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『兄の愛した〈彼女〉』

※約4300文字小説です。

 ♦︎4号室の悲劇♦︎

 兄が自ら命を絶った。
 東京の一人暮らしのアパートで、首を吊って死んでいるところを父が発見した。
「“4号室”なんて、不吉なところに住んでいたから……」
 隣に座る母がぼそりと呟いた。
 確かに縁起が悪そうな部屋番号だったが、そんなものは関係ない。おそらく母はまだ、兄の死が受け入れられていないのだ。だからそのような、非現実な原因にすがりついてしまうのだろう。
「なあ……このメッセージに、何か心当たりはあるか」
 自分と母に対して、静かに父が聞いた。
『彼女に、会いに行く』
 それが兄が残した遺書だった。
 母は涙を流しながら首を横に振る。
 兄に恋人がいたと言う話は出てこなかった。自分たち家族はもちろん、兄の友人、知人、職場関係者も、思い当たる女性の話は浮上せずだった。
「……心当たりが、一つだけ」
 そう言うと、父と母が驚いたように見つめてきた。
「ほら、父さんにも話したでしょ、兄さんのメッセージのこと……」
 兄が言っていた〈彼女〉。
 兄が遺書に残した〈彼女〉。
 もし、その〈彼女〉とやらで自ら死を選んだのなら、兄はおそらく狂っていた。
 だって、その〈彼女〉は、現実には存在しないのだからーー。
 

 数ヶ月ほど前に兄と電話した。その時兄は、とあるオンラインショップで『ミステリーギフト』というものを注文したと話した。
「何それ」
「『何が届くか分からない。届いてみてからのお楽しみ』だってさ。試しに千円のやつを注文してみた」
「えー、どうせ売れ残り商品とかなんじゃないの? 大したもの入ってないよ」
「いいだろ、面白そうじゃん。福袋みたいなものだと思えば」
「一人暮らしでボロアパート暮らしのくせに、無駄遣いして」
「お前はオカンか! いいだろ千円くらい遊びに使っても」
「ははっ、まあいいや。届いたら何か教えてよ」
 そう言って笑いながら話した。
 この時に、兄におかしな様子はなかった。

 その会話をした2、3日後。その例の商品が届いたと報告の電話があった。
「はあ……お前の言う通り」
「中身なんだったの?」
「なんか一枚のDVDディスク。これが酷くて」
「どんな内容?」
「アニメだと思うんだけど、全然動かないんだよ」
「どういうこと?」
「女の子が見つめてくるだけ」
「はあ?」
「キャラクターの女の子が、こっちをじっと見つめてくるだけの映像。それが2時間くらい」
「うわあ……というか、それはアニメじゃなくて、ただの静止画じゃないの?」
「金返して欲しいくらいだわ……」
「ディスクには何て書いてあったの?」
「……何も書かれてない」
「クレーム入れれば?」
「うーん。そこまではなあ。“何が届くか分からない”ってサービスだし」
 届いた品に不満こそたれていたものの、その後は普段の会話をした。
 このときも、兄の様子は特に気になることはなかった。不安とか憂鬱だとか、そういった自殺に繋がりそうな言動もなかった。

 兄の様子がおかしくなり始めたのは、それから1ヶ月くらいした頃だ。突然兄から電話があった。
「よう」
「兄さん、どうしたの?」
「お前にさあ。前に話したじゃん。ミステリーギフトのやつ」
「ああ。あのインチキDVD?」
「……話せるんだよ」
「え、何が?」
「女の子」
 そういえば、女の子が収録されているDVDだったと思い出す。まったく動かず、ただこちらを見つめているだけだったと。
「会話が収録されていたってこと?」
「違う。この子とは会話が出来るんだ」
「会話って、兄さんと?」
「そう。俺の問いかけに答えてくれるんだよ」
「分からない。どういうこと? サポートAIとか、そういうの? でも『DVD』だって言っていたよね?」
「……すまない。彼女が呼んでるから、もう切るな」
「え、兄さん?」
「それじゃあ、またな」
「ちょっと、待っーー」
 電話が切れた。
 兄の様子に気にはなったが、そこまで気にする必要はないと思った。女性が家に来ていたんだろうとか、そんなことだろうと思っていた。また頃合いを見計らって聞き出せばいい。それに恋人が出来たらどうせ自慢がてらに、兄の方から言ってくるだろう。
 その後、自分は仕事が忙しいこともあり、こちらから兄に連絡する時間はとれずにいた。そして兄の〈彼女〉に関しては、すっかり忘れてしまっていた。

 兄が死ぬ、半月ほど前。
「もしもし? ああ、兄さん? 母さんが怒ってるよ。最近連絡もよこさないし、メールの返事もないって」
「……すまんが、今、彼女と話している最中だ。後にしてくれないか」
「彼女? ああ、兄さん彼女できたんだっけ。どんな人?」
「とても可愛らしい。前に話さなかったか? ずっと、俺の方を見つめてくれている。ずっと」
「……え?」
「彼女は画面の向こうにいる。でも生きているんだ」
「……は? 画面? …………ねぇ、もしかして、その〈彼女〉って、前に話していたDVDの……?」
「俺たちは両思いなんだ。今は触れ合えない。画面がこうして俺たちの邪魔をする。でもいつかきっと、触れ合える」
「はは……兄さん、大丈夫?」
「ははは。お前もそう思うかあ」
「ちょっと兄さん?」
「そんな顔するなって……ああ悪い。じゃあな」
「兄さん!」
 電話は切れた。
 流石にちょっとおかしいと思った。
 しかしただアニメに熱中しているだけ。そう思うことにした。
 
 それから兄が死ぬ1週間前くらいから、頻回に兄からLINEでメッセージが届くようになった。

【彼女に触れたい。彼女に触れたい。彼女に触れたい】
【画面が邪魔だ、画面が邪魔だ、画面が邪魔だ】
【どうすればいい? どうすればいい?】
 そう言った内容だった。これが何日も続いた。
 これはさすがに異常だ。
 父に連絡して、次の休日に様子を見てもらいに行くことになった。

 兄が死ぬ前日。兄からのメッセージにこう綴られていた。

ーーどうすればいいか。彼女に聞いた。

ーー方法が分かった。彼女が住んでいるDVDを壊してから。

ーー自分が向かえばいいんだ。

 急いで兄に電話をしてみたが、まったく出る気配がない。嫌な予感がした。虫の知らせというか、胸が騒つく感覚。
 急いで連絡して、埼玉の実家から父に兄の住むアパートへ向かってもらった。
 そして父が合鍵でドアを開けると、そこに兄の変わり果てた姿があったーー。


「確かにあいつの手には壊れたDVDディスクが握られていた。でもまさか、テレビ越しのキャラクターに会うために、そんなことで……?」
 父が頭を抱えながら泣き出した。
「ごめん、俺がもっと早く異常に気づいていれば……」
「お前のせいじゃない。こんなこと、誰も想像つかないだろう……」

 そうしていたら、黙っていたら母がぽつりと呟いた。
「いったい、どんな内容だったのかしら……」
 兄がそこまでになるほどの映像。DVDはもう壊れてしまって見られない。いったい、どんな内容だったのか。

 そこで元となったオンラインショップに問い合わせてみることにした。ショップには兄の注文履歴も残っていた。ショップも、兄宛に発送していたことを確認している。
 しかしショップは、送ったのはDVDなどではなく、『3Dパズル』だと言った。そんなDVDは作ってもいないし、在庫にもない。そのようなものを送った形跡も残っていないとのことだった。

 結局、兄の言っていた〈彼女〉のことは分からないままだ。
 世の中には、二次元に恋をすることもあると聞く。しかしこんな短期間で、自分を死に至らしめるようなことがあるだろうか。
 兄の握っていたディスクにはいったい何が映っていたのか。〈彼女〉とは何だったのか。
 そもそも、本当に〈彼女〉はいたのだろうか。
 もう、今となっては、何も知ることはできない。

「きっと、それはただの結果。私たちにも言えないところで、あの子は悩みを抱えていたんだわ……」
 母がそう嘆いた。
 確かに、そうなのかもしれない。笑って話していたけれど、兄はずっと何か重荷を背負っていたんだ。
 それに気づくことが出来なかった。
 ただただ、家族でそれを悲しんだ。

 兄さん、ごめん。

 ♢3号室の会話♢

 ガタ、ガタガタ、ガタッ。

「サブリミナル効果って知っています?」
「……一瞬だけ画面に映る、みたいなやつか?」
「まあ、そうですね。実際効果を出すには、映像はより知覚出来ない方がいいらしいんですよ」
「効果?」
「生体に何かしらの影響を与えるようにする効果です」
「よく分からん」
「そうですね。例えば、車のCMで一瞬だけ『車を買え』とか、知覚出来ない秒単位で放送に入れ込む。そうすると、無意識に車を買いたくなってしまうとか」
「催眠術みたいなものってことか」
「まあ、そんなところです」
「それがどうかしたのか」
「それって、他人の死を操れると思います?」
「催眠みたいなもんなんだろ? 確か催眠で人は殺せない。自己防衛機能とやらが働くんじゃあなかったか?」
「そうですね。でも……」
「でも?」
「恋愛によって強迫観念を引き出すことができれば、あるいは……って」
「お前が何を言いたいのか、さっぱり分からない」
「まあ、思いついただけです。気にしないで下さい」

 ガタ、ガタ、ガガタッ。

「……これ何だ?」
「3Dパズルっていう立体パズルですよ」
「お前も、こういうのやるの?」
「偶々、通販で届いたんです」
「偶々ねえ」
「……最近の通販って印鑑いらないんですね。玄関の前に置かれていました」
「俺は雨に濡れたりすると嫌だから、いつも『手渡し』で依頼してるなァ。普段あまり通販なんて頼まんけど」
「僕も嫌ですね。『玄関置き』。知らない間に持っていかれちゃいそうじゃないですか」
「“盗まれるかもしれない”ってのは確かに分かるな」
「……あとは、取り換えられるとか」
「取り換え?」
「違うものと、知らない間に交換されてしまったり」
「わざわざそんなことするやついるかあ?」
「まあ、そうですよね……」

 ガタン、ガタガタ、ガタッ。

「……なあ、さっきから隣の部屋うるさくないか?」
「ああ。したかないんですよ。退去後の清掃で業社が入っているみたいで」
「隣の部屋空いたのか? まあボロアパートだしなァ」
「……自殺したみたいです」
「ああ……そりゃ気の毒に」

 ガタ……。

「……あ、終わったみたいですね。少し待っていて下さい」
「ああ。どこ行くんだ?」
「隣の部屋を確認しに大家さんが来ると思うので。ちょっと話を」
「ん。行ってら」

 友人との会話を中断し、3号室の住人は一人、外に出る。隣の4号室の前には、やはり大家が部屋の確認をしに来ていた。
「大家さん……4号室の方、大変でしたね」
「まあ気の毒だとは思うけどねえ……正直こちらとしては困っちゃうよ」
「『事故物件』になってしまいますもんね」
「そうなんだよねえ……はあ……」
「ですよね。そこでご相談があるんですが」
「はい?」
「僕が4号室に住みます。そのかわり、事故物件ってことで……家賃、安くなりませんか?」

おしまい。

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