学校3年生くらいに行くようになりましたね。
当時はデイイベントがあまりなくて、大阪のナイトイベントに行きました。そのときは自分たちより若い人はいなかったですね。

KUVIZM:
怖くなかったですか?

Quja:
最初は緊張はすることもあったけど、当時は怖いもの知らずといった感じでした。

【音楽活動の開始】

KUVIZM:
自分でも音楽をやるようになったのはいつですか?

Quja:
中学2年の頃からリリックを書き始めて、中学3年と高校1年の間の春休みに初めてライブをしました。

KUVIZM:
ビートとかはどうしてたのですか?

Quja:
自分で曲を作りたいなと思い始めた頃に、ちょうど出会ったのがネットラップだったんです。
その頃のネットラップは黎明期で、そのパイオニアたちが曲を投稿している「歌詞→HIP HOP系」というサイトの「Underground Theaterz」という掲示板を、偶然か必然か見つけて。
"プロじゃなくても、アマチュアでも曲作りができるんだ"と知って衝撃を受けました。
掲示板には、ビートを作ってアップしている人もいて。
当時、レコードのB面に入っているビートでラップする人が多い中、オリジナルのビートでラップをすることは価値のあることだったので、ネットラップの掲示板にアップされているビートをお借りして曲を作るようになりました。

KUVIZM:
当時のUnderground Theaterzにはどのような人がいたのですか?

Quja:
らっぷびとさん、抹 a.k.a. ナンブヒトシさん、bankenさん、ibonne(tofubeats)さん、スナフキンさん、梅田サイファー界隈の人がいましたね。

KUVIZM:
その頃はスマートフォンもないのでそういった情報にたどり着けない人も多いと思うのですが、インターネットは結構やってたのですか?

Quja:
今思うと、結構やってましたね。
中学生になるころには自分用のPCを買い与えられていました。

KUVIZM:
PCは自分から欲しいと言って買ってもらったのですか?

Quja:
おじさんが電気屋さんで働いていて、ひとりっ子で母親が働いていたということもあって買い与えてくれたのかもしれません。
それがなかったら別の道を歩んでたかもですね。
インターネットは俺の人生から切り離せないものですね。

KUVIZM:
インターネットでは何を見てましたか?

Quja:
小学校6年生のころはフラッシュ倉庫を見たり、中学校に入るとニコニコ動画を見たり、先ほども話したネットラップの掲示板に入り浸っていましたね。
当時は、日本のHip Hopに関してはその掲示板の音源しか聴いていなかったと言っても過言ではないですね。

あとは、当時流行っていた「魔法のiらんど」みたいなものでラップのクルーのサイトを作ってました。
そのサイト内で、日常の事をおもしろおかしく書く日記を書いてて。コメントしてくれる人がたくさんいたりして、当時のラップのクルーのサイトとしてはアクセス数は多い方だったと思います。
コンビニでいきなり「あの日記書いてる人ですよね」と声をかけられたりすることもありました。
あのまま更新を続けてたら何かになったかもしれないですね。
更新しなくなったら、サイトがなくなっちゃったのが悲しいです。

KUVIZM:
ニコニコ動画で曲を投稿したりもしてたのですか?

Quja:
ちょこちょこ音源をアップすることはあったのですが、意外とニコニコ動画はあまり通ってないんです。
"ネットラップ=ニコニコ動画"というイメージが世の中的にはあると思うのですが、ネットラップ黎明期からそこにいた自分的には、あまり興味を持てなかったんです。
ニコニコ動画で音源を上げている人でかっこいい人もいたけど、自分もそこに参加したいとはあまり思いませんでした。
あと、ニコラップが流行る頃にはネットラップをあまり聴かなくなってて。ネットラップ以外の日本語ラップをよく聴くようになってました。

【ダンスについて】

KUVIZM:
中学生・高校生時代はダンスもやっていたのですか?

Quja:
その頃の僕はHip Hopヘッズで。Hip Hopの四大要素を網羅したいと思ってて。
DJは機材などでお金が高くてやらなかったのですが、グラフィティは壁に描いたりとかはしなかったものの絵を描いてみたり。
で、Basicle(バイシクル)というブレイクダンスのコミュニティサイトの管理人をやっていた紫苑さんという人がいたのですが、ご本人のスキルもすごくて、練習動画をあげたりしてたのですがネットで人気だったんです。
で、自分も中学生のころから、見よう見まねで練習したりして。
高校生になったらダンサーの輪がさらに広がって、学校でダンス同好会を仲間と立ち上げて、体育館で練習したりしていました。
当時は毎日練習してて、駅やストリートでもダンスしたり、バトルに出たりしてましたね。
高校の仲間とダンスしたり、掲示板で出会ったダンサーとダンスしたり、なんば駅のOCATというストリートダンサーの聖地や、梅田のMBS(テレビ局)の下などで、そこで出会った人や、バトルやイベントで出会った人と練習してましたね。

KUVIZM:
ラップにダンスに、忙しい毎日だったのでは?

Quja:
当時はタフで、朝から学校行って、部活でダンスして、バイトして、イベント行って、次の日また学校行くみたいな生活で、1日をフルに使っていましたね。

【地元大阪での音楽活動について】

KUVIZM:
ラップの話に戻りますが、地元ではどのように活動を続けていったのですか?

Quja:
ソロだったり、ユニットだったり、クルーだったりスタイルを変えながら、25歳くらいまで大阪で音楽活動をしていました。

KUVIZM:
当時はアルバイトもしていたのですか?

Quja:
ファミレスでキッチンの仕事を20歳前までしたり、ビジネスホテルのフロントをしたりしてました。
人として必要な対人関係のスキルは身についたと思います。

KUVIZM:
その頃の楽曲制作環境はどのような感じでしたか?

Quja:
一番最初は、1万円くらいの4トラックのカセットMTRから始まりました。
高校生になってからは、友達のお兄ちゃんのエンジニアや、知り合いのプロデューサーに、スタジオでレコーディングしてもらうようになっていきました。

KUVIZM:
地元にいたころから、Hip Hopで生きていこうという意識はあったのですか?

Quja:
当時はあまり深く考えていなかったですね。
中学3年くらいからラップを始めた自分にとっては、"ラップをする"、"ライブをする"、"曲を作る"という行為は、自分にとって当たり前のことで、"それでどうこうする"というビジョンが見えなかったんです。
1人で考えて活動していたということもあり、"音楽で食っていくぞ"、"クリエイティブなことで何かをしていきたい"ということが中々見えていなくて、どうしたらいいかというのがわからないでいました。
地元にいたときはバイトしながら、ライブやったり、曲を作ったりしてましたね。

-活動拠点を東京へ

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KUVIZM:
いつごろ東京に拠点を移したのですか?

Quja:
25歳の時に、先に上京していた関西の先輩である魂音泉代表のK'sさんから「おいでよ」と呼んでもらって。
もともと一緒に制作したり遊んだりしてた先輩なんですけど。
いい機会だなと思って。
ラップを続けていくにあたって、(大阪はもちろん好きなのですが)この先大阪に居続けてもできることはわからないので、"東京に行ってみるのもいいな"と思い、環境を変えました。

KUVIZM:
ラップスタイルは昔から今のスタイルですか?

Quja:
今と昔では、フロウからなにからなにまで変わりましたね。
昔はがむしゃらにラップをやってて。僕は人より音楽を聴いてきたわけではなかったし、音感があるわけでもなく、リズム感もちぐはぐだから、何回もスタジオで録り直す感じだったんです。
音楽のセンスの無さを、リリックのセンスを磨くことや固いライミングで埋めていくスタイルでした。

今は、音楽である以上"耳に入る時点で気持ちいいもの"、"耳触り"の部分を大切するようになって。
歌うことだったり、発声だったり、基本的なところから、フロウにこだわったり、ライミングも難しい言葉ではなくかみ砕いた言葉を使ったりするようになっていきました。

KUVIZM:
そうなるきっかけのような出来事はあったのですか?

Quja:
東京に来てから、バイトしながらちょっとずつスキルアップして音楽をやっていくなかで、あるとき"自分は人間的に普通に働くのは無理なタイプになってたかも"と気づいて。
"自分がやりたいことしかやりたくないわ"と思って、"ちゃんと音楽しよう。もっと学ばなければならないな"と思うようになりました。
ラップの才能はなかったけど、大事なことに気づく才能はあったと思います。

あと、それまでは自分の活動を主観でしか見れてなかったけど客観視するようになって、"自分のラップはシーンの中でどう聞こえてるんだろう"って考えたときに"このままじゃだめだ"って考えるようになって。

例えば曲を作る時に色々試しながらレコーディングしたくて。
スタジオに入って一発で録るのではなく、いろいろ試しながら何回も録り直して気持ちいいテイクを選ぶというスタイルが合うなと思って。
ミックスなどのエンジニアリングも必要だと思って学ぶようになりました。

【名義について】

KUVIZM:
名義はどのように変わっていったのですか?

Quja:
「歌詞→HIP HOP系」というサイトには、「Underground Theaterz」とは別で、音源ではなく、リリシズムだけ、文面で作品を作る「ネットライム」という掲示板があって。
そのときにハンドルネームで「Role Model」を使い始めたんです。
EMINEMの曲名からとったのですが、模範人物像という意味が気に入って使っていたのですが、「Role Mode」(ロールモデル)が長いから、略して「ロモ」と呼ばれるようになって。
で、当時流行っていたmixiで、名前をころころ変えるタイプだったんですけど、何の意味もなく、ロシアの学者の名前から「ロモノソフ」をとってその名前にしたら、それがしっくりきて。「Romonosov?」を名乗るようになりました。
そのあと2020年に映像制作のときの名前だった「Quja」に変えました。

KUVIZM:
どうしてQujaに変えようと思ったのですか?

Quja:
10年以上ラップを続けた時に、音楽に対して価値観が変わって。
色んなことに挑戦したいと思って変えました。
Romonosov?では3枚CD出したのですが、自分の存在とシーンのニーズを考えたときに、「Romonosov?」として培ってきたネームバリューに頼るのではなく、「Quja」という名前で誰かわからないかたちでやりたくなったんです。

【映像制作について】

KUVIZM:
映像はいつから始めたのですか?

Quja:
映像は上京したタイミングで始めたので、5、6年前からですね。

KUVIZM:
映像を始めたきかっけは何ですか?

Quja:
当時ビデオグラファーが周囲にあまりいなくて、ミュージックビデオも撮影できるとクリエイターとしての付加価値が生まれていいのではないかと考えて始めました。
ラップは才能がない中で戦い方を見つけてやってきたけど、写真は教わることなく得意で。
写真も撮れるなら映像もいけると思って。
「Canon EOS 70D」という15万円くらいの写真も映像もとれるカメラをいきなり買って始めました。

KUVIZM:
最初に作った作品は何ですか?

Quja:
電波少女さんの「INVADER feat.RAq」 ですね。
僕が映像を作れるという話が、電波少女のハシシさんに伝わって、作らせていただきました。

KUVIZM:
処女作が電波少女さんというのはすごいですね。ソフトは何を使っていますか?

Quja:
編集ソフトはプレミアプロを使ってて、今はダビンチ・リゾルブも使ってます。

【主催イベントについて】

KUVIZM:
主催イベントについても聞かせていただけますか?

Quja:
MEMORIAというイベントを2018年からやってます。
出演者としても客としても、色々イベント行ってきた中で、自分がいる場所を作りたいと思って始めました。
音源を買ってくれるリスナーさんが楽しめて、仲間も遊べて、来る人、出る人みんな楽しいイベントにしたいと思ってやっていますね。

KUVIZM:
Vol.1から出演者が豪華ですよね。

Quja:
アサキ(4s4ki)ちゃんがゲストで出てくれたり、影響受けていた釈迦坊主さんとかも呼べたのはうれしかったですね。
MEMORIAは収益をあげたいのではなくて、出演するアーティストにきちんと還元したいと考えています。
交通費も出したりすると毎回赤字なので、次は黒字を目指していきたいです。

-現在

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KUVIZM:
最近はどのような生活をしていますか?

Quja:
基本的に家を出ないですね。
起きるまで寝て、録音する日もあれば、映像を作る日もあれば、何もしない日もある。
YouTubeでエンジニアリングの勉強をしたり。勉強に費やしている時間も多いですね。
あとは映画を観たりしてます。

KUVIZM:
どんな映画を見るのですか?

Quja:
雑食で、最近はサスペンスが好きですし、アクション、邦画、韓国映画、戦争映画、マニアックなものから、お金がかかっているものまで観ます。

KUVIZM:
音楽は普段結構聴きますか?

Quja:
聴くときは聴くという感じですね。
まわりに詳しい人が多いので教えてもらったり。適当に曲を再生してる中でいいと思う曲が流れてきてメモしてディグったり。
ガンガン掘っていくというよりは、一期一会で出会って心を掴まれる、という感じですね。
最近はHip Hopは全然聴かなくて、結構雑食ですね。
オルタナ寄りのサウンドに自分のラップを当てはめて、"どういうサウンドになるか"ということに興味あって。新しいことをしていきたいなと考えて、参考にしたりしています。

今の日本語のラップシーンにはラップがうまい人はいくらでもいるので、そういう人にラップのうまさで勝ちにいくのではなく、総合的な音楽のクオリティでいいものを作りたいな、と思っています。
自分のスタイルを既存のHip-Hopの枠にあてはめる必要はないと思うし、サウンド的に攻めたものやアンビエントなサウンドにラップをのせてみたいし、僕の歌唱方法もラップではなくなってきているかもしれません。

KUVIZM:
現在注目しているアーティストはいますか?

Quja:
たくさんいるのですが、seeyousoonというフロリダのコレクティヴや、Iglooghostというプロデューサー、River Tiberというアーティストですね。

Iglooghostは作るサウンドがとがっていて、こういったサウンドを作る人と曲を作りたいな、と思います。
River Tiberは浮世離れしたアーティストで、世界観がすごすぎてこういう風になりたいなとひっそりと参考にしています。映像もやばくて、トリップできそうな感覚、人物像が全く見えてこない透明感がかっこいいなと思います。

日本人では、面識はないけどFKDさんとZINさんが作った「Busy」という曲に食らいました。
FKDさんは日本人でチョップサウンドを作る人の中でもダントツでイケてるなと思いますし、ZINさんは僕が目指してる聞き心地のいいラップを体現してるなと思って好きですね。

【曲作りについて】

KUVIZM:
曲作りはどのように進めるのですか?

Quja:
まちまちですが、ビートありきで進めることが多いです。
ビートを決めてそこからイメージをふくらませます。まずは宇宙語のフリースタイルで録音しながらフロウを決めて、肉付けしていきます。

リリックについては、ストーリーのあるバースで話の核やオチが決まっている場合は、最後の8小節から書き始めてそこに向かって書いていったり、パズルみたいに入れ替えたり、変なところから書き始めたりしますね。

でも、絶対はなくて、サビから書くこともあれば、曲の頭からフリースタイルで走り書きしたり、頭の中で出てきた言葉をばーっと並べたりすることもあります。

KUVIZM:
曲を作るときのビートはどのように選ぶのですか?

Quja:
好みとしては、90’sのHip Hopのグルーヴを持ってるビートなのですが、選ぶときは、Hip Hopをベースにしつつも、エレクトロニカの要素があったり、前衛的だったり、実験的なビートを選びますね。
もろHip Hopというビートよりオルタナティブなサウンドが好きですね。

あとは、自分の「Hyper Cold Sleep」という曲のようなレトロウェーブというジャンルのサウンドや、「Imaginary Friend」という曲のようにフォンクというジャンルのサウンドも好きです。

僕は、流行りに生きず、何年経っても聞ける音楽を作ってます。
例えば流行りを追っても、流行りのトップと肩を並べるまでしかいけない、自分の好きなサウンドを作って、自分の山を築くことに意味があると考えています。

どこにでもあるようなものは、自分じゃなくて作れる人はいっぱいいるし、自分だけのサウンドを求めていったときに変な音が好きになりました。

KUVIZM:
Qujaさんとコラボしたい人はどうしたらいいですか?

Quja:
気軽にDMしてもらえたらと思います。
攻めた曲を作ってる人や、色んな人とコラボしたいですね。

【音楽をやっている理由】

KUVIZM:
音楽をやっている理由は何ですか?

Quja:
いろいろあるのですが、最初は「救いたい」「いろんなことに気づかせてあげたい」という気持ちで音楽をやっていました。
普通に生きてたら気づけないことってたくさんあると思うんです。
例えば、日本は法治国家で、法にのっとって生きることが正しいとされるけど、法の外に出て初めて見える景色があるし。
家の中にいると家の外は見えないから、正しいか正しくないかの判断もできないわけで。"本当にそれが正しいのか"ということを気づかせてあげたいと思っていました。

けど、最近、救われたいのは僕の方だと気づいて。
曲を作ることで自分の中の何かを消化して自分が救われてるんだな、と。
なので救ったり救われたりしたいという感じですね。
社会で生きている限りは、人はお互いに相互作用があると思うんですけど、僕は音楽を作って、聴いてくれる人たちに元気を出してもらったりする、そうすることで社会との関係性は保ててるかな、と思います。
お互いにもちつもたれつという関係で、僕の曲を聴いて元気になってくれたら、元気になった人が僕に投げ銭をしてくれて回っていく、社会の歯車の一部になっている、という認識です。それがうまく回っていけたらいいな、と思います。

KUVIZM:
そう考えるようになったのはいつからですか?

Quja:
音楽で、初めてお金をもらうようになったときからですね。
ギャラをもらうようになったときに、一段階、二段階、音楽に対して、自分に対して、アーティストについて考えるようになりました。
ローカルなアンダーグラウンドなところから音楽を始めて、CDを出したりして、音源を買ってくれる人が出てきたときに、"僕の音楽ってお金を出して聴きたい価値があるんだ、価値を見出してくれる人がいるんだ"と思って、それはすごいありがたいことだと思ったんです。
そういった人に対して、例えば曲作りの録音環境が低かったり、真面目に音楽を作ってるマインドがないと失礼だし、感謝の気持ちを大事するようになって、音楽もグレードアップしていきました。
例えば、いきなり売れて、フォロワーがすごく増えたりという感じだったら、こういった考えにならなかったかもしれないけど、僕は、0.1くらいのところから始めて徐々に増えていったので、感謝の気持ちがないとじり貧になる、これ以上あがっていかない、と考えています。
こう考えるようになって、僕の人生は壊れてしまったのかもしれないけど、みんなに感謝してます。

KUVIZM:
曲作りのスランプはありますか?

Quja:
ありますね。最近もあってワンバース書くのに1ヶ月かかることもありました。

KUVIZM:
スランプのときはどうするんですか?

Quja:
1回離れるのがいいかなと思います。他の音楽を聴いたりとか。

ただ、スランプのときはバッドに入っているので、インプットしようとしてかっこいい音楽を聴くとさらにバッドに入るので、自分を信じて、俺はいけてる、いけてないわけがないと、マインドセットすることが大切だと思います。
うまいもの食って、酒を飲んで、風呂に入って、気持ちのいい状態で制作に臨むようにしています。

-これから


KUVIZM:
活動の予定について教えて下さい。

Quja:
新しいEPを年内に出せたらと思っています。サウンド的にも面白いものになると思います。

KUVIZM:
これからチャレンジしたいことはありますか?

Quja:
“人としてちゃんと生きる”ことですね。
ラッパーは、(プラスマイナスの)ゼロを目指すところから始まるものだと思ってるのですが、今はまだ"人としてやらないといけないこと"ができていないので。
あと、ビートメイクを頑張りたいなと思っていて。ビートを作ってラップをしてミックスもするという永久機関を作りたいです。

アーティストとしてはめちゃくちゃ模索しているのですが、"みんなに寄り添えるような存在"になりたいです。
僕の音源の向こう側で聴いてくださっている方々にとって、僕の存在は"あってないようなもの"、"概念"であって、"実在する人"には思えなかったりすると思うのですが、僕の曲を聴いて勇気づけられたり、ポジティブになってもらったりして、"この人寄り添ってくれてるな"って思ってもらえたらな、と思います。

KUVIZM:
50歳になった時に何をしていると思いますか?

Quja:
成功していなかったら死んでいると思います。
今の生活はめちゃくちゃですし。
だらだらゆるゆるクリエイターっぽい生活を続けられるわけないと思ってるので、ミュージシャン、アーティストとして今よりも高い地位にいって生活に困らないようになったり、エンジニアや映像作家としてビジネスができて何者かになって何かをつかんで幸せになっているか、もしくは死んでいるかだと思います。

今は、ものを作ることにしか興味がないからクリエイターとしてやっていきたいな、と思っています。

KUVIZM:
最後の質問です。音楽活動で大事なことは何だと思いますか?

Quja:
感謝の気持ちと素直に生きることですね。
素直じゃないときは、嫌なことを我慢してるときで、自分に嘘をついてるときなのですが、そういうときは気持ちいいことにはならないし、いいことになることがなかったですね。
うれしいときはうれしいと言う、ありがとうと思ったときはありがとうと言うことが大事だと思います。

KUVIZM:
今回はありがとうございました。

Quja:
ありがとうございました。
"Interview by KUVIZM"では、インタビューに応じてくださるアーティスト、ビートメイカー、エンジニア、ライター、MV監督、カメラマン、デザイナー、レーベル関係者の方々を募集中です。ご興味のある方は下記メールアドレスにご連絡をお願いいたします。

kuvizm.booking@gmail.com


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